火事と喧嘩は江戸の華、と例えられる。
江戸の夏、肌にじくじくと染み渡る厭らしくも儚くいとおしい夏を象徴するような江戸花火。
例えるまでもなく、江戸の華とはつまり江戸花火と等しい。
花火の種は、ゆらゆらと心許なげに天を目指して飛行する。それは弱弱しい羽虫が部屋の中に点された行灯の灯りにゆらりと引き寄せられるさまと同種の死の匂いに彩られる。本能的な残酷さに気付かないふりをした我々は、その危うい匂いに引き摺られ、花火の種が空に描く不安定な軌跡を期待を込めて見守る。その種が開花する一瞬を待つためでなく、種が種としてのすがたを、その命を失う一瞬を心待ちにして。
そのとき人は、薄く笑った形の口を結んで、子供のように空腹な目を輝かせる。ただ待つということを純粋に愉しむ顔を、人は幾つになっても忘れることがない。
不安定な種は不安定なままに、空の真ん中でふとその光を失いかける。人はその軌跡を見失いかける。直情的すぎて自覚すら覚えない程の一瞬の不満足、忌々しい感情に口の端にきゅっと力がこもりかけるほんの一瞬前。見当をつけた種の軌跡とほんのちょっとだけずれた場所に、すべての忌々しさを打ち砕く華がぱっと咲く。
直前まで種のいのちの軌跡を目で追っていたことも、その軌跡を見失いかけて、脆弱と見くびっていたものに裏切られる気紛れな苛立ちも、全てを美しく破壊する光の拡散。それは。
いのちの蒸散。
いのちの昇華。
大きいのも小さいのも歪んだのも、それぞれが破壊的な美しさで次々と空を焦がし続ける。他者の昇華するさまを見て待ちきれなくなった奴らが後追いを仕掛ける狂乱の宵。
人は間抜けに口を開けてその乱舞に見惚れる。
自らの持ち得ない絶対的な華、持ち得るからこそ一層忌々しい不安定さ、思考を破壊される本能的なカタルシス。
自らの成し得ないことを、自らの身体からは到底生み出すことのできない破壊やら美やらを総て花火に背負わせた。だからこそ人はそれを作り、鑑賞し、それを貪る主体であるにも拘わらず、その心を刺し貫かれることにこんなにも寛容だ。
生命と毒々しい色彩に彩られ、死や罪などの湿った力がふわりと浮かび上がる夏の宵。
曇天をいっぱいに焦がし続ける華は、ひとつひとつが誰かにとっての贖罪となる。
それは非常に身勝手な、どこまでも無意識な、浄化。
江戸の夏、肌にじくじくと染み渡る厭らしくも儚くいとおしい夏を象徴するような江戸花火。
例えるまでもなく、江戸の華とはつまり江戸花火と等しい。
花火の種は、ゆらゆらと心許なげに天を目指して飛行する。それは弱弱しい羽虫が部屋の中に点された行灯の灯りにゆらりと引き寄せられるさまと同種の死の匂いに彩られる。本能的な残酷さに気付かないふりをした我々は、その危うい匂いに引き摺られ、花火の種が空に描く不安定な軌跡を期待を込めて見守る。その種が開花する一瞬を待つためでなく、種が種としてのすがたを、その命を失う一瞬を心待ちにして。
そのとき人は、薄く笑った形の口を結んで、子供のように空腹な目を輝かせる。ただ待つということを純粋に愉しむ顔を、人は幾つになっても忘れることがない。
不安定な種は不安定なままに、空の真ん中でふとその光を失いかける。人はその軌跡を見失いかける。直情的すぎて自覚すら覚えない程の一瞬の不満足、忌々しい感情に口の端にきゅっと力がこもりかけるほんの一瞬前。見当をつけた種の軌跡とほんのちょっとだけずれた場所に、すべての忌々しさを打ち砕く華がぱっと咲く。
直前まで種のいのちの軌跡を目で追っていたことも、その軌跡を見失いかけて、脆弱と見くびっていたものに裏切られる気紛れな苛立ちも、全てを美しく破壊する光の拡散。それは。
いのちの蒸散。
いのちの昇華。
大きいのも小さいのも歪んだのも、それぞれが破壊的な美しさで次々と空を焦がし続ける。他者の昇華するさまを見て待ちきれなくなった奴らが後追いを仕掛ける狂乱の宵。
人は間抜けに口を開けてその乱舞に見惚れる。
自らの持ち得ない絶対的な華、持ち得るからこそ一層忌々しい不安定さ、思考を破壊される本能的なカタルシス。
自らの成し得ないことを、自らの身体からは到底生み出すことのできない破壊やら美やらを総て花火に背負わせた。だからこそ人はそれを作り、鑑賞し、それを貪る主体であるにも拘わらず、その心を刺し貫かれることにこんなにも寛容だ。
生命と毒々しい色彩に彩られ、死や罪などの湿った力がふわりと浮かび上がる夏の宵。
曇天をいっぱいに焦がし続ける華は、ひとつひとつが誰かにとっての贖罪となる。
それは非常に身勝手な、どこまでも無意識な、浄化。