Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

泉鏡花占い。

2006-11-28 | 徒然雑記
 最古参読者にして最優良読者であるカイエのlapisさまが泉鏡花占いという面白そうなものを教えてくれたので、早速やってみる。


【カイエより抜粋】
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泉鏡花の作品に登場する12名のヒロインのどのタイプかを占ってくれる。
ちなみに12名のヒロインとは、白雪姫(『夜叉ヶ池』) 、お孝(『日本橋』)、 菖蒲(『草迷宮』)、 お三重(『歌行燈』) 、富姫(『天守物語』) 、お蔦(『婦系図』)、 村井紫玉(『伯爵の釵』)、 貴船伯爵夫人(『外科室』) 、水島友(『義血侠血』)、 玉脇みを(『春昼・春昼後刻』) 、孤家の婦人(『高野聖』) 、美女(『海神別荘』)のことである。



【結果】
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あなたは孤家の婦人(『高野聖』)タイプです。

■ 基本的な性格
 自分にも他人にも厳しい理想主義者です。勉強や仕事など常に最高の結果を出すことを至上の喜びと考えます。そのための努力は惜しみませんが、しばしば理想と現実のギャップにぶつかり、愚痴っぽくなったり、足を引っ張る人を辛辣に非難したりと、少々気難しい面があります。しかし、性格は素直で、ユーモアもあり、お喋り好きです。
 仕事の人間関係によるストレスを、お酒や煙草によって気分転換することが多いため、どうしても体調を崩しやすくなります。また転職や転居を繰り返すなど、一つの場所にじっとしていられない不安定さがありますが、居たくない所に我慢して居るよりは、全然気が楽になる自然なことだと考えています。

■ 恋愛・結婚観

 恋愛においても、理想の恋人を求めます。そして完全主義なので、好きな人には尽くすタイプです。
 容姿や趣味、考え方など、個性的な人に惹かれて好きになることが多いです。もし、進行中の恋人の他に、新たに好きな人が現われた時、同時に交際することが出来ません。最愛の恋人は常に一人でなくてはいけないという気持ちが強く、必ずどちらかを清算します。結婚後は家庭に入り、理想の環境を作ることに力を注ぎます。


高野聖を読んだことのない方、忘れてしまった方はこちらを参照。
狐家の婦人とはこんな人


--- 優しいなかに強みのある、気軽に見えてもどこにか落着のある、馴々しくて犯し易からぬ品のいい、いかなることにもいざとなれば驚くに足らぬという身に応のあるといったような風の婦人 ---

なんと蟲惑的な、とうっかり思うけれど、この方は半妖ですよ明らかに。
いやぁ、嬉しいなぁ。






【仏像 -一木に込めた祈り-】展(*後期)

2006-11-27 | 仏欲万歳
 久しぶりに逢うその女性は、私を覚えていて呼びかけた。
 私は、ふらふらと彼女のほうへ導かれた。


 渡岸寺の彼女(十一面観音)が琵琶湖畔の住処を離れて、こんな遠くまで行脚をしたのは初めてだ。
「ごめんね、こんな田舎まで、ごめんね。」
内陣も、須弥壇もない、がらんとしたむき出しの空間に、強いスポットライトを四方から浴びながら、彼女は居た。取り囲む人々の数は往時と同じかもしれないけれど、往時とはきっと異なるであろう明らかに無遠慮な視線に囲まれて。私は、みたび彼女に逢えた嬉しさを抱きつつ、ごめんね、と呟かざるを得なかった。

 私が仏像を見るとき、常ならばその尊顔を拝し、徐々に視線は首元から腕釧へ、手指へ、そして天衣を伝って腰周りから足元へと視線が落ちてゆく。彼女の場合は、その腰に目が釘付けになり、若干の気恥ずかしさからそれを避けるように顔を俯けてしまうから、足元にはじまり腰へ、指へ、視線が纏わる。そして最後に恐る恐る、その顔を仰ぐのだ。

 薄い衣は、仏師の掌が這った跡。低い位置で腰をたらりと覆う布も、肩甲骨からわき腹の高い位置にあるくびれたカーブを経て腰に巻きつく布も、仏師による独占欲の名残。だからこそこんなにも艶めいた彼女を、我々は物欲しげに、しかし気恥ずかしく、見上げる。
俺のもの。
触らせてなんて、やるものか。
そんな声が聞こえてくる。

 
 彼女は、舞い散った桜の花弁を巻き上げる春のつむじ風のような人だ。
 その印象は、かねてより変わらない。
 その理由が、初めて解けた。


正面から見ると、彼女は右に腰を上げるように捻り、右足の膝を曲げて僅かばかり前に出している。右手はだらりと身体に沿わせて垂らし、左手は宝瓶をそっと掲げる。その姿勢はぴた、と止まって安定し、天衣が身体の後方に向かって舞うことで、風が彼女を包んでいることに気付く。

彼女の左に回ると途端に、彼女はふら、と前方に揺らいで、おっと、と手を差し伸べたくなるくらいに不安定に傾ぐ。身体の均衡を取るために、宝瓶を奉げる手指と肘に力を込め、肘から先をすいっと前方に突き出した瞬間だ。

彼女の背後に回ると、倒れそうに見えた彼女は再びの安定を取り戻す。右に捻られたように見えていた腰は後方にくいと持ち上げられ、前方に傾いでいたと思われた身体はゆうらりとこちらに戻ってくる。水草が揺らめくように、天から一本の糸で吊られたまま、まるで踊るように。

彼女の右に回ると、気紛れもいいところで、彼女は右足の一歩をいざ前に出さんとするまさにその瞬間。一度の瞬きの後にはきっとその踵が地面から離れているに違いない。曲げられた膝は、そのすぐ上の前腿の力によって引き上げられたばかりで、前方へ進もうという意思が、彼女のだらりとした右手を身体のやや後方へと置いてけぼりにする。

 彼女が発する方向のベクトルは、重力と、天へと昇る力と、そして前方へ踏み出さんとする(しかもかなりの俊敏さで)力。それらが絡み合ってらせんを巻き、彼女自身を覆う。そのイメージが、私につむじ風を思い起こさせた。


 彼女の瞬きはきっと何百年も先のことだけれど、彼女の右の踵が浮いたその瞬間を、私は見てみたい。



【過去記事】
渡岸寺(十一面観音)。





評価(語録)Ⅴ。

2006-11-21 | 無双語録
 今日は記念すべき一日となった。

有り得ない台詞が、有り得ない人物の口から発せられたからである。
それはほんとうに微笑ましいほど見事な、【力のこもった棒読み】であった。
それを聞いて、わたしはほんとうに、ほんとうに嬉しくなった。

前日に、蹴り(*ポーズではない。ヒットしている)が飛んできたことも忘れるくらいに。




「お前は、車裂きの刑だ!」
 ・・・古風で派手、おまけにエロティックな刑でよいですね。
    しかし、死んでしまっては元も子もありません。


「お前、よく見るとなんとかイグアナに似ているな。」
 ・・・よく見てそれですか。
    ウミイグアナでなくてグリーンイグアナであることを願います。


「・・・蛙みたいな顔するな。」
 ・・・両生類に格下げになってしまいました。


「お前はクリスマスに豪華なホテルステイするんだよな。」
 ・・・私のプライベートを勝手に決めないでください。


「お前、なんでそんな変なこと知ってるんだ。その年齢で。」
 ・・・お言葉ですが、それは貴方から貰った知識です。


「お前の頭が僻地だ!」
 ・・・ごめんなさい。今回ばかりは、わかりません。


「お前は、『美人薄命』だからな。」
 ・・・はい♪ ・・って、無理な依頼はお断りしますからね。


「なんだそのシャープペンのグリップみたいな色の爪は。」
 ・・・以前は「鉄人28号色」って云いましたよね。この色気に入ってますか?


「指輪してれば頭がよくなるって訳じゃないんだぞ!」
 ・・・判っています。ただの、おまじないです。


こんな場で言うことじゃないかもしれないが(略)、部分的に、あくまで部分的に、こいつを褒めたい。
 ・・・会議の場の全てが、一瞬硬直したことにお気付きですか。
    恐らく誰にとっても予想外だったその一言が、どれだけ大きな意味を持つものかを。
    
    ほんとうに、ほんとうに、嬉しいです。



【過去記事】(進化の過程)


評価(語録)Ⅰ。
評価(語録)Ⅱ。
評価(語録)Ⅲ。
評価(語録)Ⅳ。






思いつきバトン。

2006-11-19 | 伝達馬豚(ばとん)
50音それぞれから、思いつきで浮かんだ単語を羅列するそうだ。
それだけではつまらないので、思いついた単語にまつわる独断的なコメントを、これまた思いつきで付与する。


 
あ:愛撫        人によってその内容や幅は大きく異なる。
い:一張羅       一張羅、と呼べる服を持たなくなった文化は、少し淋しい。
う:優曇華(うどんげ) ブルーローズよりも見てみたい。
え:円環        時間なのか、それとも空間か、えにしか。
お:鳳(おおとり)   

か:癇癪         
き:期待        我ながら、似合わない言葉だと思う。
く:食わず嫌い     すべからく、避けたいもの。
け:羂索(けんざく)  よりどころ。
こ:木霊        夏になると、その活動は活発化する。

さ:擦過傷       もはや友達ではなくなってしまった。
し:逡巡         
す:すいかずら   
せ:セビリア      「理髪師」と続くのだろうな。たぶん。
そ:損得勘定      自分の意識になくとも、その概念と名称を知っていることの不思議。

た:立ち枯れ      赤松の立ち枯れた姿は、杉やヒノキ、広葉樹のそれよりも凄絶だ。
ち:凋落         
つ:つりがね草     山に似合う。
て:天秤        実際に目にするのは、商店の軒先くらいだ。
と:トーチカ

な:難波
に:ニライカナイ    ひらがなで書いてしまうと、それは違う。
ぬ:鵺(ぬえ)     こいつの啼く夜は。
ね:寝顔        見ていて微笑ましいものと、憎らしいものとがある。
の:のんべんだらり   溶解しそうな日本語の音感というのは、案外たくさんある。

は:花冷え       夜桜を愛でるとき、一日くらいはこれがないと情愛は深まらない。
ひ:屏風        これを欲する人は数寄者で、これを持っている人は大抵悪趣味だ。
ふ:不浄観
へ:偏愛
ほ:本望        都合によって自在に変化すべきもの。

ま:満場一致      厳密な意味では、まず見ることができないもの。
み:耳おぼえ      ひとが断言することの多くは、これで出来ている。
む:無条件       「条件」が存在することが基本の概念。大昔は、たぶん違ったはず。
め:メランコリイ    多くは、照れや酒の助けを受けてその存在が赦される。
も:モーパッサン

や:やまいだれ     この部首がつくと、腐敗直前の「なにか旨そうなもの」を感じる。
ゆ:優雅         
よ:宵宮

ら:爛熟        嫌いな人のほうが多いかもしれない。私はすきだ。
り:両極端       釣り合いが取れるから、こっそり両方ともを持っている人が多い。
る:ルリタテハ     名前の割に、瑠璃色の部分はほんの僅かで、がっかりする。
れ:レンガ造      イギリス積みのほうが美しい。破壊するのが簡単でよい。
ろ:ロートレック

わ:吾亦紅(われもこう) 「我も恋う」。可憐な名前だが、花の色は地味でどす黒い。





Fortune Teller

2006-11-15 | 徒然雑記
  【一言であなたの深層心理を暴いた結果です。】

 ・・・とある割にはめっぽう長文の性格判断をされた。
 より正確を期するなら、この解説は長い、というより若干くどい。

 Fortune Teller



1) 表層意識

 一人で過ごす時間や空間を何よりも大切にします。他人からの干渉を嫌い誰かを頼る事無く、自分で問題を解決しょうという姿勢を持っています。また、絶対に他人に媚びたりする事がなく、その潔い態度はあなたの一番の魅力になっています。

 人と違うオリジナリティをいつも心がけ、生活の仕方、仕事の進め方に至るまで自分の流儀を持っていて、それを実行しています。外見はさっぱりとしていて飾り気が無く、見栄をはったりおしゃれはしませんが清潔な印象を与え、開けっぴろげで人見知りしない態度や、相手の思惑や感情を気にしない率直さが印象的でもあります。

 豊富な知識を持ち合わせ、頭も良く、感情に左右されないタイプですから、物事を客観的な視野で判断できる人ですが、結論を出すのには自分が納得できるまで時間をかけるタイプでしょう。また、誰の前でも自分の個性を上手に発揮出来るのですが、心の中では自分の世界を作っており、あまり他人を入れる事は好きでは無いようです。気まぐれで自由にしていたい気持ちが強く、世間体などは気にせずマイペースで生きていく人でしょう。普通なら人が嫌がるような単純な作業の繰り返しであってもちっとも苦にならないのは、すぐに自分のペースを作り、その世界に没頭する事が出来るからなのでしょう。


2) 社会意識

 何事も手を抜かず真面目で几帳面な人で、純粋な心を持ち、素直に他人の声に耳を傾けるタイプでしょう。教養、知識共に豊かで、理数系や技術系に強く、コツコツとデータを集めて研究を積み重ね、大きな結論を導き出す力を持っています。そして、非常に教養人で、実より名を取る、金銭的利益より名誉を重んじるタイプで、損得を考えず正論を押し通す傾向にあります。性格的にはお人好しで、大きく包み込むような優しさと温かさを兼ね備え、親切な人でしょう。また、裏技などのズルは無く、世渡りはやや不器用な傾向にあります。

 世間体を気にせず、やりたい事をマイペースで計画、実行できる努力家で、サッパリしていて付き合いやすいので好感を持たれるのですが、心の中に一線を引いて自己流の合理的な処世術を持っている所があり、必要以上に相手を求める事がなく、感情に左右されずに客観的に世の中を捉えながらも、純真な心で自分の個性を発揮できる人でしょう。

 どんな困難も周囲からの手助けで乗り越えられるラッキーな運気があるので、可能性を信じて、今以上に自分の力を伸ばすように努力すれば更に道は開けるでしょう。


3) 深層意識

・知的好奇心の強い理知的な人。
・物事を理性的に捉える。
・感情を露骨に出さない。
・凝り性で、自分の物差しで物事を判断する。
・常にトップを目指す。
・人前では悠長に構えて、あくせくした面を見せない。
・内面に潜むのは、体裁を整えたい気持ちである。
・根は真面目で、陰ながらの努力を惜しまない。
・ブランドやネームバリューを大切にする。
・周囲に大きな影響を与え、物事の流れまでをも変える人である。


------- ◇ -------

「表層意識」とか「深層意識」とかとある割には、「意識」とは云い難いコメントが垣間見られるのが気になる。(例:物事の流れは、意識では変えられないと思う。)

そして、こうして文章を眺めると、どうやら理系のイメージで、偏屈で、あまり可愛気がないように見受けられる気がする。他人だったらどのように距離感を掴めばよいものか悩むタイプだ。

最も気に入った一節は、


どんな困難も周囲からの手助けで乗り越えられるラッキーな運気があるので、

というくだりだ。

飢え死ぬことはなさそうだ、というぼんやりとした自覚は、あながち間違っていないのかもしれない。



ブーツ考。

2006-11-13 | 物質偏愛
 ブーツはそもそも、フェチアイテムである。


それがいつからか、秋になると百貨店にも道端にもブーツが氾濫するようになった。なんとまあ沢山の材質とフォルムが冬の足音を待つ間もない程早くに世間にびちゃびちゃと繁殖してゆくさまを見ると、ブーツがフェチアイテムから格下げになってしまった淋しさを禁じ得ない。

そういう私も、ブーツを5足所有している。
ジャスティン社のアメリカ製本格ウエスタンブーツや、サイドゴアでロングノーズのショートブーツ、高くて太いヒールが特徴的なキャメル色のストレートブーツなど。
ご愛用であったそのうちの一足、華奢なヒールの黒皮ショートブーツがそろそろお陀仏になりそうだったので、その代わりとなる一足を探して、私は難儀した。

店頭には山程のブーツが並んでいるくせに、そいつらがからきし美しくないからである。
なぜだ。
美しくないブーツなぞになんの意味があるというのだろう。


 そこで、道を歩いてゆくお嬢さんたちの足元を観察してみることにした。

 まずひとつ、ブーツには、ウエスタンやワークブーツを筆頭に、すとんとした直線的フォルムのものがある。これは、否定できないくらいに曲線的な女性の足のラインをハードな材質とメンズライクな直線的フォルムで覆い隠すことによるアンビバレンツな美をそこに醸すためにあるものだ。よって踵は総じて低く太く、歩けばゴツゴツと音がしそうな風情が漂う。男性が身につけるのとはまた異なる色香がその「ゴツゴツ」という音から発せられることは容易に想像がつく。

 ふたつ、これはより直接的に、女性の足の曲線ラインに沿うような華奢な材質で、まるで足の形のままにぴったりと寄り添うようなものがある。これは、極端に言えば「ストッキングがブーツになった」とでも云うべきもので、筒の部分が1センチ刻みで選べたりする場合もある。自らの足に不自然なくフィットさせることにより、まるで素肌のようにブーツを纏うことによるボディコンシャスな美である。

 みっつめ。これが私にとって最も難解で、今年になって最も多く目にするタイプだ。上記両方のタイプの流れを汲むことができるようだが、くしゃくしゃとした皺をブーツの表面に与えて、ドレープのようなぐったり感を前面に押し出すものである。
「ドレープ」とは、本来ならばその脆弱で不安定な揺らぎがラグジュアリーで優雅な装飾美を提供するはずのものだ。それがブーツに与えられたからといって、皮革という材質と、複雑に縫い合わせた筒という形状の限定により、脆弱な感性すら生み出さず、儚げな揺らめきも伝えない。むしろ、「足を包むもの」としてある程度限定されてしまうフォルムを不必要に乱し、ブーツそのものの存在の美しさも、それが包む足の美しさすら損なってしまう。嘆息するよりほかはない。


 ブーツは、衣服とは異なり、あらゆる装飾が許される分野ではない。
 ブーツは、防寒や乗馬という機能美が不要になったところに生じる無駄である。
 ブーツは、無駄であるからこそ、削ぎ落とした機能美が際立って美しい。

ブーツとは、本来そういういきものだ。


長い行脚の末に入手した、ぬるりとした質感が艶かしいアンクルブーツは、これから何年私とともに居てくれるだろうか。



うたあそび(2006秋_2)

2006-11-12 | 春夏秋冬
◇詞書
   秋のはじめ、こめかみ痛き夕べによめる


からだ病む折ばかり濡る わが袖は こころ痛きに いとどさやけき

(男、かへし)
病む君に 降り注ぎゆく秋ひさめ 我が身にこそ 降りかかりこよ

(女、かへし)
誰が掛けるおもひ深くも 我がそらに舞い散らすらむ つゆも染まらじ



◇詞書
   秋のあらしの宵によめる


折に吹く巌風受けて つぼみ傘 氷雨に惑う人ぞ 哀しき

(女、かへし)
窓際に きらり煌めく秋雨の ふぶくあらしも 溶くる宵闇



◇雑歌

待ち侘びた 秋の夜長もいつになき騒々しさよ 虫の音も無きに


珈琲の深き色味に 肩に咲く華を浮かべて くすりと笑ふ






錆びた鍵。

2006-11-09 | 徒然雑記
空が高く蒼い。
ただそれだけの、しかしとても純粋に澄んだ美しさが僕の生の欲求を刈り取る瞬間がある。
それは、ふいに差し出される暖かい手を強固に払いのけたくなる衝動と同じ種類のものだ。

強い風に持っていかれないように、左手できゅっとスーツの前を合わせる。秋の空は高く澄んでいて、こんな日に相応しくないくらいに強い風が吹いていることが僕の気分を少なからず楽にさせる。歩きにくいことがむしろ僕の歩を進ませ、強い風に細める目がむしろ広い世界を僕に見せる。

渇望は、あるきっかけで突然やってくる。
諦めることに慣れた僕の心の中で、何年も前に閉じたまま錆び付いた錠前が、風に吹かれてぎし、と鳴る瞬間の痛みは僕の顔を歪ませる。人は鍵というものを目にしたとき、無意識にそれを「開ける」あるいは「閉める」という動作を想起する。僕の心の中で「開ける」ことを放棄したままの鍵においてもそれは同様で、ひとたびその鍵の存在を意識してしまった瞬間に、それを「開ける」痛みとそのあり得なさが無意識に響き渡ったとしても、それは僕の思惑のせいではない。

僕がその鍵を閉めたのはいつのことだったか。そのとき僕は痛みを覚えたのだったか。
無意識における鍵の開閉のイメージだけが記憶の中で積み重なって、それより遥か遠い記憶の中にある施錠の行為をもはや僕は覚えていない。

そのハコの中から飛び出す蛇やら虫やらが恐ろしくて、僕はそのハコの鍵を閉めた。閉めたハコの中のものは、外からは見えない。人間というのは不思議なもので、見えないものを夢想できる特技がある。そのハコの中で餌も与えられないままの蛇は、今でも息をしているのだろうか。恐ろしい形状の虫は長い年月の間にいつしか麗しい蝶になって、その羽の煌きを誰かに見せたくてしょうがなくているのではないか。そんな空想が時折僕の頭をよぎる。そうやって僕は閉じたままのハコの中のユートピアを思い浮かべたりもするのだ。

しかし、ユートピアは閉じていてこその楽園だ。
その甘美な空想が僕の手に鍵を握らせることは、ない。

閉じた楽園が僕に主張する誘惑の痛みを撥ね退け、家路を急ぐ。風に向かいながら歩く僕の眉間に刻まれる皺がハコの中に棲まう奴らの叫びのせいだったとしても、僕はそれに耳を貸さない。ハコに反響した叫びが奏でる滑稽なオーケストラを聴きながら僕は口を歪ませて笑う。

このまま開けないのならいっそ捨ててしまえばよいと判っている鍵をいつまでも捨てられずにいる夢想家な僕自身への、精一杯の自嘲を込めて。




山の秋。

2006-11-06 | 春夏秋冬
秋の長雨も過ぎて、山の色は刻々と変化してきている。
僕がこの山にきのこを獲りにくるのもどうやら今年がこれで最後になるだろう。僕の背に覆いかぶさる籠の中身は今年いちばんに軽く、山が冬支度に向けて財布の紐を固くしはじめたことを僕に教える。

たまの小春日和が嬉しくて、僕はふかふかした落ち葉をざっくりと足で寄せ、その上に寝転び空を見上げた。細い枝先に囲まれてわずかばかりぽっかりと丸く開いた空はとても高く見えるのに、それは霧がかかったような淡い色をして、その距離をわからなくさせた。切れぎれのうろこ雲がその端を薄く覆って、高い空をたなびく風に引っ張られるようにその端っこだけが細く伸びて崩れて、僕の目では追えないほどにゆっくりと、多分流れている。耳元でかさかさと響く葉擦れの音と、はるか遠くの風の動きとはまったく同調していないはずなのに、僕はいつしか波を眺めてその音を聞いているような気分になった。

突然、波は僕の背丈を超えて頭のてっぺんのほうを過ぎていった。と思った僕は慌てて手をばたつかせた。
「ふふふ。」
相変わらず木の葉の上に寝転んだままの僕の頭上に、夕陽の逆光にその輪郭だけが金色に照らされた影を見た。小さなその手にはいっぱいに木の葉が盛られていた。こいつを僕の顔の上に容赦なく降りかけたに相違ない。ばさりと僕は起き上がると、眉間に皺を寄せて苦笑しながら、頭や背中に絡んだ落ち葉の破片を払い落とした。そしてやんわりとした抗議の意を込めて、再び彼を見上げた。
「寄ってゆくか?」
僕の抗議の視線などはものともせず、至極当たり前のように老狐は真顔でそう云った。
僕は諦めて、苦笑したままの顔で頷いた。

老狐の庵は以前来たときとは違って蔀戸が下ろされており、簡素な数奇屋に豪奢な羽織を纏わせたような風情であった。彼本人も、近寄り来る冬の足音が聞こえてか、淡く美しい藤色の着物の下から赤い襦袢を覗かせていた。
「この季節は、中途半端に寒くていけない。」老狐は云い、火に掛けたままの芋粥を放ったままで、ふたつばかり上げてあった蔀戸を下ろそうとした。僕はそれを制した。閉めてしまうのは勿体ないではないか、と僕は云った。
「勿体ないとは、何がだ。」と問う老狐に対し、僕は無言で枝の頭上をはるか高く超えた丸い月を指差した。
「それがどうかしたのか?」彼は怪訝そうに僕に尋ねた。僕はこのままではきっと焦げてしまうだろう芋粥の火を消すように促し、人が秋の空を眺めるのが好きなこと、とりわけ、その澄んだ空気の向こうに浮かぶ月を好み、短い秋を惜しむように月を愛でることを、彼に告げた。言葉を続けながら僕は縁を降りて、庭の隅に茂るススキや秋の小菊を摘んで、手近な高台に横たえた。

「人間とは、不思議なものだな。一眠りするような短いうちに、季節は回ってくるというのに。」
老狐はススキの一枝を噛みながら、開け放たれた縁の向こうに煌々と照る月をまるで不思議なものでも見るように眺めていた。

急に冷たくなった夜風が御簾を揺らし、僕たちは今まで芋粥のことを忘れていたことを思い出した。



【関連記事】
うつせみ。



少年の夢 -SPEED-。

2006-11-05 | 物質偏愛
「これを買ってあげるともし言ったら、君はそれを喜ぶかい?」
 
 誰かから、突然に、何かを貰うことは本当に思いがけず、嬉しく、そしてこそばゆいものだ。

私の部屋の玄関を上がってすぐの廊下の幅を半分弱占拠している本棚、その上は数少ない娯楽場になっていて、違う大陸から運ばれてきた石や、コインや、そして沢山のミニカーで埋もれている。そのミニカーの半分はフェラーリのそれで、その真っ赤な並びに今日新しい仲間が加わった。それは20センチ以上はある真っ赤なイヴェコのトランスポーター。つまり、F1マシンを戦地まで運ぶトレーラー。そして、面白半分で購入したセイフティカー。

小さくて軽い車たちを左手に下げてぷらぷらと揺らしながら帰宅すると、私はまるで子供のようにわくわくと、眉間に皺を寄せながらその配置を考え、どうにか定位置を定めて飾りつけを完遂させた。満足気ににたりと笑う私の顔は、幼い少年が虫かごに入れた戦利品を眺めるときのそれときっと同じだ。

思えば私は子供の頃から車が好きだった。
三歳にも満たないような子供が車のことを「ぶーぶ」と表現したりするような頃、私は頑固に首を横に振り、「チガウの、あれは、トアック(*「トラック」と言えていない)。」などと、バスやショベルなど幾つかの種類を分類することに拘り、大人たちの機嫌を少なからず悪くさせた。

小学生にもなると、夏の旧盆の支度の一部は私の担当だった。
胡瓜の馬と、茄子の牛を作った。そして、その意味を知った。私は子供心に、「馬の足がいくら速いと言っても、ご先祖様は何人もいるのだし、馬が一頭きりじゃ限度があるに違いない。」と思った。そしてある日の学校帰りに、私は近所の玩具屋に寄って、小さなミニカーを大事に抱えて帰宅すると、自慢気に仏壇にそれを並べた。

それはくすんだ黄色をしたロータスホンダ。
どうしても待ちきれなくて、すぐにでも逢いに来たいと思ったら、ご先祖様はこれに乗って来ればいい。子供の私にとって、この世で最も速い乗り物はF1だった。
「運転できるのかしら?酔っちゃうかもしれないわよ。」
そう云って、親は苦笑した。

何年か経って、旧盆の仏壇にはロータスホンダの隣に、90年代当時の真紅のフェラーリと、ブリティッシュグリーンのジャガーが並ぶようになった。エンジン音が各社で異なることを知り、車の安定やら形の美意識やらも知り、ご先祖様の好みによって選択の幅があったほうがよいと思ったからだ。

あれからもう15年も経った今でも、あのときのフェラーリが私の傍にずっと居る。
新幹線を知り、リニアモーターカーを知り、戦闘機を知った今でも、多分私にとって「この世で最も速い乗り物」である実感を与えてくれるものは最高級な車なのだ。私に少年期というものがもしあったとしたならば、それは未だに輝きを放ち続ける少年の夢そのものだ。


実家にあるはずの残り2台が今でも旧盆の仏壇に並べられているかを私は知らない。
そして、ご先祖様がそれを一度でも利用したことがあるのかどうかも。