Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

静寂の悲鳴。

2006-01-25 | 徒然雑記
「吐き気を催さない愛なんて、大したことない。」
あの女は、そんな言葉で僕に吐き気を感じさせた。そんな言葉がかつて僕に投げつけられたことを今までずっと忘れていた。
何故思い出したかって?それは今この瞬間に、激烈な吐き気と頭痛とに襲われて虚空を掻き毟っているからにすぎない。どうせ、すぐにまた忘れる。

 心が乾いた悲鳴を挙げるとき、言葉を失くして震えるのが僕の常だ。暖かい闇に抱かれて、声を上げずにするすると流した泪が乾くころには夜が明ける。そうして僕は闇から得た温もりとともにようやくの休息を得る。闇ではない別のものに包まれたとしたならきっと、乾いた悲鳴は声となり、その存在を顕かにしてしまうだろう。そのことがきっと、僕にはおそろしい。

三日に一度は泣いて暮らしていた不思議な時期があった。泪とともに記憶を流し去ろうと努めていたのだろうか、何に泣いていたのか今となっては思い出すことができない。まるで平静な顔で、あるときは眠りに落ちる瞬間に、あるときは机に向かっている最中に、あるときは道を歩きながら、鼻も目蓋もぴくりともさせずにするすると泣いていた。それは呼吸をするように自然なことだった。それはあまりにも自然すぎて、誰も僕が泣いていることなどに気付かなかったくらいだ。

紙芝居を一枚めくるように突然に、ある日から泣かない日々が始まった。極めて自然に日々流していた泪がぱったりと止まった。ほんとうの日々は、泪を流さないものであったのだと驚いたことだけは今でもはっきりと記憶している。それがいつのことだったのか、なぜ紙芝居がめくれたのか、さっぱり覚えていないにも拘わらず。


 身体が湿った悲鳴を挙げるとき、声にならない苦痛によって顔を歪ませながら、しかし相変わらず静かにするすると泪を流す。闇に響く時計の秒針よりも速い呼吸を繰り返し、自分の口から漏れるかさついた空気の音で痛み苦しみは倍化する。よって呼吸はより一層速くなる。呼吸をすることに懸命で、僕は助けを呼ぶことができない。闇の向こうにあるなにかに手を伸ばすことができない。仮にあと三センチで何かに手を届かせることができたとしても、きっと僕はあと少しのところでその手を引っ込めてしまう。自分の身体の中に宿る不条理な個人的痛み苦しみが、自分の手指を経由して自分以外のなにかを汚染してしまうことがおそろしい。

いや、それは嘘だ。自分を癒そうと願う他者の想いがおそろしい。助けてくれと願う自分の心が浅ましい。身体が不条理にも目下の苦痛を欲しているというのに、だ。

身体を闇に横たえれば吐き気が襲う。
身を起こせば頭の中身が漏れ出てきそうな頭痛が襲う。
頬を伝う暖かい泪が乾いた皮膚にちくりと刺さって、あぁ少しだけ、いい気分だ。


闇がどんどん深くなり、自分の浅い呼吸を聞き飽きる。
闇はどんどん密度を湿度を増し、沈黙の悲鳴を挙げ続ける僕の心と身体を隙間なく包み込む。

「僕は今苦しい。助けてくれ。」
浅い呼吸と、きまって左目からだけ流れ落ちる静かな泪と、安らぎの微笑みと。
明日になれば、どうせまた忘れる。
  

  静寂。