Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

こんな夢をみた【13】。 - 和装の麗人 -

2007-07-31 | 夢十六夜
 潮の香りがする、ひなびた温泉街だった。
台風でも来ようものなら、殆どの宿は屋根が飛ばされて、ばらばらになって海に呑まれてしまうのだろうことが容易に想像されるほどの、貧相な木造の民宿が狭い路地に軒を連ねていた。

 名もない過疎の温泉地には観光客の姿は全く見えず、近隣の老婆がお喋りに興ずるために集まる集会所と化していた。その他の数少ない余所者といえば、身体を壊して湯治・・というよりも、公に湯治に来ていることを知られずに済む安心感のほうをより重視して、むしろひとときの隠遁をしているらしき人に限られた。そうした人は、老婆や爺ほどに年を重ねてはいないし、お喋りを愉しむ風情でもないから、すぐにわかる。私はといえば、おおまかな予定しかないひとり旅の途中にこんな場所に紛れ込んでしまっただけだが、この光景に珍しさと僅かながらのノスタルジィを感じてしまったために、興味本位で一夜の休息を得ることにしたのだった。

 老婆で混みあう湯屋から慌しくあがると、つづきの広い客間がある。私はその外縁に腰掛けた。
「痛。」
座布団やら布団やらが無造作に積み重なる一角に、ここでは無造作がしきたりであるとばかりに腰掛けたせいで、その下に人の足があることに気付かなかった。気付かないほどに、くしゃっとなったその布団は薄っぺらかったのである。

「ごめんなさい。」
慌てて謝罪し、布団の端をちらとめくると、雑多で下賎な宿には不似合いなほど鮮やかな紅い花柄の着物が覗いた。病人らしく、簡易に髪を結い上げた和装の人は、白粉のせいもあるであろうが、そうはいっても真っ白な顔をこちらに向け、気にするなと首を横に振りながら笑った。唇に細く引いた紅がとても艶かしい、それは男性だった。

 女の装いをしているのは、自分が既に男のなりをするのが不可能なくらいに、そして男としての機能を最早失ってしまうくらいに痩せこけてしまったからだと男は云った。彼は、末期の癌であるらしかった。
「自分は今更もう何も思わないけれど、君がもしこうなってしまったときのために、今から心がけていることってなにかあるの。」男は訊いた。
私は、いつも心に留めながらもついつい怠ってしまう年初の遺書執筆について答えた。次の年初には、今度こそやっておくべきかしら、と思いながら。

 もし旅の帰途にここに立ち寄ったとしても、そのときにはもうこの男はここに居ない。そんな確信が、互いの中に確かにあった。そんな相手に対して一瞬の情動が駆け抜けることに理由はきっと存在しない。私はただ、男の着物の袖をきゅっと握るだけで精一杯であった。自らの、そして他者の情動を受け止める余力も機能も失っている男は、私の困ったような切実なる顔を見て、首をすいと傾げて哀しく微笑んだ。私はただ黙って、男の紅い唇に口付けた。





こんな夢をみた【12】。- 虹 -

2007-07-29 | 夢十六夜
 雨があがるのを待って、私は家を出た。
 空の高いところでは風が速くて、青空の間を埋める白い雲がそれぞれ、ぶつからないように互いをうまく避けながら走ってゆく。遠くからは去り行く雷鳴がほんの小さく聞こえてくる。

高層ビルがないぶんだけ、東京よりも空が広い。ビルがない余白箇所の用地を「じゃ、空にでもしておけば。」と後付で与えられる東京の空と違って、空はもとから空という存在としてあり、それは不可侵な領地を当初より与えられている。この広い空が醸す自信は、多分そういう立場の差からくるものだ。この土地の空はもとより広く、この土地の人々は空の言い分も聞かずに空の領地を無闇に削り取ったりはきっとしないのだ。

 木々が呼吸をはじめたばかりのむっとした空気と、低層の建物の白壁に反射する眩しい光との間をこじ開けて歩く。正面の空には、細いけれどもとても大きなアーチの虹がいつしか架かっていた。

私は虹の存在を知らせようと、後ろを歩く者のほうを振り向いた。
「ねぇ。」
そこまで云いかけて、私は黙った。
「なに?」
続きを促すように、後ろの人は私に問うた。
「虹が、ね。」
そう云って、私は大の字を描くように両の手を逆方向に伸ばして、指差した。
恐らく、そのときの私は眉間に皺を寄せた泣きそうな顔をしていたであろう。
私たちは黙って、足を留めた。

 私はそれがあってはならないことを知っている。
虹の存在を知らせようと振り向いたその相手の背中に手をかけるようにして、つまりは最初の虹を発見した場所とは真逆の方向に、もうひとつの虹があった。その虹は、もっと小さいけれど幅の太い、空の低いところにしっかりと掛かる錦帯橋のような風情の虹であった。

 
 小さいほうの虹は、一瞬ふるっと色味を増して震えるような仕草を見せた。そしてその直後、虹の七色は静かに分離し始めた。七本どころではないもっと多くの色に分かれた虹はそれぞれが糸のように細くなり、微妙に異なる沢山の青や沢山のオレンジ、緑が強い風に煽られ、五色のように棚引き流れ始めた。突き抜けるような空に五色の糸が奔放に広がり、青かった空を不吉な無邪気さで汚した。

私の髪に絡んで、はらと黄色い糸が零れ落ちた。
頭上を見上げると、恐らくもうひとつの虹が解けたものであろう、五色の糸が更に細かく解れて、雲がない部分の空をぐちゃぐちゃな色に染め上げていた。青い空はまるで絵筆を洗ったあとのバケツの色となって、私たちの身体に色とりどりの綺麗な五色を降らせ続けた。



帽子と社会性。

2007-07-22 | 物質偏愛
 他の民族のことはよく知らないながら乱暴に云ってしまうが、近頃の日本人は帽子を被るのが本当にうまくないと思うのだ。
 日本橋や銀座あたりでは、冬にもなると自分の親よりもはるか年上の男性たちの一部が、本来ならより美しくあるはずの若い世代よりもはるかに美しくしゃっきりとスーツを着こなし、それにさり気なく帽子を加えているのを目にする。それは必ずと云ってよいほど私の目を奪い、「私が男であったならなぁ」と思わせる。「日本人は民族的に体型が違うから、洋装が似合わないのだよ」というのが怠慢な言い訳であることを彼らは証明してくれる。

 上記の御爺さんたちの姿に象徴されるように、帽子の文化は昭和初頭までは確かに日本にも息づいていたはずだ。その後、どのような経緯か知らないが日本から正統なる帽子の文化は失われた。
 今では、どんな路面店でもデパートでも季節ごとにあまたの帽子が売られている。私は帽子という、本来あってもなくても全く生活に支障のないアイテムが大好きであるので、必ず季節ごとに店頭をチェックする。そうして、まるで洋服と同じようにモードの上っ面だけを乱暴になぞっただけの帽子しか見当たらないことに、がっかりする。

 近頃の帽子は、服の延長として捉えられているように感ずる。
 私にとっての帽子は、靴の延長として捉えるべきものである。
そこに、小さいようでどうにも埋まらない大きな齟齬が生じるのであろう。

 服は(※正装、スーツ以外)、自由に組み合わせてよく流行り廃りが顕著な消耗品である。一方、靴は本来万能であり、長持ちさせるべきものであったはずが、昨今の廉価傾向とデザイン化により、服と並ぶくらいに消耗品化してきているのが事実だ。多分、昨今の若者は、消耗品としてのお洒落用品に成り下がった後の「靴の用途を持つもの」に最初に触れる。本物の「靴」に触れるのは、もっと後だ。
 帽子はきっと、靴の低俗化に引っ張られるようにして、消耗品の仲間入りをしてしまったのであろう。それはとても残念なことだ。


 帽子は、被っている最中は別にその重要性を思わない。
それを被る瞬間やはずす瞬間、あるいはそれを被っていてはいけない場所において、本来あるべき場所になく手に持たれている状態。そんなときに、帽子はとてつもなく華やかに、ひらめく。

 雨が降ってきたときに、被っていた帽子をきゅっと深めに傾ける。
 知り合いに出逢った瞬間に、笑顔とともに片手でするりと帽子を脱ぐ。
 美術館や自社仏閣に入った折に、敬意をもってそれを外す。
 誰かとの別れ際、店を出る際にきゅっと帽子を被る、ひとときの別離の合図。

帽子が動くときは、何らかの環境変化が起こる(起こった)ときだ。
環境の変化を、仕草として自分の身に反映するのは、モードが含有する社会性の体現。その様式美がとても芳しいから、私は帽子が好きなのだ。


 これを読んで、万一にも新しい帽子が欲しいな、なんてふと思いついてしまった人が居たとしたら、その方には是非イタリア製の帽子を選んで欲しいと思う。
帽子の文化がある国で作られた帽子は、価格の如何に拠らず、その風情が日本のそれとは全く異なることに気付くだろう。






色彩バトン。

2007-07-19 | 伝達馬豚(ばとん)
 ROSE PARADICE という名の爪紅を塗りつつ、気付いたことがあった。
「ここ暫く、部屋に花を飾ってないや。」
 自分以外誰もいない部屋で、呟いた。

 昼には会社の窓から灰色の空ばかりを眺めて、夜には濡れた道路に映り込むヘッドライトの薄黄色とテールライトのオレンジがかった赤を眺めて、そうして私の眼の奥に貯蓄される色が偏ってゆく。万華鏡しかり、色はとりどりであって、リズムを伴ってこの眼窩の奥に沈殿すればこそ、視神経から脳を通じて、しまいには心までをも彩る。


【Q1:赤といえば?】
メメントモリ。
血液、炎、爪。果実。生命の継続と、それが事切れる瞬間とを同時に想起させる不思議な色。
私は体調が悪くなると、爪を赤に彩って、自らを鼓舞する癖がある。

【Q2:青といえば?】
憧れ。
アフリカの高地、あるいは遮るもののない砂漠から見上げた、深い深いそら。
私が「あお」と聞いて最初に浮かぶ色は、なぜだかいつも群青なのだ。
それは、問答無用で泣きたくなる、美しくて届かなくてたまらない色。

【Q3:オレンジといえば?】
アクティブな混沌。
橙とも、茜とも、山吹とも言い切れず、様々な明度や彩度の「オレンジ」が入り組み絡み合ったとき、最も美しいすがたを見せるものだと思っている。夕焼けのように。

【Q4:黄といえば?】
ある国で、僧侶が纏っていた聖なる色。
強い太陽の下でそれは大層高貴で輝かしく、あんなにも自然発光する黄色を私は初めて見た。それは、金よりもむしろ光に近い色であった。

【Q5:緑といえば?】
夏山。
私の心を妖しくかき立て、私の心を幼く深い眠りに落とさせる、それはそれは深くて艶のあるとろりと滴りそうなみどり。子供の頃の私がいつも手から離さなかった色鉛筆の色。

【Q6:紫といえば?】
紫貝。白。
purpleは赤系の紫(紫貝由来)、violetは青系の紫を指す。
要するに、私は赤系の紫のほうをより好きだということだ。
そうして、紫貝は殆どの箇所が白い(※2000個→染料1g)。明石の衣装は紫に白の重ね。諧謔的かもしれないが、紫といえば、白なのだ。

【Q7:紺といえば?】
宵闇。
ブルーの面影の残る紺はすきではない。
湿った闇のような、黒と並んではじめて紺とわかるような鉄紺、あるいは茄子紺(とことん、紫寄りだ)は、人を油断させるぶんだけ、ときに黒よりもセクシーだ。

【Q8:ピンクといえば?】
少女。
正確には「少女性」。女性がその色を見て無条件に「可愛い」と認識してしまうのは、それが幼い頃に失くした、自分の無邪気に紅潮した頬の色だからなのかもしれない。

【Q9:茶といえば?】
食物。それに育てられたもの。
大地から繋がる肉や植物、それを食って生きる動植物や人間が共通して有する色。この色を身に得ていることこそが、この星で暮らす権利の象徴なのかもしれない。

【Q10:白といえば?】
病院。欺瞞。嘘。
白は白単体であることによって、緊張を生ずる。
白は、その傍らに別の色があることによって、はじめて優しくなれる。

【Q11:黒といえば?】
存在と不在。
最も心落ち着く色。高貴でしなやかで、決して凸ではない湿度と温度を伴ってミクロに蠢く凹の色。

【Q12:金といえば?】
祭り。
何とも融和できないその色は、その独立性ゆえに至高のものとなる。
祭という現象の火花感、祀られるなにかの非融和性のなかに、それと似たものを見出してしまうのは、気のせいなのであろうか。

【Q13:銀といえば?】
20世紀。
機械、ひいてはプラントを想起させる色なのだと思う。
ごてごてしたガラクタじみたプラントは、硬質な銀色が痛んでくすんで、たまにはまるで生き物のように溜息をつく。それは、多分21世紀の風景ではない。

【Q14:グレーといえば?】
水面。袈裟。
美しい湖面ではなく、井戸や川などの卑近な「たまり水」の面。
淀んだ鏡は利休鼠。もうひとつの世界、もうひとつの人生を映し込む。消極的なほど密やかに、光を吸収しながら。

【Q15:お疲れ様でした。大好きな色を一つ教えて下さい。】
好きな色には、きっと、名前などない。

【Q16:バトンを受け取る人】
色から音楽を想起することができるあなた。





ワードローブ (Part-4)。

2007-07-15 | 物質偏愛
【参考記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。
ワードローブ (Part-3)。


 最近、20代などの若い世代でイージーオーダーが定着しつつある。
大都市部に限られる現象であろうが、一部の若い世代が財布に余裕ができたときに、自分の価値を上げるためにブランドスーツに頼るのではなく、自分の眼で自分のためのベストチョイスをする方を選択できる自信がついてきたということは、とても素晴らしいことだと思う。
 その潮流の背景には、情報の取捨選択能力の異様なる高さや、既存のブランドや大企業などの既成の価値への不信感、出来合い品の購入ではなく「チョイス」型の購入方法の定着・・など、様々な要素が複雑に絡み合っているのであろう。その全貌が、私にはまだよく掴みきれていない。


 さて、オーダースーツ屋にも夏物一掃セールがある。
 そこで、前回の仕上がり時に評価が低かった部分に微修正を加える形で、2着目の仕立てに挑戦することにした。
今回は、ビジネスのみならず、受付やらレセプションやらの微フォーマルなシーンにも使い勝手の良い黒にした。今回のオーダーは以下の通り。

○ 生地はイタリアの美しい黒。黒も様々あるが、今回の黒は「しっとり」だ。
  幅の狭い織柄のダブルストライプは、光沢が華やかだ。

○ 裏地は臙脂(ワイン)。本当はゴールドのつもりでいたが、よい色がなかった。
  袖裏は、同系色の暗い赤をベースに、緑や白の変わりストライプが入ったもの。

○ ボタンは、黒生地には黒が一般的なところ。
  しかし、イメージが堅くなりすぎるのを避けるため、水牛の濃茶ツヤ有りボタンをチョイス。
  特に白い斑が入っていないものだけを選別するよう依頼。

○ 袖口は4つボタンの本切羽。
  袖先から2つめのボタンのみ、裏地と同じ臙脂色に糸色変更。

○ 基本シルエットは前回と同じ。
  テーラー襟、シングル2つボタン、ノーベント。チェンジポケット付き。



 前回の仕立てを受けて改善を試みた点は以下の通り。


1) 胴周りのシルエット
 前回、ウエストをジャストサイズに絞り、襟元が開かないためにボタンを鳩尾辺りに付けた訳である。着てみると、胸に引っ張られてボタン位置がきゅっと上に持ち上げられ、サイズは丁度であるのに若干身動きが苦しい。
 今回は、ウエストの絞りを緩めることなく、胸下ボタン位置付近のみに僅か1cmの緩みを設けることで、改善ができるかどうかを試みることにした。

2) 袖丈
 私は、ちびっこの割には腕が長い。仕事柄、ぴしっと腕を伸ばして立っていることよりも、机に向かって誰かと体面していることのほうが多い。よって、腕を曲げているシーンがデフォルトであるため、袖丈はジャスト丈より幾分長めのほうが見栄えがよかろう。ということで、前回57cmだった袖丈を57.5cmに伸ばした。

3) 着丈
 前回の着丈58cmは、ジャスト丈であった。
 黒のフォーマル性をほんの若干強めるため、今回は1cmだけ長くすることにした。

4) 襟幅
 同じく、黒のシャープさとフォーマル度を生かして、前回よりも0.5cm狭く。



 さて、今回はどのような仕上がりになるであろうか。
 フェルトのシャッポが似合うようなものに上がってくれば、目論見通りだ。




 
 

塗り絵設計者の苦難。

2007-07-13 | 徒然雑記
 最近、アンケートに答える機会が減った。
 多分、アンケートを作る機会が増えてしまったためであろう。

 近頃になってようやく、アンケートの作成は塗り絵の原本を作ることなのだということを実感した。
アンケートを作るということは、質問に答えて貰うこととはどうやら似て否である。尋ねたいことを具体的に書いて、「どうなの?」「どうしてなの?」と訊けば、「それはね・・」と教えてくれるものとはどうやら限らないらしい。

 塗り絵を塗る子供たちは、太い墨線で描かれている枠の中、とくに枠ぎりぎりのラインばかりを(色がはみ出さないように)見詰めているものだ。子供たちは、塗り始める最初に絵の全体を見渡して、ここにどの色を置こうだとか、ここを先に塗って、あそこを最後にしようだとかいう設計を思わない。最初に目に留まったエリアを塗りつぶしたら、色鉛筆を持ち換える。そのとき、今まさに塗り終えたエリアから遠くのところへぴょんと飛んでしまうことは少ない。大抵は、塗り終えたエリアの近所のどこかを新しい色で塗りにかかる。同じ色を別のエリアに使うから先にそこだけ塗ってしまおうだなどと、そのときにはまだ気付かない。そうしてどんどん領地を広げて、やっと全て塗り終わったときに、その全貌をはじめて知る。

 しかし、全体に到達できないものもある。自分の塗ろうとしているものがリボンなのか髪なのか服なのかが明瞭でないと、子供はそれに乗せる色が判らずに躊躇する。あるいは墨線が中途で途切れていたら、「塗り潰す」という行為を拒絶されて子供の筆は止まる。こちらが用意した色の種類が少なかったら、「それじゃ足りないよ」と勝手に色を混ぜ始めるか、放棄されるかのどちらかだ。鉛筆を持ち換えることが面倒になったら、隣接する複数のエリアを考えなしに同じ色で塗り潰してしまう。

 そのほかにも、ひとつのエリアが広すぎたり、あるいは狭すぎたり、エリアの数が足りなくて色を持ち換える愉しみが少なかったりと、子供たちに一瞬の苛立ちや飽きを覚えさせてしまったら最後、塗り絵の完遂に至る前にそのページは繰られ、次の白紙へと移っていってしまう。塗り絵が完成に至るまでの障害は、原本の出来不出来と子供たちの心理(※子供たちの心理を把握できている原本が不出来であるはずは概ねないのであるが)の間に横たわる絶妙なバランスだ。


 回答者がアンケートに答えるという行為は、原本の思惑通りに塗り絵の枠を塗り潰す行為に他ならない。
 ただエリアごとの色が異なるだけの、完璧に仕上げられた塗り絵ばかりを提出させるために必要なことは、存外たくさんあるようだ。






チーズと奈良漬。

2007-07-12 | 徒然雑記
--- 希望なんかあるもんか、
   救われたりもするもんか。
   辛抱強く修行をしても、
   刑罰だけが確実だ。     (ランボー 「永遠」1872)


 苦痛と我慢が自身の食餌だった頃、苦痛は苦痛でこそあれ、そして我慢は単に我慢であって、それで完結していた。そこから派生して、苦しいだとか淋しいだとか切ないだとか思うことはとても少なかったように記憶する。なぜなら、からっぽの中を生きている場合において、苦痛はそれだけで歓迎すべきお客様であるし、それに対する我慢は大いなる暇潰しでもあるからだ。わたしはそれらを諸手挙げて受け入れた。

 苦痛に代わる食餌が目の前に与えられたとき、当然目新しいもののほうが美味しいに決まっているわけなので、わたしはそれに手を伸ばした。苦痛に代わるものたちは、思いのほか様々な種類のものがあった。
苦痛と、それ以外のものとが交互に与えられるようになったとき、わたしはそれに閉口した。どちらかだけが続くのならば、そのどちらであってもその味に容易に慣れることができようものを。チーズばかりを毎日食べていたかと思えば、合間に奈良漬がやってくるようなものだ。その振れ幅の大きさに、ついていけるときといけないときがあってもわたしのせいでは多分あるまい。

 苦痛でないなにか柔らかいものを知ってしまうと、人はそれに甘えるらしい。苦痛のさなかにあって苦痛を眺めることが、以前ほどはうまくできない自分に気付いた。苦痛を眺め、苦痛を玩び、苦痛を宥めながらそれとともに暮らすことに長けていると自認していたわたしにとっては、少なからずショッキングな出来事である。頭痛のせいであるふりをして、わたしは溜め息をついた。

  あの本が今読めたらいいのに。
  あの人に今逢えたらいいのに。
  あの人に明日会わずに済めばいいのに。
  頭痛が今すぐにでも治ればいいのに。


 慣れない欲を、味気ないアイスティーの氷に閉じ込め、噛み砕く。
 溶けてしまえば、その存在は「気のせい」だ。




絵もしくは画家バトン。

2007-07-06 | 伝達馬豚(ばとん)
 美術と無関係な専門職に就いた今でも、私は何者かと問われるといつも「美術屋です」と応える。
それは自身にとっての叱咤と啓蒙に他ならない。


 好きな絵など、数知れない。
 それぞれの絵からは別々のことを学んだから、それぞれに思い出がある。
 だから、全てをここに記すことができない。
 今回は、洋画に限ってここに並べる。幼い頃から好きだったものたちばかりを。


【Q1.PCもしくは本棚に入っている『絵もしくは画家』】
 本棚といえばきりがないので、会社のPCの壁紙ローテーション頻度の高いものを以下に挙げる。(※畢竟、横長の絵が多くなる)

ピーテル・ブリューゲル(父)「反逆天使の墜落
1562
Oil on oak, 117 x 162 cm
Musées Royaux des Beaux-Arts, Brussels

ピーテル・ブリューゲル(父)「バベルの塔
1563
Oil on oak panel, 114 x 155 cm
Kunsthistorisches Museum, Vienna

カラヴァッジョ「洗礼者ヨハネ
1603-04
Oil on canvas, 94 x 131 cm
Galleria Nazionale d'Arte Antica, Rome

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「燭台の前のマグダラのマリア
c. 1640
Oil on canvas, 117 x 91,8 cm
County Museum of Art, Los Angeles


【Q2.今妄想している『絵もしくは画家』】
 宗教画に迸る熱情が、エロスと極めて近いところにあると知った小学生の頃。

ソドマ「聖セバスティアヌス
1525
Oil on canvas, 206 x 154 cm
Galleria Palatina (Palazzo Pitti), Florence

 
【Q3.最初に出会った『絵もしくは画家』】
 ほんとうの意味での最初なんて知らない。
ただ、絵とはなにかを幼い私に教えてくれた人だ。

ベルナール・ビュフェ「酒瓶のある静物
c.1962
Oil on Canvas 38 x 58 inches


【Q4.特別な思い入れのある『絵もしくは画家』】
 聖母子や受胎告知に惹かれるのは、子供の頃から現在に至るまで変わっていない。

サンドロ・ボッティチェルリ「書物の聖母
c. 1483
Tempera on panel, 58 x 39,5 cm
Museo Poldi Pezzoli, Milan

パルミジャニーノ「首の長い聖母
1534-40
Oil on panel, 216 x 132 cm
Galleria degli Uffizi, Florence

アントネッロ・ダ・メッシーナ「受胎告知
c. 1476
Oil on wood, 45 x 34,5 cm
Museo Nazionale, Palermo

カルロ・クリヴェッリ「受胎告知
1486
Oil on wood transferred to canvas, 207 x 146,5 cm
National Gallery, London


【Q5.バトンを回す人】

絵に射抜かれたことがある人。
絵に泪したことがある人。
そして、絵に救われたことがあるあなた。






評価(語録)10。

2007-07-05 | 無双語録
 梅雨に生まれた人が、私の周囲にはやけに多いような気がする。
「真夏に生まれたからあいつは暑苦しいのか?」とのたまう6月生まれの上司に対して、「そんなこと仰ったら、6月生まれの人は皆さんじめじめして薄暗いってことになってしまいますよ。」と無表情のまま答えてみた。苦々しい顔がたまには可愛らしく見えて、よかった。

それが気の迷いならぬ目の迷いであることくらい、最初からわかっている。
たまには主体的に迷ってでもみないと、そうそう都合よく愉しい気分にはなれないものなのだ。



「お前は骨の髄からグロだ。」
「卒論マンディアルグな人に云われたくありません。」


「お前は俺の外部記憶装置だ。俺は忘れるから、覚えとけ。」
「外付けHDですか。でも、バグだらけですよ。」
「・・・まったくだ!」


「俺が云うことは基本的に理不尽だってことぐらいわかってるだろ!」
「そこまではよく判っているのですが、理不尽すぎて方向性は掴みきれません。」


「なんだ、そのこぶたのチャールストンみたいな恰好は。」
「・・・・・古っ!」


「無理して上目遣いすると皺が寄るから、無理せんでいい。」
「じゃ、暗い感じで下向いたまま聞きますのでどうぞ続けてください。」


「お前、ちょっと○○省行って、自爆テロしてこい。」
「構いませんが、貰えるデータも今後貰えなくなりますよ?」


「このグラフ、ぶっさいくだなぁ・・・。あ、お前のことじゃねぇぞ。」
「別に私はどちらでも構いませんが。」


「お前には他の奴より100倍厳しくする代わりに、100倍優しくしてるじゃないか!」
「後半部分に対してのみ、納得がいきません。」
「・・・そうだな、よくて5~6倍だな。」


「お前はなんで社内で襟巻き(※ストールのこと)してるんだ。」
「風邪っぽくて喉が痛いからです。」
「そういや、エリマキトカゲってどこ行ったんだろうな。」
「どこでしょうねぇ。小学生の頃、『わくわく動物ランド』で見ました。」



【過去記事】(進化の過程)


評価(語録)Ⅰ。
評価(語録)Ⅱ。
評価(語録)Ⅲ。
評価(語録)Ⅳ。
評価(語録)Ⅴ。
評価(語録)Ⅵ。
評価(語録)Ⅶ。
評価(語録) 8。
評価(語録) 9。





指天使。

2007-07-01 | 物質偏愛
 「退廃ゴージャスロック」。

 私が自分の身に纏うものたちの性格をできるだけ簡潔に述べようとするならば、概ねこんな表現になる。もう少し補足すれば、赤色系のマニキュアや、シルクの生地や、キラキラしたものたちや、職人仕上げの硬質な靴や、アイスクリームやキャンディー、ひいてはノーブラが似合うような感じだ。
その色調はたとえスーツを着ている折でもドレスでも、日々の私服でも貫かれており、TPOに合わせて各々展開される。

 それなのに、昨年から今年にかけて店頭に並ぶ洋服は妙にふわふわした砂糖の塊のように甘ったるく不安定なものばかりで、まるで買うものがない。
非常に不機嫌なので、なんの脈絡もなく無計画に指輪を購入した。

 点対称の天使の羽二枚に包まれて、まるでおもちゃらしい楕円形のジルコンがキラキラと光っている。それは、硬質な金属で造形された頑強な羽に護られた、孵化間際の卵のように見えた。あるいは、所詮飛べやしない自分の心を、目に見えない誰かの羽が優しく憐れみながら宥め、寝かしつけてようとしているふうにも見えた。

 私の左手中指に居座る指天使(*仮称)の小さくて硬質な羽は、クピドの羽にも満たない大きさで、私の身体どころか心さえも宙に持ち上げることなぞ到底できるはずもない。けれど、もし指天使が偶然にも御機嫌なときには、私の中指の根元でその小さな羽を広げて、その指ばかりをふと持ち上げることがあるかもしれない。


そんなとき、私はふとした誰かに左手を振り仰いで呼び止めてみたり、ぱらりとあっさり手を振ってバイバイを告げたり、あるいは中指を突き立てたりするのだろう。
私は指天使の思惑に気付かないふりをして、時にはその中指の動きに合わせて笑顔なんか添えてしまって、また不運な場合には軽く舌を覗かせながら侮蔑の笑みを湛えてしまったりなぞするのだろう。指天使は、そうやって飛べない私におもちゃを与え、私を宥めあやしてくれているつもりなのだ。



 あなたの指には、どんな天使が棲んでいますか。