Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

ワードローブ(Part-8)。 - ビターチョコレート -

2008-01-27 | 物質偏愛
 今回、よたびスーツを作るにあたり、そろそろ「万能使いの優等生」は要らなくなった。その条件下で次を検討するにあたり、私を悩ませてきたキーワードが4つある。
『ブラウン』『ウインドウペーン』『変わりストライプ』『メタルボタン』がそれだ。
そして、今回はブラウンを実現することにした。

 来期はブラウンのスーツが来るらしい、と雑誌には書いてある。
とはいえそれは日本市場においては嘘っぱちだと思う。
様々な人種の人々が様々な色柄のスーツを着こなしている欧米とは異なり、「紺かグレーが無難です」と教え込まれた日本人の間では、どうしてもこの2色の人気は衰えようがない。さらにこの2色は、ブラウンと比較すると彩度・明度ともに低い色目であるため、シャツやタイとの色合わせが非常に楽なのだ。これらの色目が席巻するオフィスあるいは社会の中で、「ダークブラウン」と云ってもかなり明るさと派手さを伴う目立つ色を着ることは、恐らくかなりの冒険なのだと思う。
これをお読みの男性諸君、やっぱりブラウンは二の足踏みますか?

 さて、二の足を踏む理由もない私にとっての理想のブラウンは、上記に写真を掲載したZegna(2007秋~冬商品)の色目である。
イメージは【カカオ68%のビターチョコ】。(※実際のチョコはもっと黒いんですけどね)

 華やかで、艶やか。闇には溶けないけれど、夜の湿度に溶けそうな色。
だったら夜に溶けやすいように、昼の光にも映えるのがいい。とろっとした風合いの中に、スパイスのように光沢のある飾り物を添えて。



【懸案事項で今回叶ったこと】
○ 袖フレア
○ ステッチの糸色変更&ネーム糸色変更


(1) 素材
○華やかなチョコレートカラーに、幅狭めの白色ペンシルストライプ


(2) デザイン
○ジャケットにはフロントのみハンドステッチ(コバ)。
○センターベント
○襟幅7.5cm
○フロント2つボタン、フロントカットに丸みを付加
○袖口本切羽の4つボタンは、間隔をぎりぎりまで狭く
○チェンジポケットなし
○パンツの裾は3.5cmのダブル


(3) 色
○裏地は京紫(赤系の紫)。袖裏は黒地に紫系変わりストライプ
○ステッチ、袖ボタンホール、フラワーホール、ネームは糸色変更。
 「生地よりも若干明るめの茶色で」という指示だが、さてどうなろうか。
○ベージュ&茶系統の光沢ある変わりボタン使用(袖口も)。
 名前を「スターダスト」というように、キラキラしたおかしなボタン。
 貝ではないからフォーマルではないが、無意味にドレッシー。




【過去関連記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。
ワードローブ (Part-3)。
ワードローブ (Part-4)。
ワードローブ (Part-5)。
ワードローブ (Part-6)。 - グレイのポテンシャル -
ワードローブ (Part-7)。 - 華やかなグレイ -



男の役職。

2008-01-22 | 徒然雑記
 
 「俺、君に一目惚れしちゃった。」
 男は酒に酔ったとろんとした目をして、わたしの腰に手を回しながら耳元で呟いた。わたしは他所を向いたままふふふと笑って、「よかったわねぇ。」と答えた。
 気がなさそうに笑ったのは、男の呼気が切ったばかりの私の髪を揺らして耳がくすぐったかったせいだ、ということにしておいた。だいいち、ほんとうに一目惚れをしてしまった人が、逢って一時間もしないうちにその事実を当人にぶちまけるはずもない。そんなことを平気でのたまえる分だけわたしはその男にとってどうでもいい存在なわけで、それはそれで馬鹿馬鹿しくも愉しいやりとりかもしれない、と思う。

 携帯の着信が鳴る。数ヶ月逢っていない人の名前が表示されたので、電話に出る。
1分も経たずに電話を切ると、「じゃぁ、わたし帰るね。呼び出されたから。」と誰にともなく(というかその場に居る顔見知り全員に向かって)云って、席を立った。
「彼氏?」先ほどから私の隣に居座っていた一目惚れ男が尋ねる。
「違うよ。男ではあるけれど。」と一瞬あけて答えた。友人と呼ぶほど親密なカテゴリではないし、彼氏はちゃんと別に居るし、どんな役職がその男に相応しいのか咄嗟に判らなかった。そうして考えた挙句に、性別が男である、という判りやすい事実のひとつだけを掻い摘んで紹介することで留めた。一目惚れ男はそこで少しばかりむっとしたような表情を浮かべた。

 そこでそんな顔をするのはお門違いにも程があるけれど、一目惚れ、という言葉を3回も5回も繰り返していただけあって、自身に演劇的な暗示を掛けていたのだろう。いいところで劇の幕が下りて、「はい、続きが見たかったら翌日お越しくださいね」と云われたようなものだ。先刻までの一目惚れ”風”のとろんとした顔は途端にしゃっきりして「今日はありがとうね。」なんて云っている。わたしは笑顔で頭を撫でながら、このへたくそめ、と思う。自分を騙すのも、他人を騙すのも。

 彼氏、とか一目惚れ、とか、そういう判り易いキーワードはある意味人の心を、いや人の心の中での居所を安定させる。それよりも、いまどこかでわたしを待っている男のほうが、「男」としか説明できなかったボンヤリした男のほうが、より一層不安定でリスキーな存在だ。

 もう出逢ってから数年経つけれど、今更云ってみようか。
「実はわたし、初めて逢ったときに一目惚れしてたのよ。」
本気にしたとしても、嘘だと判っていても、きっと椅子からずり落ちるに違いない。
その様子を想像してくくっと笑いがこみ上げてくるのを堪えた。




サカキバラ先生。

2008-01-18 | 徒然雑記
 冬という季節は、人のなかで耳をとりわけ大きくする。
 縮こまる身体と同調して背は丸くなり、視線は細くなり足元に落ちる。ただでさえ急ぎ足になる僕の眼に映りこむものは、網膜から脳へと投影されるよりも速く、流れ去ってゆく。

 近所の奥様がたの憩いの場になっているらしい喫茶店で、幼稚園の先生がたについての批評が活発になされていた。聞きたくもないその会話が、キンと張った自己主張の強い声によって勝手に届けられてくる。
「あの先生は、とても優しくて丁寧な方だけど、子供はコドモだと思っているのよ。まだ経験が浅くていらっしゃるから仕方ないことだと思うのだけど。」
なるほど、ひとりの子の親としてはなかなかの意見だ、と僕は思った。そして、その言葉の真意を、そこに居た奥様がたの全てが同じ温度で理解し得たとは到底思えない応対が続く。
「でも、先生は、子供になにかを『させる』ことができる点で、親と違う意味があるのよ。」
会話としては成り立っていないけれど、『させる』ことができる、というのは感覚的によくできた言葉であることに変わりない。僕はそれなりによい議論の場を目撃しているようだ、とこの偶然に満足もし、同時に薄ぼんやりした自らの幼稚園生時代を思い出そうと試みた。しかし結局思い出せるのは、幾度も反芻した偏った記憶の断片と、のちにその場面を考察することによって得た「先生」というひとりの人間の葛藤にすぎない。
 
 僕は、幼稚園に2年しか行っていない。そして、そのどちらかの年に担任であった「サカキバラ先生」というひとりの先生の名前しか記憶していない。記憶している出来事の背景にはそれ以外の先生が居ることもあるけれど、「先生」という人はいくら複数人いたとしても、僕にとってはひとつの大きな「先生」という権力にすぎなかった。「サカキバラ先生」は、その権力に実体と名称を付与するための代表としてひとつだけ僕に覚えられた名前だったにすぎない。
 サカキバラ先生は、僕がうまくみんなにいじめられるようにするのがとても上手かった。みんなの前で僕の「悪事」(その殆どは身に覚えのないことであったが)を数ヶ月おきに暴いて、みんなが僕を攻撃できる言い訳を上手に作った。僕の悪事をみんなに話すとき、サカキバラ先生はいつも、とても気の毒そうな哀れむような目をして僕を見ていた。まるで、僕がほんとうにその悪事をやらかしてしまったと信じ込んでいる目であった。僕はその先生の目がとてもかわいそうなものに見えたので、「先生、僕はやっていません。」と云ってしまうことが憚られた。みんなが一丸となって僕の悪事を糾弾する様子を見ながら、サカキバラ先生は哀しそうな目のままに、とても満足そうなのだった。

当時の僕はあからさまな敵意の渦の中で、サカキバラ先生だけがほんとうは僕に敵意なんか向けていないことをなんとなく判っていた。それから10年くらい経ってスケープゴートという言葉を知ったとき、成る程そういう一般的な習慣が社会にはあるものなのだと腑に落ちた。そうして同時に、当時の僕の存在意義がわかったのだった。それからというもの、僕はもう会うこともないサカキバラ先生に一種の情愛めいたものさえ感じた。サカキバラ先生が僕に向け続けた哀しい目、「僕はやっていません」と云うことを拒否し続けた矜持。それらはきっと全て共依存という甘えの構造にすぎず、僕は当時先生のことをいちばんよく判っていた、という自負に繋がっていたに違いない。

子供は単にコドモではない。幼稚園という社会の中で、まだ言葉として知らない様々な社会構造に触れ、それを感じ取って演技をしながら過ごしてゆく。大人とただ違うのは、感じ取ったものを言葉に置き換えることができないことくらいだ。
僕がいまこうしてサカキバラ先生のことを暖かく思い出しながら煙草に火を点けるさまなんて、きっと先生は想像もできないだろう。仮に、先生が僕という人間がいたことを覚えていたとしたならば。

 


凝固と破裂。

2008-01-16 | 徒然雑記
 
 言葉がどこか身体の奥のほうで凝って、発露されない日々が続くことがある。
言葉を失わないために、わたしは文字を連ねるのではなかったか。
想うことを放棄しないために、わたしは言葉を探るのではなかったか。

 今とは違う会社に居たとき、あまりに多忙なせいで月を見上げることを忘れ、時が衣替えしてその姿や日差しをくるくると変えてゆくのを見過ごし、凍った水や枯れた花に気付かなかった。
義眼のように風景や人の心情を反射するだけの目は要らない。枯れ枝の鳴らすかりかりした神経質な音に冬の焦燥や苛立ちを聞くことができない耳、季節の訪れや湿度を感知できない鼻はやはり要らない。なにしろ、それらを引っ掛ける幾重にも分かれた細い枝を持たない自分の脳が、疎ましかった。

 人の言葉を奪うものは、ひとえに多忙とは限らない。
 想いがあり、葛藤があるのに、言葉として流れ出してくることがない日々は、それは一方で午睡を貪るような脳の怠惰を疑うが、ひとえにそればかりでもあるまい。言葉が凝ったままに固まるという現象自体がひとつの表現であるとしたならば、それもまた可とせざるを得まい。

 わたしの奥のほうで凝ったままの言葉のカタマリはいま、どんな色をしているか。目を閉じて想像する。
深い緑と、黒と見紛うほどの深い蒼がその多くを占め、入り乱れている。そして、その合間を柿色や朱の染みが埋めている。とりわけ美しいものでもないように見えるが、かといって醜いわけでもない。自ら光を発するよりもむしろ、光の悉くを吸収せんばかりのその暗い色味は、なんとなくしっくりくる。

 いまわたしの中に手を差し入れてその丸いカタマリを取り出したら、それはきっと体温よりも冷たいものだ。
役立たずの眼球の代わりに、右目にそれを嵌め込んでみたらどんな世界が見える。
まるで新しいもののように見える風景を貪欲に吸収し、暗い輝きを増してくれるに違いない。そして言葉は言葉以外の何かとなって、受容体の枠に収まりきれず、わたしの目の中で破裂するのだ。




ほんものを見るためににせものを見ること

2008-01-08 | 芸術礼賛
 2007年11月2日、東京国立博物館資料館に「TNM&TOPPANミュージアムシアター」が開設されてしばらく経つ(関連記事はこちら)。
ここで公開された作品の第1弾は、「聖徳太子絵伝」(国宝・平安時代)のバーチャルリアリティ(※以下、VR)であった。

「聖徳太子絵伝」は、時代性を考えれば非常に良好な保存状態であり、彩色や文字がきちんと判別できる箇所が非常に多い。とはいえ如何せん平安時代の代物であるため、その実物を見ることができる期間は限られる。「特別公開」と称される1年のうち1ヶ月のみ、ガラスの向こうに小さくみっちりと描き込まれた太子の生涯を追うことは単眼鏡を用いなければ容易ではない。さらに、単眼鏡を使って細部を見るということは、障子絵全体を見ることを放棄することに繋がる。非常に悔しいことに、このように広い背景の上に詳細に描き込まれた作品においては、木を見つつもさらに森まで同時に見ることは困難で、観覧者は必ずどちらか片方の見方をするか、あるいは変わりばんこに見方を変えることを余儀なくされる。


 VRは、緻密な写真を基にしたCG画像である。簡単に言うと、本物を忠実に再現したにせものの映像である。作り手は技術と予算のある限り、かなり自由な映像を創造することが可能である。しかし、博物館に設置するVRにおいては、ファンタジーの介在を決して許さない。そして、だからこそ実現できる世界がある。

 今回の作品「聖徳太子絵伝」を例に挙げるならば、たとえば以下のようなことだ。
1) 実際は入堂不可の法隆寺東院伽藍の絵殿内部に入れること(どのようにしてあったかを見られること)
2) 現在の絵殿にある江戸時代の復元と原本を重ねることで、剥落部の絵柄を推察できること
3) 通常であれば接近できない作品の細部をアップで見られること

 さらに(研究者の確信があれば、という場合もあるが)次のようなことも可能となる。
4) 変色、剥落している部分の色や部分を画面上で復元すること
5) 書かれている文字に画面上で翻訳(仮名)を施すこと
6) 立体のもの(彫像・仏像など)を、通常では見られない角度(背後・上・内部など)から鑑賞できること
7) X線画像との合成や比較ができること
8) 環境悪化や経年変化による劣化をシミュレーションすること   などなど。


 ほんものと対峙するためににせものを見詰めることの大切さ、にせものを追求することによってほんものを理解できる可能性。
「美術館でほんものが見られるのに、なぜVRを見なくてはならないの?」
という問いに対する答えとして、わたしはそれを提示したい。

 だって、ほんものしか存在しない世界など、どこにもない。





謹賀新年 2008。

2008-01-01 | 春夏秋冬
 
   強きかぜ  
   
        右掌で炎とかざはな散らし  

           ひだりは初陽と我の背を押す
   
                     [2007年晦日に]




昨年のまとめ。
【公】
 現職2年目として、初年度に撒いた(というより撒かれた)種が若干育った。
 足場を踏み固めることに専心した一年であった。
 そうして、ほんの僅かばかりであるが、次年度に向けての布石を置けた。
 雌伏の時は、ようやく過ぎ去ろうとしているようだ。

【私】
 自分が寝泊りするところが、「宿」から「おうち」に近づいた。
 ひとりではないことのほうが、ひとりで生きるよりも怖いということを知った。




 誰かがわたしに掛ける期待や情愛、憎悪がわたしの命をまた一年繋ぎました。
 誰かがわたしに掛けるそれらの想いが途絶えてしまうか、あるいはわたしに掛ける想いを持つ者が居なくなってしまうときに、わたしの命がなくなるでしょう。
 今のわたしは珍しく、誰かに何かを想われることで、もう一年を繋いでゆければと願っています。とても珍しく、今年という一年に何かしら眼に見えない期待をしてしまっているのかもしれません。

 
 皆様、一年間ほんとうにありがとうございます。
 今年も、様々な時間や想いの切れ端を綴ったこの反故紙を、宜しくお願い申し上げます。