還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

能登半島灯台巡りの旅(最終日)

2012-05-28 19:44:04 | 旅行
5月12日(土)
ちょうど一週間の今回のキャンピング旅行もいよいよ今日で終わり。
今まではあまりクッションのよくない自作ソファ兼ベッド+寝袋というスタイルだったのですが、今回ダブルの敷布団とシングルの肌布団と毛布各二人分を用意したので、自宅と変わらない快適な睡眠環境で過ごすことが出来ました。
おかげで今回はほとんど疲れが残りませんでした。


=三国湊町= (0650-0720)
かつて「北前船交易」で栄えた名残を残していると言われる「三国湊町」を早朝30分ほど散策してから、今日の目的地「丸岡城」へ向かう。


=丸岡城= (0800-0940)

別名「霞ケ城」とも呼ばれていて、戦国時代(1576年)に作られた城である。
現存12天守(※)の内、最も古いものだと言われている。
明治維新後、官有から民有そして町有と持ち主の変遷に伴い、濠は埋められ門や建物は売却されたりして、現在はこの天守と野面積みの石垣を残すのみとなっているが、かえってそれが身近に感じられて親しみやすさがあるお城である。

周囲は霞ケ城公園となっている、楓の新緑が早朝の静けさにマッチしていて素晴らしかった。

平和な時代に作られた城と違って、敵の侵入を防ぐ「石落とし」や「狭間」等の様々な仕組みが見られる。

構造上の問題かも知れないが階段も垂直に近いもので、敵が侵入してきても一気には攻め込めない。

天守への石段も各段の高さが微妙に違えてあって、登っていて思わずガクッとなってしまいます。
昨日の山で滑落したせいかなとちょっと心配したのですが、見ていると他の人も同様にとまどっていました。
これも敵に一気に攻め込まれないための工夫なのかな・・・と勝手に想像してみました。


屋根には全国的にも珍しい石瓦が使われていて、総数約6000枚で屋根全体で120トンにもなるそうです。

入場券(¥300)には歴史民俗資料館への入場券も含まれているので、ここも見逃したくない所です。
個人が所有されている歴史ある道具や書物等を市が借用展示していて、歴史に興味がある人には必見の価値があります。


また第2と第4土曜日の早朝7時から城前の無料駐車場で「一筆啓上朝市」が開かれていて、野菜や果物類が市価の半額以下で売られていました。

バナナがこれだけでたったの100円でした。
一時間くらいでほとんどが売り切れになって、あっという間に店じまいをしていました。


※現存12天守の城
弘前城 松本城 丸岡城 犬山城 彦根城 姫路城 備中松山城 松江城 丸亀城 高知城 松山城 宇和島城
さすがに薩長には残っていませんが、竜馬らが活躍した四国には何故か4つも残っています。
(私は弘前城と犬山城、彦根城、備中松山城はまだ訪れた事がありません。灯台巡りの合間にお城巡りもしてみたいなと思っています)


ここ丸岡町は「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」で有名な本多作左衛門のゆかりの地と言う縁で始められた「日本一短い手紙」の「一筆啓上賞」でも有名です。
城へ向かう階段沿いに過去の入賞作品が掲示されていました。
いずれも心をうつ短文ですが
「犬好きの老妻へ」
「柴犬を抱きしめ 頬ずり頭撫で、爪切りから耳そうじ。
 明日の誕生日わしにもやってくれ。」
に思わず笑いをこらえながら「いやいやー ご同輩」と妙に共感するのは私だけだろうか?



今回の灯台巡りの旅では、ついに到達できなかった「猿山岬灯台」「能登島灯台」を含めて15灯台を巡る事が出来ました。
飽きずについてきてくれた妻に感謝しながら、総行程1236㎞の旅が終わりました。

外浦と言われる能登半島西側の男性的な風景と東側の内浦の穏やかな風景、それに「能登は優しや、土までも」と言われる能登の人情に触れ、おまけに遭難未遂騒ぎまであって、いつまでも記憶に残る旅になりました。