Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

ΕΥΡΗΚΑ

2009-09-15 | 徒然雑記
 



 上に掲載したのは、上司に貰った画像です。

 上司は、海外出張時にある会社に掲示してあったこの画像を見つけて、貰ってきました。



<< Question >>

(1) この男の子の顔は、どんな感情だとおもう?

(2) この男の子は、なんでこんな顔になったとおもう?



■■■みなさまの想像を駆使した回答をお待ちしています■■■



<< Hint >>

○画像のなかの、色がついているところ。

○わたしの思考の順序。

わたしは、ヒントを貰って正解に辿り着いたんだけど、
その正解(確証はなかったけど)を言葉にするのが少しこわかった。

それが正解だとわかって、足元に少しだけぞわと鳥肌が立った。

そして、ようやくそのあとで、
あたしもいつか死ぬまでの間には、それに似ためにあってみたい、と思った。




 

ミントにレモンパイ

2009-09-01 | 春夏秋冬
  もんしろちょうちょと レモンパイ 
  おんなじ匂いと うたってた     (サトウハチロー)



 一面にわさび田がひろがる湧水のほとりに、そこだけまるで冥界みたいにモンシロチョウが群れていた。
彼らはミントがお気に入りで、爽やかなライムグリーンの葉の上にこぢんまりと咲く白い花をケンケンパするように跳び移っていた。緑地に白の斑点がゆらゆらとする景色の端々に、橙色のヒョウモンチョウが少しだけ混じっていた。わたしは両の掌でそれを包むように捕まえては、まあるく膨らませた指と指の間をちょうちょがちょこちょこと潜って出てきては、やれやれという感じで飛び立ってゆくさまを幾度かに分けて愉しんだ。

 レモンとミントの組み合わせだなんて、夏のおわりには少し爽やかすぎるかもしれないくらいに上出来だよ、とわたしはある詩のひと欠けらを思い出して、つぶやいた。
わたしの頭の上を、手のひらよりも大きなカラスアゲハがゆらりゆらりと、細い糸で操られた凧みたいに不自然な弧を描いて、山のほうへ流れていった。

 わさび田を囲むように流れる川を渡った先には水田が広がっていてそこにはちょうちょの影もなく、まだ紅めいていない柿色のアキアカネがひょんひゅんを空を切るようにして飛び交っている。紅くないアカネは敏捷でなかなか羽を休めようとしないから、わたしは彼らを捕まえられない。だからわたしは、そうと望めば自分の指に止まってくれたり、もんしろちょうちょと同じくらいに造作もなく片手で捕まえられる紅いアカネのほうが断然すきだ。


 たくさんのちょうちょが群れをなしているところには、生きるとか死ぬとかいう原始的な力に近いなにかが眠っているような気がする。
そうして、時間が遡っていくか、分かれてしまった時空に迷い込んでいくような気分になる。

 たくさんの蜻蛉が飛び交っているところには、赤外線のように目に見えない透明な糸が次々に張り巡らされて檻が形作られていくような気がする。
繭のような檻のなかではきっと時間が止まるかして、その中にはながい眠りがありそうな気分になる。



 なにかがたくさん飛んでいるところに入り込めば、ふわりと気持ちが昂ぶる。
そこには目に見えないだけで、わたしが生きているのとはまったく別の世界がゆらゆらと漂っているのだきっと。