Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

日本橋未来予想図。

2006-06-27 | 徒然雑記
 日本橋の上を屋根のように覆う首都高を地下に潜らせようという計画が持ち上がってからもう20年が経とうとしている。計画、といってもそれはとても形骸的なもので、初期の活動は景観を改善しようという美しき旗印のもとに展開された「運動」にすぎなかった。とはいえ、識者や一部のゼネコンを巻き込んだこれらの声は決して草の根のそれではなく、利権がクロスする諸組織をざっくりと巻き込んだものであったから、それが「計画」になるまでにはそう長い期間はかからなかった。そうは言っても、計画道路を一から造るようなことに比べてスムーズだったというだけだ。

 梅雨時とはいえもう7月も間近だから、徐々に増えてくる晴れ間の日差しはとても強烈だ。強い日差しに目を細めながら、今日も僕は舟通勤をしている。

日本橋に被さる首都高を除去するには、かなりの時間がかかる。だいいち、除去する前には代替となる路線を確保しなければいけない。景観が護られるはずのこの一帯に工事の音が響き渡る日は、まだまだ延々と続くだろう。地下鉄は通常通り動いているけれど、道路が閉鎖されたり迂回を余儀なくされる状態では、タクシーで乗り付けるわけにはなかなかゆかない。だから、道路撤去の期間にあわせて運航されることになった「舟ライナー」が近頃の僕の足なのだ。

どうせ今だけのことなのだ、無粋な地下鉄通勤を辞めて舟通勤に切り替えた人は少なくない。確かに、この強い日差しに肌を焼かれたくない若い女性たちを除けばの話だが。それでも時々は、特に天気のよい日に限って、白や花柄の日傘を差して舟のデッキに佇む女性の姿を見かける。初夏の日差しの下で、ゆっくりとしたスピードで後ろへと流れてゆく水面に目を落としながら、髪をそよそよと風に揺らめかせる舟上の女性の姿は、悪くない。

 僕が勤めるビルは日本橋のすぐ近くにあるのだけれど、幹線道路が走っている関係上、運よく撤去されずに済んだ。僕は橋のたもとで舟を降りて、近頃整備されたばかりの遊歩道の柳のつるをよけながら、その脇にある階段を上る。地上に上がると工事の音はより一層大きくなり、防音柵もなくただ凹んでいるだけの川面なのに、こんなにも音を遮断してくれるものかと毎朝感心するのだ。工事の進捗には感心するところなんて露ほどもないのだけれど。

 僕はあと何年、この舟通勤を続けることができるのだろう。まだ始めてから2ヶ月なのに、もう半袖焼けをしそうな感じだ。今ではまだ日本橋近辺しか見られない遊歩道のペイブメントと柳の列は、次第に北上して僕の家の近所にまで届いてくれるだろうか。
何より、この工事が終わるまで、僕は仕事を続けているだろうか。


参考)
日本橋の歴史(国土交通省東京国道事務所)
悪い景観100選(美しい景観を創る会)


逢いたいひと。

2006-06-24 | 徒然雑記
あのひとやこのひとがこの世の中に存在するなんて知らなかった。
あのひとやこのひとに逢ったとき、逢ったことすらわたしは気付かなかった。
心のどこかで、あのひとやこのひとに逢えたらと願っていたことさえも。


仕事場は、仕事ができる最低限の環境があればそれでよかった。
仕事場に、わたしの心を撫でるものがある必要なんて感じなかった。
仕事場から、あのひとが居なくなると聞くその瞬間まで。


溢れ出る"intention"と知性、感性に虚勢。その根底を貫く情愛。
それらが混じりあったりくるくると入れ替わったりして輝きを増す瞳。

こんなに愉しそうに仕事の話をするひとびとと。
こんなに優しそうに互いを見遣りながら微笑するひとびとと。

その列に加えて貰ったわたし。


わたしにもいつか、彼らが透かし見る10年先が見えますように。
同じ笑顔を交わせますように。




「わたしはここに来ることができてよかったです。」
「2~30年ぶりかな。『あなたでよかったわ』て云われたときくらいに嬉しいぜ。」
「ま、今のうちかもしれませんけど。ふふっ。」


どうせ明日になったらこんな会話も覚えていないのでしょう?
小さな声の「ありがとう」も。



旅へ。

2006-06-21 | 徒然雑記
旅に出たい。

以前も、今現在にあっても、異なる形で私は旅をテーマに仕事をしている。だからといって、そうそう頻繁に旅ができるとは限らない。旅は、期間ではない。距離でもない。心のありようだ。

それぞれの人にとって、頭に浮かぶそれぞれの旅の思い出や形があるだろう。では、それを「旅行」あるいは「遠出」と言葉を置き換えたとき、そのイメージはどのように変化するだろうか、試してほしい。

勿論私にも、旅、旅行、遠出とそれぞれに異なった過去の風景が浮かぶ。遠いところに長く行ったからといってそれは旅ではないし、仕事や研究を主目的として動いていたからといって即それが遠出になるわけでもない。そもそも、一度の「おでかけ」の最初から最後までが旅や遠出というひとつのイメージで括られるものではないはずだ。出張の合間に、ふらっと知らない街の中や田舎道を無性にとぼとぼと歩いてみたくなることがあろう。しっかりと計画を立ててあるくせに、計画を覆してしまうような未知のなにかをつい望んでしまうことがあろう。逆に言えば、無計画に動いているつもりであっても、ついつい日々決まった行動様式を取ってしまうことだってあるだろう。
旅、旅行、遠出はそれぞれに絡み合って、行動主の思惑によっていかようにも作用される要素にすぎない。

 私は旅に出たい。ほんとうならば、私の心を砂嵐でざぁっと洗ってくれるサハラの奥地や、そぼ降る雨も景色のひとつとして彩られる近畿の寺社や、海風や、夜のあかりや、普段聞きなれない言葉や、そんなものを追いかけていきたい。しかし、残念なことに、ない袖は振れない。

そうならば、心の底から満足できるものではないにせよ、私にとっての旅要素を見たす動きをすればよい。もっとも近しい行動では、美術館や洋館や庭園のように、時代や文化を遠く隔てた何か別のリアルに触れること。自らの脳裡に頑固にこびりつく既成概念やら行動規範やらに優しい攻撃を仕掛けて頑固なそれに亀裂を入れ、その亀裂を通じてじわりと入り込んでわが身の一部となる異文化。異世界の末端。それとの摩擦、融合。

普段見たことのない景色や植物、建物。
普段は聞きなれない言葉や音。
知らない道。
知らないルール。
知らない人。
だけど、そこにあるのは明瞭なるリアル。
そして、ほんとうならば明瞭でありたい、旅を終えた私が還る場所。

 これらの条件は至極簡単に揃う。これらの条件を望み、それを享受する心が立ち上がる条件はなかなか揃うものではない。だから、人は遠出や旅行をとても頻繁にするわりに、旅に向かう際には頑張って大袈裟に演じながらになることが多い。その背中を押すために、旅はより遠くへ、より長くを求める。

自分の核のどこかを溶かし、新しい何かに蝕まれにゆくために、私は旅に出たいのだ。


硝子の眼 XIII。

2006-06-15 | 物質偏愛
 「さよなら。」

そう云ってあのいけすかない男は、はらはらと沢山の泪を撒き散らしながらわたしを見た。男は、冷たい掌をわたしの髪と頬にそっと当てるから、わたしはすぅと身体が寒くなる思いがした。窓から差し込む、薄曇りだからこそ眩しい光をその背に纏わせた男はこれまたどこまでも眩しい白いシャツを着て、その姿がまるで身体から氷のように冷たい光を発しているように見えた。うっかりとその姿を「きれいだ」と思ってしまったわたしは、少しだけ忌々しい気分になった。

 もう幾つ前の夜のことだったか、わたしは同じような光景を見た。
その時も、眩しい光を背に負ったあの優しい男が、声にならない嗚咽を震わせながら、暖かい泪をわたしの顔やそこらに落とした。わたしはあの時ほど、この眼を閉じることができたならと願ったことはない。しかし今は、眼を閉じることすら惜しいと感じる程に、白に溶けかかる男の姿を見詰めている。

わたしは知った。
この眼を閉じることができたらよいのにと願う自分の気持ちや、身勝手で切実な泪に濡れる人間の姿はとても珍しく、とても痛くて、だからこそとても美しい。
どのみち眼を閉じることも顔を逸らすこともできないのだし、「人形」であるわたしには人間が心や痛みと呼ぶ類のものを持ち得ないのだろうけれど、恐らくそれにかなり近しいと思われる何やらきりきりした忌々しさを感じるから、それを徹底的に味わわなくて何になろう。それが「人形」というもののさだめであるならば。


 溢れ落ちる泪に、男は眼鏡を外した。眼を通じてわたしを喰らい尽くさんとするかのようにその細い眼を見開き、瞬きもせぬまま泪越しにわたしを見詰めた。男の眼の中にわたしの姿が映る。

 あぁ、わたしはこのような顔をしていたのだ。
 わたしはこのように冷ややかで残酷な顔をしていたのだ。

あの優しかった男もこの眼鏡野郎もまるで申し合わせたかのように優しくにやけた細い眼をしてわたしに微笑みかけていたから、てっきりわたしもそれと似たような顔をしているものだと思っていた。

いまはじめて、わたしは自分のことが少し嫌いになった。
人形とは、なんと無慈悲ないきものなのだろう。そして、それぞれの真剣な思惑によって「さよなら」を云う人間とは、なんと身勝手ないきものなのだろう。どれだけの情愛に満ち溢れていたとしてもだ。



 数日ののち、あの優しくて優雅な眼をした男が迎えにきて、わたしは懐かしくも狭苦しい部屋に詰め込まれた。その部屋は、いつかと同じ珈琲のような香りがした。

 わたしは心の中でその珈琲にも似た香りを脇へと追いやった。
 わたしの衣服に微かに残る紅茶の香りが浸蝕されてしまう。
 暗い部屋の中に、眼鏡野郎を包んでいたあの白い光がぼんやりと浮かぶ。
 




硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。
硝子の眼 Ⅴ。
硝子の眼 Ⅵ。
硝子の眼 Ⅶ。
硝子の眼 Ⅷ。
硝子の眼 Ⅸ。
硝子の眼 Ⅹ。
硝子の眼 XI。
硝子の眼 XII。



評価(語録)Ⅱ。

2006-06-12 | 無双語録
 ようやく、重い荷物を引き摺って出張にも行けるようになり(痛いけど)、入社2ヶ月をすぎた。

 前の会社に居た頃は、終電を逃すことも当たり前でウィークデイに自分の時間なんて持てるはずもなかった。一日のうちに仕事ができて、食事を摂ることができて、なおかつ就業後に誰かと逢って、帰宅後にPCを立ち上げることができるだなんて、考えもしなかった。
blogを始めた頃、学生だった私にはオンとオフの区別はなく、よく「一日じゅうオフだね」と暢気なことを言われたりもしたがそれは逆。研究がライフワークなのだから、寝ても覚めても、家に居ても旅先でもすべからくオンなのである。それはある意味非常に私のワーカホリックな部分を刺激し、且つ私を非常に疲弊させる興味深い暮らしであった。

別段暇なわけではないがそんな感慨を胸に抱きつつ、私の仕事は今日もはじまる。


□ 社長編

「『俺の尻をひっぱたきそうな女がいるんだよ』取締役のその一言で、俺は君を採用することに決めた。」
・・・わたしが大學院で研究してきたことって意味あったのですか。

「君は、見てくれこんなだけど、優しくて素直やからなぁ。」
・・・微妙に嬉しくないこともないのですが、何か引っかかります。

「君の着ているものは首尾一貫しとらんな。」
・・・そのほうが、愉しいではないですか?「人は見た目が9割」なのですから。


□ 取締役編

「俺はその眼鏡をやめて欲しくないなぁ。」
・・・やっと擁護派がうまれました。しかし、一層身動き取れず。

「お前の髪は俺がいつでも切って(刈って)やる。」
・・・お揃いの威勢いい虎刈り?は遠慮します。

「性格に似合わず身体が軟弱だな。」
・・・軟弱な身体を律するために、この性格が必要なのです。


□ 主席編

「お前の顔は公序良俗に反する。」
・・・生まれて二度目です。そのことば。しかも、ほんとうに嬉しそうに笑いながら云うのですね。

「お前は存在自体が嫌がらせだ。」
・・・そんなわたしを構いたくてしょうがないのは、誰ですか。

「前からそんなヒットラーの秘書みたいな髪型してるのか?」
・・・まず、どんなですかそれ。

「お前、『かまやつ女』みたいだな。」
・・・お言葉を返すようですが、普通に間違ってます。勉強し直してください。

「河馬みたいな顔して笑うな。」
・・・普通に失敬です。



こんな職場で仕事ができるわたしは、なんと恵まれていることか。
羨ましかったら、おいで。




評価(語録)Ⅰ。

パール。

2006-06-10 | 徒然雑記
 疲れた。
 とても疲れた。

自らに与えられたギフトと自らを取り巻く諸々の環境や人々に対して、こんなにも泣きそうな程の感謝に満ち溢れているというのに。自らをぽいと空に投げ上げ、自らを踏みにじった数限りない幸せと不幸せとに対して、こんなにも平等に腕を広げて享受してきたというのに。

 部屋の片隅の暗がりに光を添えるのは無闇に紅いバナナの花と、障子越しに淡い光を通すような、どこまでも透き通った男の肌。バナナの花はお世辞にも美しいとは云えないもので、攻撃的な切っ先を闊達に空に向けて、野蛮な笑顔と無邪気さと禍々しさとをいっぱいに振りまきながら咲いていた。男は、身の丈の半分ほどもありそうな花束を抱え、それはまた嬉しそうに、歯を覗かせて笑った。
そのままちらとこちらを向いた顔はあまりにも邪念のない美しさで、わたしは照れと痛みに心を締め付けられながら、泣き顔のような笑顔を返した。

 仏壇に供える蝋燭で飾られた洋菓子をくちゃくちゃに蕩けた顔をして頬張りながら、
「今までの誕生日の中で、いちばん幸せかもしれない。」
と男は云った。
「そう思うことができて躊躇いなくそれを言葉にできるのは、とても素晴らしいことね。」
とわたしは応えた。

ひとは全て、誰かのための誰か。
この男を必要とするひとが、人々が「居てくれ」と願いそれを伝えることによって、その言霊が男の生命を明日へと繋いでゆく。繋がれた命は、その継続を願ってきた人々に祝福される。その祝福が、取るに足らないひとりの男の命に掛け替えのない意味を付与する。

「みんなありがとうね。」
男は云った。

「こちらこそ、ありがとうだよ。」
そう云おうとしたけれど、無粋だからやめた。
大切に思う誰かが、この地球のどこかで生きているということが、こんなにも心強い。それが、ひとが生きる意味なのだとしたならば。


 毎秒、どこかで誰かが生まれている。
 毎秒、どこかで誰かがいなくなる。
 すべからく、誰かのためのだれかが。




 (パールの光を放つ命に捧ぐ。)


靴修理。

2006-06-05 | 物質偏愛
 靴の修理をするのが好きだ。

靴は革靴に限る。
スニーカーでもサンダルでも、革靴に限る。

皮は艶やかになり、歩いた道のぶんだけ重ねられた皺と幾多の引っ掻き傷が油を吸い込み、眉間の皺が緩むかのように穏やかな表情になる。苛々した気持ちのぶんだけ、あるいはわたしに弾む気持ちを与えてくれたぶんだけ磨り減った踵が新たな捕材で復旧され、またいつでもわたしに新たなうきうきと、新たな苛立ちを与えてくれる準備を整える。

この靴はわたしをマルタやアフリカへと運んだ。
中世の石畳の音をコツコツと響かせてわたしの足を冷やし、砂漠の砂に埋もれてわたしの足を灼熱の砂から護った。
子供の頃に思っていたときよりも、地球はずっと小さくなった。海を越えた向こうにある大陸にも殆ど変わらぬ調子で響く靴音がわたしを誘い、見知らぬ街の路地や広場を、まるで知っている場所のように歩くことができた。

靴とは不思議なものだ。
足の付属品であるはずなのに、足の感じる不安を緩和し、あるいは無きものにして躊躇するわたしの足を確実に前へと運ぶ。靴によってわたしは運ばれる。どこへ?

不慣れな街へ繰り出すときに気に入りの靴を履いてゆくのは、別段それが足に馴染んでいるからという訳ではない。それが心に馴染んでいるからだ。
この靴があれば、恐らくわたしは進むことができる。
この靴であれば、きっとわたしは恐怖に立ち竦むことはない。
この靴であれば、あの軽やかな音に背中を押して貰うことができる。

そんな靴に敬意と感謝を表して、再び三度の艶を与え、靴底を整える。
背筋を伸ばして、新たな場所へ向かうときに。

鼓動。

2006-06-03 | 徒然雑記
拾った命だから、惜しくないと思うのだろうか。
拾った命だから、大切にせねばと思うのだろうか。

多分、どちらも正しいのだけれど。
人は、鼓動があることを「生きている」と云う。だけど、生まれたときの僕には鼓動なんてものはなかった。死んではいないけれど確実に生きてはいない状態で生まれて、そのあとになって「やっぱり生きていいよ」と鼓動という許可証を頂いた。

どのみち拾い物の命なのだから出来が良い訳なんて到底なくて、僕はいつも自分の命を、つまりは身体と心を持て余す。それなりに乱暴に酷使しているはずなのだけれど、一旦うっかり拾ってしまってから以降は、なかなかどうして、再びそれを落とすことは困難だ。
だけど整理整頓の苦手な僕は、たびたびそれを見失う。


そうすると僕は必ず、美術館へゆく。
鼓動を持たない数々の美術品は、かつて鼓動を持っていた誰かがえいやと惜しげもなく投入した、その愛や憧れや怒りや信仰や希望なんてものたちの凝結。決して聴こえるはずのない彼らの鼓動が、その意匠や細工や技術や色彩を通じて僕の心をこつこつと叩き、いつしかその音は五月雨となって僕の心を高い高いところまで持ち上げる。僕は息を止めて乱れる音の暴走を受け止め、その中にたったひとつでも、僕の鼓動が混じっていないかどうかを探す。

僕の音と似た音を見つけると、僕は嬉しくなってその音を自らに映しとる。あるいは、記憶にあるはずの僕自身の音と重ね合わせる。その共鳴におおはしゃぎになる僕は、涙腺と顔の筋肉を同時に緩ませる。

僕はこうして、見失った自分の鼓動をふたたび見つけ出す。それを大事に懐に抱え込んで、洋服の前立てをきちんと合わせてその中に隠す。誰にもそれを奪われないようにどきどきしながら、そ知らぬ顔をして家まで辿り着く。

家に帰って、懐から恐る恐る取り出した僕の鼓動は、若干弱まりながらも確かな音を刻んでいる。僕はほっとしてそれをぽいと部屋の片隅に放り投げ、ご機嫌で仕事を始める。

次に見失ってしまうときまで。