日本橋の上を屋根のように覆う首都高を地下に潜らせようという計画が持ち上がってからもう20年が経とうとしている。計画、といってもそれはとても形骸的なもので、初期の活動は景観を改善しようという美しき旗印のもとに展開された「運動」にすぎなかった。とはいえ、識者や一部のゼネコンを巻き込んだこれらの声は決して草の根のそれではなく、利権がクロスする諸組織をざっくりと巻き込んだものであったから、それが「計画」になるまでにはそう長い期間はかからなかった。そうは言っても、計画道路を一から造るようなことに比べてスムーズだったというだけだ。
梅雨時とはいえもう7月も間近だから、徐々に増えてくる晴れ間の日差しはとても強烈だ。強い日差しに目を細めながら、今日も僕は舟通勤をしている。
日本橋に被さる首都高を除去するには、かなりの時間がかかる。だいいち、除去する前には代替となる路線を確保しなければいけない。景観が護られるはずのこの一帯に工事の音が響き渡る日は、まだまだ延々と続くだろう。地下鉄は通常通り動いているけれど、道路が閉鎖されたり迂回を余儀なくされる状態では、タクシーで乗り付けるわけにはなかなかゆかない。だから、道路撤去の期間にあわせて運航されることになった「舟ライナー」が近頃の僕の足なのだ。
どうせ今だけのことなのだ、無粋な地下鉄通勤を辞めて舟通勤に切り替えた人は少なくない。確かに、この強い日差しに肌を焼かれたくない若い女性たちを除けばの話だが。それでも時々は、特に天気のよい日に限って、白や花柄の日傘を差して舟のデッキに佇む女性の姿を見かける。初夏の日差しの下で、ゆっくりとしたスピードで後ろへと流れてゆく水面に目を落としながら、髪をそよそよと風に揺らめかせる舟上の女性の姿は、悪くない。
僕が勤めるビルは日本橋のすぐ近くにあるのだけれど、幹線道路が走っている関係上、運よく撤去されずに済んだ。僕は橋のたもとで舟を降りて、近頃整備されたばかりの遊歩道の柳のつるをよけながら、その脇にある階段を上る。地上に上がると工事の音はより一層大きくなり、防音柵もなくただ凹んでいるだけの川面なのに、こんなにも音を遮断してくれるものかと毎朝感心するのだ。工事の進捗には感心するところなんて露ほどもないのだけれど。
僕はあと何年、この舟通勤を続けることができるのだろう。まだ始めてから2ヶ月なのに、もう半袖焼けをしそうな感じだ。今ではまだ日本橋近辺しか見られない遊歩道のペイブメントと柳の列は、次第に北上して僕の家の近所にまで届いてくれるだろうか。
何より、この工事が終わるまで、僕は仕事を続けているだろうか。
参考)
日本橋の歴史(国土交通省東京国道事務所)
悪い景観100選(美しい景観を創る会)
梅雨時とはいえもう7月も間近だから、徐々に増えてくる晴れ間の日差しはとても強烈だ。強い日差しに目を細めながら、今日も僕は舟通勤をしている。
日本橋に被さる首都高を除去するには、かなりの時間がかかる。だいいち、除去する前には代替となる路線を確保しなければいけない。景観が護られるはずのこの一帯に工事の音が響き渡る日は、まだまだ延々と続くだろう。地下鉄は通常通り動いているけれど、道路が閉鎖されたり迂回を余儀なくされる状態では、タクシーで乗り付けるわけにはなかなかゆかない。だから、道路撤去の期間にあわせて運航されることになった「舟ライナー」が近頃の僕の足なのだ。
どうせ今だけのことなのだ、無粋な地下鉄通勤を辞めて舟通勤に切り替えた人は少なくない。確かに、この強い日差しに肌を焼かれたくない若い女性たちを除けばの話だが。それでも時々は、特に天気のよい日に限って、白や花柄の日傘を差して舟のデッキに佇む女性の姿を見かける。初夏の日差しの下で、ゆっくりとしたスピードで後ろへと流れてゆく水面に目を落としながら、髪をそよそよと風に揺らめかせる舟上の女性の姿は、悪くない。
僕が勤めるビルは日本橋のすぐ近くにあるのだけれど、幹線道路が走っている関係上、運よく撤去されずに済んだ。僕は橋のたもとで舟を降りて、近頃整備されたばかりの遊歩道の柳のつるをよけながら、その脇にある階段を上る。地上に上がると工事の音はより一層大きくなり、防音柵もなくただ凹んでいるだけの川面なのに、こんなにも音を遮断してくれるものかと毎朝感心するのだ。工事の進捗には感心するところなんて露ほどもないのだけれど。
僕はあと何年、この舟通勤を続けることができるのだろう。まだ始めてから2ヶ月なのに、もう半袖焼けをしそうな感じだ。今ではまだ日本橋近辺しか見られない遊歩道のペイブメントと柳の列は、次第に北上して僕の家の近所にまで届いてくれるだろうか。
何より、この工事が終わるまで、僕は仕事を続けているだろうか。
参考)
日本橋の歴史(国土交通省東京国道事務所)
悪い景観100選(美しい景観を創る会)