昨日、久しぶりに梅田芸術劇場(旧劇場飛天、梅田コマ)に行ってきた。
前回は飛天と言っていた頃なので、もう10年以上も前のことになる。
今回は小林旭と八代亜紀の共演である。
二人とも我々の年代にはなじみの深い歌手だ。
さすがに2000人近い観客席もほとんどが我々以上の世代で満席であった。
TVやレコード・CDと違って、生のコンサートでは合間のトーク(しゃべり)に「その人と、なり」が滲み出て、そのことでより贔屓になったりするものである。
(特にさだまさしのトークには定評があるようで、チケットがなかなか入手しにくい)
小林旭は私より約一まわり上の年令にも関わらず、髪もフサフサで(羨ましい・・)年令を感じさせない舞台であった。
ところが八代亜紀がしゃべり出し客が耳を傾けようとしているときに、すぐに割って入り自分のことをしゃべり出すのが目立った。
退職した人と久しぶりに出会って話している時によく感じることであるが、相手への関心がないがごとく自分の事ばかりしゃべる傾向が強いように思う。
多分これは年をとると頑固になるのと同じで、相手から何かを吸収して自分の糧にしようという柔軟な心が、年と共にすり減って頭が固くなっているのでは・・・と思う。
会場で奇偶というか田舎の中学の同級生夫婦と出会い終演後4人で喫茶店に入ったが、全く同様でなかなか話がキャッチボールにならない。
残念ながら「我らが小林旭」もそうなのかな?とちょっと寂しくなってきた。
前回は飛天と言っていた頃なので、もう10年以上も前のことになる。
今回は小林旭と八代亜紀の共演である。
二人とも我々の年代にはなじみの深い歌手だ。
さすがに2000人近い観客席もほとんどが我々以上の世代で満席であった。
TVやレコード・CDと違って、生のコンサートでは合間のトーク(しゃべり)に「その人と、なり」が滲み出て、そのことでより贔屓になったりするものである。
(特にさだまさしのトークには定評があるようで、チケットがなかなか入手しにくい)
小林旭は私より約一まわり上の年令にも関わらず、髪もフサフサで(羨ましい・・)年令を感じさせない舞台であった。
ところが八代亜紀がしゃべり出し客が耳を傾けようとしているときに、すぐに割って入り自分のことをしゃべり出すのが目立った。
退職した人と久しぶりに出会って話している時によく感じることであるが、相手への関心がないがごとく自分の事ばかりしゃべる傾向が強いように思う。
多分これは年をとると頑固になるのと同じで、相手から何かを吸収して自分の糧にしようという柔軟な心が、年と共にすり減って頭が固くなっているのでは・・・と思う。
会場で奇偶というか田舎の中学の同級生夫婦と出会い終演後4人で喫茶店に入ったが、全く同様でなかなか話がキャッチボールにならない。
残念ながら「我らが小林旭」もそうなのかな?とちょっと寂しくなってきた。
夫婦でスターの生観、いいですね。ラブラブですね。キャンピングカーの延長じゃないですか。会話の指摘。鋭いですね。人の話を、まず、聴く。会話の鉄則です。老人大学で学んだひとつです。自分が、どの程度か、自信がなくなりますが、気を付けようと思いました。家内がそうで、人の話をすぐ取ってしまいます。『最後まで聴け!』と、よく喧嘩になります。話の腰を折られると、次を話す気がしなくなりますよね(忘れてしまうこともありますが)。人の話を中断しても、割り込むのは、“それ、知ってる”と思うと、すぐ話さなければ忘れてしまう(笑)とか、相手の話が他に進み、あとでは言い出しにくくなったりしますからね。きっと、自分でもやってる、やってる。特に酒の席では・・・・。特に、飲まない人は、不愉快でしょうね。今朝は、早起きして、一読。目が覚めました。いや、目が覚めたから早起きしているのですが。