僕がはじめて彼女に逢ったとき、彼女は僕の車のボンネットに腰掛けるような恰好で寄りかかって煙草を吸っていた。ちょっと、と云おうとして立ち止まった僕に気付くと、吸いさしの煙草のやり場に困りながら、さして悪びれるふうでもなく「ごめんなさい。」と云って笑った。
その風情は、寒い日にまだエンジンの熱が冷めやらない車に纏いつく猫の様子によく似ていた。そうしてなぜか僕は、「そこよりも中のほうが座り心地がよいはずですが。」と云った。彼女は大して驚くわけでもなく、「多分そうでしょうね。でも、カギがかかっているものだから。」と答えた。女はその1時間もあとには既に僕の運転する車の助手席で気持ちよさそうに眠っていた。僕は半分呆れたような気持ちで、猫みたいな女もいるものだ、と思ったのだった。
その日の用事を既に済ませてしまっていた僕は、よせばいいものを、その女の猫っぷりがどこまでのものかを確かめてみてもいいかという安易で安っぽい好奇心に駆られていた。
「どこか行きたいところはありますか?」と訊くと、女は「私の思いつかないところがいいわ。」と答えた。
普段であれば、大丈夫かこいつ、と思うところだが、その時の僕にとって彼女の回答は期待に違わず、むしろ大歓迎なのであった。つくづく、あの時の僕はどうかしていた。
そういうわけで、僕は道端で(文字通りだ)拾ったばかりの名も知れない女を連れてゆくにはいささか不似合いであろうと推測される場所 -- お台場の夜景だとか小洒落たレストランやバー、ラブホテルに至ってはもってのほかなのだ – として、北関東まで足を伸ばした挙句、真っ暗な山間の悪くない老舗の温泉旅館に辿り着いた。驚くなり喜ぶなり、あるいは警戒して慄くなりしてくれるといい、と思ったのだが女は至って無感動な風情で、「真っ暗で何も見えないけれどきっといいところね、夏ならもっといい感じでしょうね。」などと云っている。とはいえ、彼女がここに来ることを「思いついていた」訳でもなかろうし、その証拠に先ほどよりはご機嫌そうに鼻歌なんぞ口ずさんでいる。あてが外れたような、かといって計算通りのようなどうにも座りの悪い感じではありながら、確かに僕は女の反応に少なからぬ満足を覚えていた。
夜遅くの食事を女はぺろりと綺麗に平らげ、その後に行われる遊戯を女は至極当然のもののように受け入れた。会話と反比例してまるで思いのままに素直な動作をする女の身体は僕をとても安心させた。僕は会話のぎくしゃくや思惑の食い違いに掛ける疑念を払拭するかのように、会話を放棄してなかば暴力的な気分で女の身体と対峙した。冬の遅い夜明けとともに、女は果たして猫のように丸くなって顔を隠すようにして、短い眠りに落ちた。
それを確認してから、自分も眼を閉じていざ眠りに落ちようとするとき、脇に寝ていた女がくすりと笑って身をゆすったような気がした。ぺろり。何か暖かいものが僕の頬に少しだけ触れた。突如僕は恐ろしくなり、眼を開けることができなかった。女が猫であるはずがない。こんなのは僕の酔狂だ。誰にも迷惑をかけていない酔狂に罰が当たるなんてことがこのご時勢にあるものか。僕の身体に女の肌が一箇所たりとも触れていないことがまた恐ろしかった。ふいにするりと僕の胸を撫でた刷毛のような感触は、女の髪であろうか、それとも。手を伸ばして確かめる勇気すらないままに、僕は固まったように眠ったふりを続けた。
その風情は、寒い日にまだエンジンの熱が冷めやらない車に纏いつく猫の様子によく似ていた。そうしてなぜか僕は、「そこよりも中のほうが座り心地がよいはずですが。」と云った。彼女は大して驚くわけでもなく、「多分そうでしょうね。でも、カギがかかっているものだから。」と答えた。女はその1時間もあとには既に僕の運転する車の助手席で気持ちよさそうに眠っていた。僕は半分呆れたような気持ちで、猫みたいな女もいるものだ、と思ったのだった。
その日の用事を既に済ませてしまっていた僕は、よせばいいものを、その女の猫っぷりがどこまでのものかを確かめてみてもいいかという安易で安っぽい好奇心に駆られていた。
「どこか行きたいところはありますか?」と訊くと、女は「私の思いつかないところがいいわ。」と答えた。
普段であれば、大丈夫かこいつ、と思うところだが、その時の僕にとって彼女の回答は期待に違わず、むしろ大歓迎なのであった。つくづく、あの時の僕はどうかしていた。
そういうわけで、僕は道端で(文字通りだ)拾ったばかりの名も知れない女を連れてゆくにはいささか不似合いであろうと推測される場所 -- お台場の夜景だとか小洒落たレストランやバー、ラブホテルに至ってはもってのほかなのだ – として、北関東まで足を伸ばした挙句、真っ暗な山間の悪くない老舗の温泉旅館に辿り着いた。驚くなり喜ぶなり、あるいは警戒して慄くなりしてくれるといい、と思ったのだが女は至って無感動な風情で、「真っ暗で何も見えないけれどきっといいところね、夏ならもっといい感じでしょうね。」などと云っている。とはいえ、彼女がここに来ることを「思いついていた」訳でもなかろうし、その証拠に先ほどよりはご機嫌そうに鼻歌なんぞ口ずさんでいる。あてが外れたような、かといって計算通りのようなどうにも座りの悪い感じではありながら、確かに僕は女の反応に少なからぬ満足を覚えていた。
夜遅くの食事を女はぺろりと綺麗に平らげ、その後に行われる遊戯を女は至極当然のもののように受け入れた。会話と反比例してまるで思いのままに素直な動作をする女の身体は僕をとても安心させた。僕は会話のぎくしゃくや思惑の食い違いに掛ける疑念を払拭するかのように、会話を放棄してなかば暴力的な気分で女の身体と対峙した。冬の遅い夜明けとともに、女は果たして猫のように丸くなって顔を隠すようにして、短い眠りに落ちた。
それを確認してから、自分も眼を閉じていざ眠りに落ちようとするとき、脇に寝ていた女がくすりと笑って身をゆすったような気がした。ぺろり。何か暖かいものが僕の頬に少しだけ触れた。突如僕は恐ろしくなり、眼を開けることができなかった。女が猫であるはずがない。こんなのは僕の酔狂だ。誰にも迷惑をかけていない酔狂に罰が当たるなんてことがこのご時勢にあるものか。僕の身体に女の肌が一箇所たりとも触れていないことがまた恐ろしかった。ふいにするりと僕の胸を撫でた刷毛のような感触は、女の髪であろうか、それとも。手を伸ばして確かめる勇気すらないままに、僕は固まったように眠ったふりを続けた。