Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

夏越の大祓。

2007-06-28 | 春夏秋冬
   --- みなつきの なごしの祓 する人は
   --- 千年のいのち のぶといふなり


 暑さもこれからというところであるが、勤務地近くの書店に本探しに出向いたところ、向かいの老舗百貨店の屋上に日枝神社による茅の輪が設置されているという知らせが目に付いた。晦日までにはあと2日あるが、この機会を逃せばもう祓える時間もなかろうと百貨店へ足を向けた。
 混み合うエレベーターの中で、屋上まで足を伸ばす客は他に誰もおらず、畢竟、屋上は休息を取っている3~4名を除けば非常に閑散としていた。お姉さんがひとり、小さなテーブルで和紙のかざぐるまを売っていた。呼び込むべき客もおらず、腰をかける椅子もなく、赤いかざぐるまだけがからからと小さな音を立てて静かに回っていた。

 私はお姉さんと眼を合わせないようにして、その傍らに並んでいるテーブルへと進んだ。そこには、白いひとがたと黄色いひとがたとが束ねられており、その袖先が風に煽られてほんの少し揺れていた。束から一枚を抜き取ると、自分の名を記して雨露を拭くようにして自らの身体をぬぐった。そうしてから茅の輪をくぐり、軽く一礼をして綿毛のような雲に覆われた空をちらと仰いで、社に戻るためにエレベーターへと踵を返した。
 エレベーターの扉が閉まりかけたとき、茅の輪の傍らに、黄色い着物を着た10歳にも満たぬ女児が赤いかざぐるまを持ってにこりと微笑んでいるのが見えた、ような気がした。

 
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 大祓は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる、犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事である。6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月のを年越の祓と言う。701年の大宝律令で正式な宮中の年中行事に定められた。応仁の乱の頃から行われなくなったが、江戸時代に再開され、後に全国の神社でも行われるようになり現在に至る。
 夏越の祓では、形代に自らの罪穢れをうつし、「茅(*)の輪潜り」を行う。これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に通って穢れを祓うものである。

* 茅とは、[ち][かや][ちがや]で、菅(すが)、薄(すすき)などの多年生草木のこと。

 神代の昔、武塔神”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”が、南海へ出立する途中、ある所で土民の蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟に宿を求められた。その時、弟の巨旦将来は裕福な身であったにも拘わらず宿を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は、貧しい身であったが尊をお泊めし、栗柄(がら)を以って座を設け、栗飯を饗して接待をした。その後、年を経て尊は再び蘇民将来の家を訪れ、「もし天下に悪疫が流行した祭には、ちがやを以って輪を作り、これを腰に付けておれば免れるであろう。」と教えた。
この故事に基き、蘇民将来と書いてこれを門口に貼れば、災厄を免れるという信仰が生じ、また祓の神事に茅輪を作ってこれをくぐり越えるようになった。


 なお、旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていた。この日になると、御所では氷室の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払った。宮中では氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったと云われる。
 当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられていた。しかし、庶民にとって夏の水さえ貴重であり、ましてや氷など簡単に食べられるものではない。そこで、宮中の貴族にならって氷を模った菓子が作られるようになり、これを水無月と呼ぶ。水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、上の小豆は悪魔払いの意味を表すとされる。






発熱日和。

2007-06-25 | 徒然雑記
 麻疹ではないので皆さまご安心ください。
 (※一度しか予防接種を受けていないので、抗体が薄れている)

 自律神経失調症がやけに元気な今日この頃である。
 
 自分の体温をきちんと管理できない仕組みになっているらしく、体温がよく乱高下する。20代前半の頃はなかなかこのタイミングが掴めず、2ヶ月に一度は38度超えの熱を出していたものだったが、この年になって少しお付き合いの仕方が判ったようで、基本的には37度台の発熱にコントロールすることができるようになってきた。これはこれで、かなりの進歩と云ってやりたい。
虚弱体質の中での「当社比50%増」なので、自己満足に過ぎないけれども。

 とはいえ、毎回コントロールできるようでは「失調」しているわけではないので、こうして制御不能の熱を出す。今日は(正確には昨夜から)、とにかく足が熱くて、とりわけ踝から下が燃えるように熱くて、夜中に冷凍庫から保冷剤を引っ張り出して足に挟んでみたりしたものの、ほんの僅かしか眠ることができなかった。

 身体の全部が熱い場合はぐったりして睡魔も来ようが、一部分だけが熱いときの違和感といったらこの上なくて、身体が苛々して睡眠を欲さない。そうして、気付いたら朝であった。

 こんなトンチンカンな麻疹もないだろうと思うので、別段なんの心配もなく、一応「麻疹ではないですよね?」のお墨付きだけ貰ってきた。




【今日のおもちゃ】
Flash Element TD

○うまいことやれば、放っておいてもよいので、疲れずに済む。
○単調なので、工夫のしがいがある。
○絵がなんだかわからない。
○鳴き声(叫び声?)が喧しくて派手である。
○折々に出てくる英語のコメントが愛らしい。




金魚鉢。

2007-06-22 | 春夏秋冬
 空気にも重量があるのだということを感じることができる唯一の季節がやってきた。
 
 たとえ雨が降っていなかったとしても、空気の重さは私の背を丸くし、視線をつい俯きがちにさせる。
蔓延する水蒸気の粒ひとつひとつにミクロの水草やら金魚やらがゆらゆらと漂っていることを思い浮かべると、この空気の中を歩くことも少しは愉しくなるのかしら、と思う。
 我々の視力では決して確認できないけれど、実体顕微鏡で覗くときっとそれらの透き通った球体の中に、緑色した細い鞭のようなものや、ひらひらとたくさんの葉をなびかせるような水草が、そして赤や黄色や、まだらの金魚たちが多分ひとつずつ入っているのだ。普段は雲の中で身を寄せ合って棲んでいる彼らは、この季節になると各自が否応なしにてんでばらばら放散されて、地上にむけてゆるりゆるりと舞い落ちてくる。

 灰色の空から、灰色の雲を貫いて降ってくる雨の色は、まるで灰色な気分だ。
 青空の隙間からぱらぱらと降ってくる雨が鬱屈した気分を誘わないのは、多分空の色のせいで雨粒さえ青く澄んでいるかのような錯覚を起こさせるからに違いない。だったら、雨はドロップのようにきらきらしていればよいのだ。
 髪や服に当たって雨粒が砕けるとき、それは嘘のように透明に砕け散る。色はミクロに分かれて去ってゆくが、決して消失したわけではない。なぜなら、水蒸気となった小さな粒の中には、金魚や水草やビー玉の色をした色々が、ちゃんと詰まっているのだから。


 「もうすぐ夏だからね。お土産をもってきたよ。」

 箱を開けると、そこにはひとつの小さな金魚鉢があって、その中に泳ぐ真っ赤な金魚と苔に覆われたみどりの石が見えた。もうひとつの金魚鉢には、少ない光に照らされて黄と紫に反射するススキが二本と、その間を心細げに舞う蛍がいた。
 子供が小さな金魚鉢の中にひとときの夏を飼うのと同じように、きらきらした刹那的な季節が菓子の様相を成してそこにあった。どうしても手元に囲い込みたい衝動に駆られる夏の景色は、それがとても大きくて力強くて、そしてすぐに居なくなってしまうのを知っているからこそ、両の手に収まる程度の小さな場所に封じ込められるべきである。それは子供にとっても大人にとっても、祭りの終わりを怖れながら覗き込む、はかない甘い蜜なのだ。

 ひと夏を越すか越さないかのうちに死んでしまう金魚。
 見ることさえもなかなか叶わない、朧に発光する蛍。
決してその痕跡を所有できない季節の象徴が囲い込まれて、目の前にある。

 「ありがとう。」

 にこりと笑った私はその封じられた金魚鉢にスプーンを刺して、凍結された夏の幻影をぶち壊す。



 



逃避の果て。

2007-06-17 | 春夏秋冬
 女と生まれれば、政治に無関係でいられると思った。
 しかしそれは、儚い夢にすぎなかった。
 こんなことであれば、男であったほうがましだった、と後悔するくらいに。


 私は尼僧のなりをして、幾つもの山を越えた。自分の足で歩くことすら殆どなかった身にとっては、山をひとつ越えるだけでも至難の業だ。足首を痛めたり、ごく薄い足袋では護りきれない爪先を傷つけたりして、度々わたしは道端に座り込んで休息せざるを得なかった。それでも、里に対する郷愁は一切生じなかった。
 どこかが痛かったり何かが破損したりして往生している際にはきまって、木こりや行商が通り掛かって私を助けてくれたり、世間話に応じて気分を紛らわせてくれたりした。その道程はまるで、私がこの逃避を中途で止めたりしないために仕組まれていると思えるほど出来過ぎていたが、私はそれに気付かない振りをした。もともと計画性などないわけなので、何日程度かかるかとか最短の道のりなどを全く調べる間もなく身ひとつで出立してしまったわけなのだが、幸いにもただひとつの道すら引き返すということもなく、恐らくここが終着であろうという確信のもとでひとつの寺に辿り着いた。

 山寺での生活は、悪くなかった。
目覚めてから軽く身なりを整えて朝の勤めをし、それが終わる頃には山間にも遅い日が昇る。美しい山を暫く眺めてから改めて剃髪をし、糊をきかせた袈裟に着替えるのを常としていた。そして最後に必ず、誰にも内緒で隠し持っている懐剣をそっと懐に仕舞った。
私はかつての癖もあり、身なりを常に整えていなければ気の済まない性質であったが、ここには常に綺麗な水もあるので剃髪にも洗濯にも不足無く、数着の袈裟を着回すことさえできた。中でも、鈍色の袈裟が私の気に入りであった。

 しかし、その生活も三年と経たずに終焉を迎えた。
仮に俗世を離れたところで、この世に消息を残している限りにおいて、他者の思惑から自分の身が切り離されることなどないということを思い知ったのだった。
そうして、いつもの手順で朝の勤めを終えて身支度を整えたあと、いつもなら懐に仕舞うはずの懐剣を手にとり、その鞘を抜いた。綺麗に晴れた朝、滴るような山の緑と床に掛かる水墨の軸とを角膜に残しながら、私は喉を突いたのだった。

 女を生きることは、どういうことだったのか。
 尼僧となり性を捨ててもなお、女から逃げること叶わぬのか。

それが、私の最期の思考であった。


 白い着物に着せ替えられた私の遺骸は近隣の清流で清められることとなった。
 もともと自らの足で出歩くのを苦手としていた私は、近隣にこんなに澄んだ清流があることさえ知らずに数年を過ごしていた。そこは神域と呼ぶに相応しく、夜のように暗い杜の中に射す一条の光を反射した池が、青々と輝いていた。
 屍骸に泪を流す力があったなら、きっと私はたらたらと泪を流して歓喜したことであろう。

 私は、山寺に辿り着いた際の確信の半分が誤っていたことを知った。まだ消息がある時点でこの地に触れておくべきだったと、その美しい水に沈められながら私は後悔をした。
すると、もはや閉じることのできなくなった私の眼に、深いところからゆるりと登ってくる黒い大きな影が見えた。だらりと垂れ下がった私の手の先をかすめてその影が立ち去ろうとしたそのとき、私は身体を放り出して見えぬ手を差し伸べ、その背に渾身の力で摑まった。それは重量を持たない私をものともせず、ぐるりと身を翻してふたたび深い水底へと降りていった。

恍惚と満ち足りた気分でふと水面を見上げると、白い着物を纏った私の屍骸が太陽の光を背にしてゆらゆらと揺れていた。その光景が妙に滑稽に見えたことだけは覚えている。
そこからの記憶は、闇に吸い込まれるようにぷっつりと途切れた。






 


不毛な時間。

2007-06-16 | 徒然雑記
「俺はアナコンダが怖いんだけど、お前にも怖いものなんてあるのか。」
「そうですねぇ。・・幸せになること、ですかね。」

 役員がみな帰ってしまったあとの役員室で、煙草の煙を吐き出しながら、上司に目を合わせずにわたしは応えた。
上司のぎょっとした顔を確認したわたしは、にっと笑って「冗談ですよ。」と嘯いた。返事を待たず、「で、先ほどの確認ですが・・」と懸案事項の確認へと話をずらした。

 少々いたずらが過ぎたかしら。八つ当たりも程々にしなくちゃね、と自嘲気味に笑いながら上司に背を向けて役員室を後にすると、書類の束をどさり、と机に置いて脇目も振らずに仕事に興じた。その日の上司は、通りがかりに遠くからちらと私の風情を確認すること数度にわたった。

その日の仕事を片付けにかかる頃、携帯メールをチェックする。削除すべきもの、一旦無視してよいもの、早急に返事をすべきものとを一瞬で分類する。いつもこれらの中では「一旦無視」のカテゴリに分類されるものが多く、失敗するとそれら留保のものどもが積み重なり、慌てて山ほどの返事を纏めてせねばならなくなる。この癖はなかなか治らない。

いつもであれば「削除」あるいは「一旦無視」のカテゴリに分類されるものに、返事を返したくなるときがある。それは通り雨のようなもので、気紛れにわたしの上をざっと通り過ぎて、またすぐに居なくなる。


「久しぶりだね。今はなにをしているの。」
慣れた街の花屋の前でわたしを待っていた男は訊いた。わたしは3年間にわたる様々な環境の変化や浮き沈みについてを1分足らずで話した。相手の近況についてわたしから問うことはまずない。

「話を聞くたびに全てが全く変わってしまっているからほんとうはもっと驚くべきなんだろうけど、さすがにもうそれにも慣れてしまったよ。『えっとね、ほんとは2年前に死んじゃってさぁ。』とか云われても驚かないんじゃないかと思うと、少し哀しいことなのかな、って思うね。」
「どうせなら、そのくらい突飛なほうがいいんじゃない?」
「聞くほうの身にもなってくれよ。」
「だったら聞きになんて来なけりゃいいのよ。」
「それもそうか。腹を括って来い、ってところだな。」
「そうね。」


 無駄に広く無駄に柔らかいベッドに仰向けになって寝煙草を吹かしながら、人材育成とメンタルヘルスの話題を振り向けた。わたしの環境が変わる毎にわたしの口をついて出る話題は変化する。美術の話やら遺跡の話やら、旅行の話やIT、経済などなど。それらにいちいち驚くことも口篭ることもなく、いつもそれなりの会話を展開してくれることは有難い。この男がなぜ広範囲に渡る知識を有しているのか、何をして食っているのかについては全く知らないが、わたしの時間に不満を差し挟まないことにかけては上手いと言わざるを得ない。
そろそろ話をするにも飽きてきたかな、と自覚するより少し前に、男はわたしの吸っていた煙草を指からひょいと取り上げて、唇を合わせてきた。こういうところが、やはり呆れてしまうくらいに上手い。
図らずも苦笑したせいで、わたしの唇は一瞬だけ、歪んだ。

 数年おきに繰り返されるこの不毛さを、わたしは嫌いじゃない。
与えられている幸せと過去に踏みにじってきた不幸せとを醒めた眼で俯瞰すること自体は、いまを客観視するために決して不毛な作業ではない。


「じゃね。次に逢うときまで、死ぬなよ~。」
「逢いたけりゃ地獄にメールすればいいでしょう。アドレスは一緒よ。」

笑って答えながらわたしは扉を閉めようとした。
そういえば、昨夜から今までの間に、歯を見せて笑ったのはこの一度きりだ。
わたしを愉しませないという点においても、やっぱりこの男は非常に上手なのだ、と思った。



 



競馬初体験。

2007-06-15 | 徒然雑記
 
 私は、賭け事というものに全く興味が無い。
 自分の人生以上に面白くリスキーな賭け事を知らないからだ。

 パチンコとかスロットとかいうやつに、大学生の頃に連れていって貰ったことはあったが、何が愉しいのか判らず、暇だなぁと思っている間に終わってしまった。
宝くじというものを生まれてこのかた購入したことがないのは、「当たった」といいう友人にこれまで出会ったためしがないからである。そもそも、年賀状の当選番号を確認することすら忘れたまま過ぎていってしまう年も多い。

そもそも、商店街の福引などで、赤い珠(※地元では大抵、赤い珠がハズレ)以外を目にしたことがない。
「大学受験でお前は一生分の運を使い果たしているんだよ。」と云われたことがあるが、なるほどそうかもしれないと思う。

 そんなわけであったが、この度幸運にも「業務で」競馬場にゆくことができた。賭け事自体はドウデモイイのであるが、競馬場(しかもよりディープであろう地方競馬)に行くことができるのはうきうきものなのであった。

 客層は、事前に色々な人から気をつけるようにと注意を受けていたほどには乱暴でも荒っぽくもなく、時にはセクハラを交えながらも極めて親切に接してくれた。
パドックは近く、馬がぱかぱかと歩いているさまがよく見える。気性が荒いか機嫌が悪いかで道と無関係なところを突っ切る子や、道があるにも拘わらず芝生のところしか歩きたがらない自由な子、パドックで歩いているだけなのにつまずく子、と馬を見ているだけで飽きない。

 運良く、業務には社内(の一部)で「ギャンブルの神様」と呼ばれている方が一緒であった。そして、専門紙(新聞)の読み方から馬券の買い方まで丁寧に教示してくれた。
 さらに、帰りがけのおじさんが「もう帰るからこれやるよ。」と専門紙をくれた。上司が既に購入済みであった新聞と別の会社のものだったので、それぞれの予想を比較しながら馬券を購入した。

1) あまりベタなものは買わない。
2) あまり狙い打たない(※連単は買わない)。
3) 馬を見てから新聞を見る。

という自分ルールを決めてみた。
結果、気に入りの子がスタートで躓いたり、途中で失速したりと惜しいところで外した。そうして、殆どの人々がみな「おしいところで外したぜ」と思っているに違いないことが推察できた。そういう感情になるようにうまい仕組みができているのだ。

 そして、ゲームセンター感覚で愉しめればよいのだと思った。ゲーセンでは、そのうち事故ったりプレイヤーが死んだりしてゲームオーバーになることを予測したうえで数百円を投入する(※コンプリートしたい人は別だ)。数百円でゲームをしている短い時間の享楽気分を買っているわけなので、それと同じ気分で競馬を愉しめればコストは一緒である。しかも、目の前に美しい競走馬がぱかぱかしているのだから、それを見て綺麗とか可愛いとか感じることは充分に可能だ。


さて、来週も同じ仕事が待っている。
今から楽しみだ。



Line Rider

2007-06-10 | 徒然雑記



 風邪をこじらせて、寝呆けた週末であった。
 自分に課した仕事のノルマだけはなんとかこなした。

 
 熱と喉の痛みと身体の痛さで、連続で長時間寝続けることはできない。

 というわけで、天気も悪いことだし、久々に引き篭もっていた。

 
 

 【今週末のおもちゃ】

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 【感想】

○ 久々に、物理のことを考えた。
○ 数式は判らないけれど、現象としての物理は愉しい。
○ 自分の(他人の)大雑把さがわかるゲームだ。
○ 自分の(他人の)負けず嫌い根性もわかるゲームだ。





評価(語録) 9。

2007-06-04 | 無双語録
 昨年とは異なり、今年は年度始めから乱高下した多忙さが続く。
 おそらく、いま暫く続く。今暫く・・・・いつまでだ?

忙しい中にも、日々どこかしらに笑いが起こる職場というのは素晴らしい。
大概の時間は、それぞれが黙々と机に向かい、黙々と静かに自分の案件と静かな取っ組み合いをしている。そして、ふとした瞬間に、笑いは生まれる。
それはとても、恵まれていて、満ち足りたことだ。



「お前とかお前の友達には、人見知りっていう言葉はないのか!」
「あなたが人見知りしすぎなんです。」


「お前、ビーチに行くってことは、水着になるってことだぞ。」
「それは、社会的に迷惑だからやめろっていうことですか。」
「いや、そこまではっきりとは誰も言ってない。」


「お前は只でさえ存在が不気味なんだから、腰骨とか鳴らすな!」
「逆も鳴らしますので、暫く耳塞いでいて頂けますか。」


(突発的に私に勉強させたいものシリーズ)

「お前、ハングルとか勉強しろ。読めるようになったら褒めてやる。」

「暗算できるようになれ!○○さんは3桁の暗算できるんだぞ!(※嘘)」

「リラダンを読まなくては駄目だ。この教養なしめ。」


(珍しく褒められた際の反応に対して一言)

「もうちょっと嬉しそうな顔をしろ!」
「すみません。驚きすぎて顔がフリーズしました。」


(鼻炎薬服用後、睡魔と闘っている最中に発せられた一言)

「あのさ、薬飲んだんだけど、すごく眠くてたまらん。」
「そうですか。どうしましょうねぇ。」
「・・・お喋りしよっか。」
「・・・私の仕事が滞るので、それはやめてください。」


(珈琲を一杯奢って貰った際の一言)

「これで400円分お前を怒鳴り散らせるな。」
「残念ですが、1/2回分ですね。」
「なんだ、一回800円か。」
「いえ、いつもお世話になっているので、千円のところを特別におまけです。」


(ジュースを一杯奢って貰った際の一言)

「なんで俺がお前に貢がなきゃならないんだ。」
「貢いでいるうちに入りませんから、安心してください。」





【過去記事】(進化の過程)


評価(語録)Ⅰ。
評価(語録)Ⅱ。
評価(語録)Ⅲ。
評価(語録)Ⅳ。
評価(語録)Ⅴ。
評価(語録)Ⅵ。
評価(語録)Ⅶ。
評価(語録) 8。

ワードローブ (Part-3)。

2007-06-03 | 物質偏愛
【参考記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。」】


 さて、三週間前にオーダーをしたスーツが出来上がってきた。
一言で仕上がりの感想を云うならば、「成る程、そういうことか。」といった感じだ。つまり、良くも悪くも、事実確認の域を出なかったということであり、それはある意味、オーダーであることの目的をきちんと果たしてくれたと云い換えることもできよう。

というわけで、以下に今回のオーダーの点数をつけてみる。

1) 着用時のシルエット ⇒78点
 ジャストサイズを意識して作ったことがありありとわかる。
胸の邪魔さ、もったりかつ鬱蒼とした感じはかなり抑えられている。しかしサンプルとして持ち込んだジャケットよりも更にウエストを絞ってあるようで、もしかしたら若干動きにくいかもしれず、今後改善の余地がある。
背中部分はかっちりとした骨格をよく生かしてシャープに、肩部分は逆に幅を抑えて静かな風情でまとめてある。余計な皺がないので総合では合格点である。
 
2) 縫製 ⇒82点
 印象では、「緩い縫製」。丁寧に見えるので、あとは使用してみて今後の経過を観察してみたい。
生地の取り方には若干の雑さが見られるが、重要なところではきちんとストライプを合わせてきているので一見したところの減点はないと見てよい。

3) 首周りと襟 ⇒80点
 首が細いために詰めた首幅はジャストサイズにまとまり、緩みや余りがないのは非常に好ましかった。その分だけ左右に広がってしまって肩幅が広く見えがちになることが予想されたが、まあ許容範囲と云えよう。
女性用であるため、テーラー襟でも若干の丸みを(ほんとに若干だが)感じさせるのは致し方ないのであろう。

4) 前ボタン位置 ⇒81点
 胸で襟がぱかっと開いてしまうのを防ぐため、胸下ぎりぎり(鳩尾あたり)に上ボタンが配してある。上ボタンのみを留めた際のジャケットの前合わせはぴったりなことは非常によい。

5) 袖 ⇒ 72点
 アームホールは若干細めだが、動き辛い程ではない。
しかし、袖丈があと5ミリほど長いとなお嬉しい。

6) 本切羽 ⇒40点
 3つボタンのもっとも袖先のみ、糸色変更をオーダーしたが、なにを血迷ったか3つ並ぶうちの真ん中の色を変えてきやがった。面倒なのと、修繕すると生地が少なからず傷むのでこれ以上直さないが、次回ミスったら赦しません。

7) ポケット 65点
 チェンジポケットと通常ポケット、およびジャケットの下ボタン(留めないほう)との高さバランスは悪くない。
しかし、システム上ポケットに自分の好みの角度をつけることができないことが不満として残っている。点数が低いが、今回の仕上がりに対しての不満というわけではない。

8) 裾 ⇒ 54点
 スクエアカットの角に、若干の丸みが綺麗に与えてあるのが好ましい。
しかし、丈が想定より1.5~2センチ短い気がする。次回修正の余地がある。ウエストから尻のカーブにかけて綺麗に沿わせてあり余りもないが、その女性らしすぎるカーブは想定イメージと若干のズレがあった。

9) パンツ ⇒78点
 少し高めのヒップハングで、ウエストはジャストサイズ。余計な皺もなく、最大の幅で依頼したフレアも許容範囲の出来であった(※本来は、さらに太いフレアを希望していたがシステム上不可)。全てのポケットを排したことは結果的によかった。

10) 要望の再現性 ⇒72点
 a) 男性用の生地で
 b) 男前なシルエットを
 c) 身体に添わせたジャストサイズで作る
という、ある意味で矛盾した要望を出したのであるが、そもそもサンローランなどでは通常で行われている様式であるので、理解はして貰えたようであった。
バックシルエットは合格。フロントシルエットは想定よりも若干女性臭さが勝ったか。

11) コストバランス ⇒80点
 微妙に自分の身体に合わない既製品を購入することを考えた場合。
 今回の仕上がりに対する対価として考えた場合。
いずれにせよ、「得したぜ!」とまではいかないが、充分に合格点であろう。



 さて、次回のオーダーは今回の微修正を反映させるとともに、今回とは異なるオプションを加えてみることにしよう。
生地、および裏地のイメージもかなり具体的に出来上がっている。
あとは、生地のセール期間を待つだけだ。