Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

封蝋

2009-02-26 | 春夏秋冬

 一枚のカンヴァスが目の前にあって
 わたしはそこに紅い封蝋をぼたりと垂らす
 紅い封蝋はミルククラウンのようにはじけて
 短い触角が沢山生えた太陽のなれの果てみたいになる


 わたしが「おしまい」と云えばこの絵は完成
 わたしが「まだ途中」と云えば描きかけ
 実際のところはどちらでもない


 じっとりとまだ乾ききらない太陽のなれの果ては
 一時間すればかぴかぴになって
 一年すればぴりぴりわれて
 重力との拮抗具合によっては一部分が剥がれ落ちるし
 ときには全部がぼろりとかさぶたのように取れてしまうことも
 カンヴァスは光を浴びて黄色くなったり反りが入ったりするかもね


 樹木に覆われてゆくアンコールワットの遺跡の
 完成形や終着点がまるで見当つかないみたいに
 この絵がいつ終わるかなんてわたしにはわからない

 封蝋がぜんぶなくなったら、描いた跡形もなくなるからおしまい
 燃えて灰になったら、絵であることがわからないからおしまい

 ほんとうに?



 ほんとうに?




 

執念深い騎士

2009-02-19 | 徒然雑記
シンプル姓名判断
http://www.kengoueda.com/

【結果】 +7 騎士


■性質(抜粋)

信頼・信用を大事にしていて筋の通っていないことは嫌います。
性格的には直線的で、頑固で多少わがままなところもありますが、女性の場合、わがままは魅力でもあります。プライドが高く、また、かなりの寂しがりやでしょう。さらに、基本的にカタく、ときに深刻になりがちですが、意外とお茶目な一面を垣間見ることができ、そこが魅力でもあります。

恋愛面では好きになったら一直線。つくし過ぎてしまうため、少しだけしたたかさを出してもいいのでは。
自分よりもまず相手のことを極端に思いやってしまいますよね。
こう!と決めたら止まらない、思い切ってまっすぐ突き進んでしまう部分と、繊細な部分が同居しているあなたは、ご自身の器用さ・不器用さをわかっているのではないでしょうか。

■特徴(抜粋)

・「いったい自分が何者であるのかよくわからない」という感覚を持っています。

・自分の考えがはっきりしていて、芯があり、曲がったことや筋の通っていないことが嫌い。しかし、実際にはとても迷いが多く、それを相手になるべく見せないようにしているところがあります。

・プライドも高く、「自分は大物である」「自分自身がブランドである」というくらいの意気込みを持っています。

・本気で決心して突き進んだ場合には、たいていのことはこなしてしまうようなバイタリティがあります。
「自分はこんなにがんばっている」「これだけのことをこなしている」
という具合に、少し行き過ぎ・やりすぎというくらい頑張ってしまうのです。むやみに自分を評価してほしいと求めることはなく、実際に結果で見せ付けようとます。一生懸命やったことの結果を正当に評価されなかったときにはストレートに不満を爆発させるでしょう。

・女性は「できるオンナ」「しっかり者」を貫こうとして突っ張っていますが、時折見せる弱さ・優柔不断さが、とてもかわいらしく映るといえます。意外と照れ屋で、顔が赤くなったりもします。
そんなことを指摘したら余計に突っ張ってしまいますが…


■わたしの落とし方

かっこいい女性を目指しているが実は優柔不断で寂しがりや。
YESマンや、安っぽい人が嫌い。はっきりした人を好む。一度迷いはじめたら煮え切らない面を持っているため、盛り上がったら一気にたたみかけるべし。





タレント

2009-02-16 | 徒然雑記
「きっとさあ、生まれる前の段階で自分で選んじゃってるのよ。今となっては覚えてないけど。」

 僕が「いつになったら、我慢をしないで生きていくことができるんだろうな。」とぽろりと零した一言に、友人は口角だけでにこりと笑いながらそう答えた。
「選ぶって、なにを。」
「自分のタレントよ。」

 友人が云うにはこうだ。
僕らはみんな生まれる前に、いくつもの小さな玉がある部屋にいる時間がある。その玉はそれぞれひとつずつ、「運動神経がいい」とか「視力がいい」とか「忍耐力がある」とか「社交的」とかの素養のカタマリなのだ。
 生まれる前の僕らはそのカタマリのなかから、『ひとり3つまで(実際の数は知らないけれど)好きなのを持って出ていいよ』と云われるのだそうだ。そこで選んだ素養は余程のヘマ(人間として)をしない限り、確実に自分のものとして開花できる。それ以外の素養については見込みがないのかというとそうではなくて、成長過程における経験や出逢いや努力なんかによって、うまいこと芽が出て育つものもあるかもしれないし、だめかもしれない。要するに偶然の産物ってやつなんだそうだ。

 そうして僕は色とりどりの玉に埋め尽くされたその部屋で、たぶん他の玉よりも優先して「我慢強い」とかそれに類するやつを選んだか、あるいは「奔放」とかの玉を手放したんだ。


「もしそうだとして、君は、自分が選択したらしいタレントに満足してるの?」僕は尋ねた。
「選択したものについては、満足してる、多分。けど、持って出られるものは少ないから、かなり吟味したはずよね?そのときに、放棄するものを判断した根拠を知りたいなってたまに思うことはあるわ。」
「どうして?」
「捨てることで失われるだろうメリットを、何で補おうと考えたのかを知りたいの。生まれる前に敷いたはずのあたし自身の軍略をね。」

 友人は右だけの口角をくいと笑った形に作ったまま、煙草に火をつけた。
 
「失ったものを礎に組み立てる軍略かあ・・・」
くすくすと笑う友人の息のように細い声をやけに遠くに聞きながら、決して折れない彼女の弱さの根源がもしもあるなら、僕はいまそれに少し触れてしまったのかもしれないと小さな後悔をした。





口約束

2009-02-13 | 徒然雑記

 一緒に遊んで楽しい人なら探せばそれなりに見つかるものだと思う。
けれど、一緒に生活して楽しい人と、一緒に仕事をして楽しい人(さらにそれが上司ではない場合)はそうそう見つかるものではないと思っている。

「またいつか、必ず一緒に仕事をしましょう。絶対、面白いことができそうな気がするんです。」
もう5年以上前になるだろうか、そう云って前の会社を辞めていった(ほどなく私も辞めることになっていたが)部下がいた。一旦離れたわたしたちのフィールドは、ゆっくりとではあるが、当時とは違う方向へ向かって着実にふたたび近づいているように感じる。

 「俺は日本に来た人に、こういうものを見せたくて、こういう楽しみをあげたいんです。だって、俺が外国にいったときにそういうものが見たいから。」
 「ハイエンドの人だけに、とびきりの文化体験とか手取り足取りの面白いもてなしを独占させるのはおかしい。普通の人だって、一泊に3,000円しか払えない人だって、面白いものを見たいし面白いことがしたいはず。俺はその面白さがどこに転がっているかを示してあげられる人になりたい。」
逃げ場のない主観で語る論拠はとても薄弱で、けれど否定できない強さとひとつの真実が確かにそこにある。自分がかつて得た強い感動を根拠にして且つ冷静にビジネスを考えられる人は、おそらくその方向を間違えない。と私もこれまた贔屓目を多分に含んだ主観で思う。

 私が今の仕事に就いた動機は彼と全く異なる。とはいえ、自分でないもののためになにができるかということをツーリズムの視点で勝手にそれぞれが考えたことによって、アプローチは全く異なりながらも同じことばを同じ温度で語り、愉しい議論ができるところまでようやく互いが近付いた。
この先、どんな仕事を一緒にしようかなんて話し合ったことはないし、ましてやツーリズムの畑でそれぞれが生き延びていることも5年前には想像していなかった。故意に曖昧なままにしておいた口約束が会わないあいだに着実にその輪郭を帯びてゆくことに、私はどうにも言葉にし難い嬉しさと信頼を感じてならない。

これまで、考えが煮詰まったときに思い浮かぶこともなかった彼の顔だが、これからはちょっと考えてみてもいいかな、と思う。「あいつだったら、この状況に対してどう云うだろう。」
こんなことを思うことがすでに、「一緒に仕事をしている」ことなのかもしれない。

実際に顔をつき合わせて仕事をする日が来るまでに、あと10年もあればお釣りがくるだろう。
必ず来るその日が楽しみだ。




カレーの市民。

2009-02-09 | 徒然雑記
 大寒をすぎたというのに今日はまた酷い寒さで、僕は頭痛を引き摺りながら、まだ日暮れ前に帰途についていた。仕事にならないから早退してみたものの、日暮れ前に帰宅することはどうも慣れない。しんどいからとっとと帰ろうよという身体の訴えと、なにか気晴らしがしたいよという心の言い分を互いに聞いたところで、じゃあ少しだけ寄り道をしてから帰宅しようという折衷案に落ち着いた。

 上野公園は、ビル風の突風こそないものの、まるはだかになった木々の枝の間を冷たい風が吹きぬけて、逃げ場のない寒さであった。平日の夕暮れ間近の人通りは休日のそれとは確実に様相を呈しているものの、それなりの人出は僕の気を紛らわせるに足りていた。

 いつか暑い季節に見た大道芸人が、すぐそこにある美術館の庭にある彫像と同じ形で固まっている。観客に気付かれないようにちらちらと不自然に白く塗られた右手首の時計を確認していた。真っ白ないでたちもそのままに、この風の下でそのままほんとうに氷の像になってしまうのではないか(なってしまえばいいのに)という残酷な好奇心が僕の胸をよぎる。すかさず、僕の前に立っていた子供が、くると振り向いて僕の顔を見上げてにぃと笑った。

 木陰の曲がり角では、からっぽのベンチに向かって大きなカメラを抱えた男が地面とキスできるくらいに這いつくばって悪戦苦闘していた。愛する女をより美しく撮りたいと願うような切羽詰ったいらいらが、その背中からぽたぽたと雫のように漏れ出ていた。西日の鋭い光線が、一度、また一度とぎりぎりまで傾いてゆくその過程のどこかに、男が待ち望む瞬間がきっとある。そのからっぽのベンチに、男が憧れるなにかが多分ある。でも、彼にはくっきりと照準が絞れているほんの僅かな希望が僕には見えなくて、そして見えないものは、待てないのだ。

 ほどなく帰宅した家では、珍しく彼女が僕よりも早く帰宅していて、テレビに対してうふふと笑っていた。
「ただいま。今日は頭痛がひどくて早めに帰ってきてしまったよ。」と告げる僕に、
「帰りがけに買ってきたの。懐かしい味がしそうなだけのただの飴なんだけど、なんか珍しかったから。」といって彼女は足元に置いてあった紙袋からがさがさと白くて骨ばったかたまりを取り出した。
「ほら。ね、なかなか精巧で可愛いでしょ。」
くるりと振り向いた彼女は片手を差し出した。その掌には真っ白な「カレーの市民」の一体が置かれていた。そうして彼女は、額の前にかざしている市民の右手をぽきりと折り取ると、「はい。」と僕に手渡した。

 市民の右手には、あるはずのない腕時計の細いふくらみがあった。
 




懐かしい記憶

2009-02-08 | 徒然雑記
 ああ、またあのきれいでかなわない夢をみた。

 どこかの城か寺のようなところで、その部屋は庭に面している。
庭から部屋に差し込む光は眩しく傾いていて、時刻が早朝であることを教えてくれる。町からも、建物の中からも朝の食事の匂いや音は一切せず、殆どの者がまだぎりぎりの眠りのなかにいる。

わたしは既に身なりを整えおわっていて、小奇麗な尼姿になっている。
床の間に向かって部屋のほぼ真ん中に正座をしている。夢のなかでもうひとりのわたしが、尼となっているわたしの姿を左側から静かに眺めている。

尼のわたしは溜息をつくでもなく、静かな静かな風情で帯の裏から懐刀を取り出して、俯きながらその切っ先を静かに自らの喉に当てる。もうひとりのわたしは、焦るでもなく哀しいでもなく、ただその一挙手一投足をみている。

そして、尼のわたしがくっという小さな声とともに懐刀を喉にまっすぐ差し込むと、まるで喉のところで掌を重ねてキリスト信者が祈りを捧げるような恰好になる。その一瞬のすがたがとても綺麗で、もうひとりのわたしはその姿がみたくて、尼のすることから毎回目を逸らせない。

そうして、尼が畳に崩れ落ちるよりも早くに、わたしはいつも目覚めるのだ。


 女を捨てたからとしても何かから逃げられなくて、もと居た住処から逃げ出したとしてもひとりぼっちになりきれなくて、禁忌を犯した駄目な尼。
駄目すぎて可愛くて、おまけにまた目覚めてしまったわたしをこうしてひとりぼっちにさせる、とってもずるくてきれいなひと。


あなたはわたし。
わたしはあなた。

いつになったら、あなたに追いつけるのでしょう。







太陽のうらがわ

2009-02-05 | 徒然雑記
誕生色ってのがあるらしいのでやってみた。
http://nijinet.com/

「誕生色」は4つあり、人によっては「特殊色」があるらしい。
「誕生色」は自分の色であり、メインとなる色。
「特殊色」はヘルプカラーといい、あなたを助けてくれる色。


・・・えっと、4つあるはずのうちの3つが同じ色です。
つまり、2つしかないうえに、超強力にその一色に侵食されてるってこと?
おまけに、私を助けてくれる色はないらしいです。とほほ。


【黄色】⇒ おそらく超強力なわたしの誕生色

理論的な思考能力を持ち、好奇心が旺盛な人。
神経を張り巡らしている人。
新しい情報に敏感。
明るい性格で、優れたビジネスセンスがある。

地球の「大地」をイメージ/春花の色、福寿草、タンポポ等黄色の花
信頼、信用の象意がある(コミニュケーションの色)
明るい陽気な性格、しかし突然暗くなる(批判精神)
(夜空の花火=華やかな一面裏側はさびしい)
黄色のシャドー(影)=妬み、嫉妬の色
自閉症を癒す色(アトピーとの関係)
黄色は危険信号(トラ、蛇)遠くからよく見える色
宝石では、トパーズ(友情)黄


【藍】⇒1/4程度の割合で私を満たしているらしい色

・愛情が豊か。
・思いやりがある。
・感性豊かで、人生を謳歌していく自由人。
・私心がなく、人を助ける人。
・ユニークな感性を持っている。
・素直さが大切です。


緑に近い青色(緑が基本)/大洋の海の色、雨にぬれた樹木の色
波瀾万丈の人生を送るタイプ
ユニークな感性を持っている(メディアの仕事)
危機的な事態を救う人
人の忠告や指導を聞き入れない、それだけ苦労する
ポケットに赤いハンカチを入れておくと意見が通る
藍の色の嫌いな人は気持がバラバラになっている
ブルーベリーは目によい。左目に注意
宝石では、ラピス・ラズリー/ターコイズ(直感力)








憧れの憤死

2009-02-04 | 徒然雑記

死んでしまいたいと願うことは、生きているうちに都合何回くらい訪れるものだろう。
死んでしまいたいという思いが希望のように暖かく感じられることは、これまで何度くらいあっただろう。
自分や、誰かほかのものに対して「死んでしまえばいいのに」とにこやかに悪態をつくことで自分の身を切る思いをするのは、実際に自分が死んでしまうまでにあと何回くらいやらねばならないことなのだろう。


身体じゅうの痛みにガタガタと震えながら、この暗くて暖かいひとりぼっちの夜をあと何度越えていけば、もっと違う希望がそこに見えてくるのだろう。


中世なんかのヨーロッパでは、なんだか流行りのように「憤死」っていうのがあったかのように世界史の教科書には書いてある。
憤りの果てに死ぬなんてなんかカッコいい。直感でそう思ったときから、「憤死」と「腹上死」は私のあこがれになった。

憤るには力が必要で、絶望するにも力が必要。
憤死に辿り着くまでにはどのくらいの日時とエネルギーが必要なのか、知りたい。
記述によれば、よく「毛穴から憤りのあまり血を噴き出して」とあるが、それは物理的になかなか難しそうだとも思う。判りやすいのは多分脳の血管がぷっつり切れることくらいだが、従来低血圧の私には縁遠そうな気がしないでもない。


ひとりぼっちの夜に、憤死に向けてのやるせないあこがれとかなり果てしなく長そうな道程を思っては、寒い部屋でこうしてキーボードを叩く。
だけれどわたしは、あと数時間も経てば朝のひかりがわたしを暖めてくれることすら信用できない馬鹿だから、そうそう簡単に憤死までの最短距離を見つけることはできないかも、と哀しくなる。