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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(42)

2013-04-08 | 旧東海道run!!

もしかして今日が最終回?
一応、日本橋までのリサーチだけはしておいたけどね。
あとは体調次第かな?

自宅を出て、今日はいつもの前後駅ではなく、あえて鳴海駅まで自転車にする。
鳴海から名鉄で豊橋へ。
豊橋で「こだま」に乗換。

だんだん遠くなって、とにかく少しでも早く現地入りしたいからね、素直に新横浜駅まで利用する。
当然、普通乗車券の券面は「豊橋→横浜市内」となるわけなんだけど。

「新横浜駅」。
東海道本線に接続してないから不便なんだよね。
横浜駅に出るのにもっとも便利なのは、横浜市営地下鉄ブルーラインなんだけど。
それじゃ切符が新横浜駅で回収されちゃうからね。
せっかくだから、横浜市内は極力、JRで移動したいよ。

で、こんな場合の裏ルート(というほどでもないか?横浜市民なら当たり前?)、新横浜駅でJR横浜線に乗換、横浜駅の1つ手前、「東神奈川」駅で下車。
ここでJRの切符とはさよならね。

実はこの駅の真ん前が京急「仲木戸」駅なのさ。
全然違う駅名だから、よそ者には分かりにくいけどね。
仲木戸駅で京急の切符を購入、普通列車で4駅(150円)で、前回のゴール、「生麦」駅に到着。

「隣接駅なのに全然名前が違う」例は、全国にも何箇所かあって、いずれも「地元の人には当たり前」なんだろうけど。
特に私鉄王国関西地区に多い気がする。

隣接の関係にありながら、会社が違ってたりして、それぞれ別々の駅名をつけたりしてるから、利用者としてはややこしい。

近鉄阿倍野橋駅とJR天王寺駅、JR大阪駅と地下鉄・阪急・阪神の梅田駅はその代表例かな?
大阪の街をややこしく感じるのは、こんなところにも原因があるかと。

愛知県では、JR東海道本線「三河塩津」駅と、名鉄蒲郡線「蒲郡競艇場」前駅が有名?やね。

先入観を取り払って時刻表を眺めると、いろんなことが分かって面白い。
ちなみに名古屋や大阪等から新幹線で来て、羽田空港(東京国際空港)を利用するなら、東京や品川なんか行かずとも、この「新横浜」駅下車が最も便利なのも、意外と知られていない。

羽田行特急バスが30分に1本程度出てるんだけどね。
(所要35~50分)

何となく、品川か東京に出て、山手線に乗換、さらに浜松町からモノレールのイメージあるけどさ、遠回りだし、乗換は多いし、運賃は余分にかかるし。
「東京国際」という名に惑わされ、「東京都内」を通るものと思い込んでしまうけど、それは先入観というやつさ。

さて、東海道。
まずは生麦駅周辺をウロウロした後、本日のトレーニング開始!!

南下してすぐ、前回の終了地点、ビール工場の通用門前で突き当たる。
ここからが東海道やね。

左折して東海道を東に向かう。
街道らしいオーラの残る道だ。

県道をわたってすぐ、左手民家に「生麦事件現場」の解説板が掛かっていた。

こっちが現場?
じゃ~、前回の「生麦事件の碑」は何?

薩摩藩の大行列と、英国人グループが接触したんだ。
逃げ回ったりもするだろうし、1か所ではなく、この辺り一帯で凄惨な事件が起こったと理解しておこう。

しばらくは道なりだ。
特段見所はないけれど、もともとこの辺りは漁村だったせいか、沿道沿いには魚屋さんが多い。
時間帯によってはかなり活気があるかもね。
ただ、今は静かな生活道路の感がある。

しばらく走ると、線路の下をくぐるけど、左を見ると何とも薄暗い雰囲気の通路がある。
いかにも高架下の昭和の雰囲気漂う商店街跡の雰囲気だ。

鉄チャンなら知っている、あの有名なJR鶴見線「国道」駅だ!
記念に写真だけ残しておこう。

そもそも「国道」という駅名、この通路の反対側に国道15号(第一京浜:かつての国道1号)が通ってるから付けられた名前なんだけど。
でも国道なんて日本中にあるし、国道沿いの駅だって他にも多々あるから変なんだけど。
とにかくここはそういう駅名なのだ!

そしてこの素晴らしく時間が止まったような情景は、見るものの心を奪うらしく、度々映画やドラマのロケにも使われたりしている。
最近では、昨年(2007年ね!)、キムタク主演の「華麗なる一族」でも使われたとか。

しばらくうろつきたい心境だけど、トレーニング中だしね。
先に行くとしよう。

「下野谷町入口」交差点で、国道15号を斜めに横切り、そのまま直進する。
「京急鶴見」駅の前に出た。

この駅によって東海道は寸断されている。
よって、左折して、駅の反対側(東口)に出るしかないな。

で、歩道橋を渡り、横浜銀行前を入っていくのが正解さ。
しばらく走って左の分岐道を行くと鶴見神社があるらしいけど、少し東海道から外れてるからパス。

そのまま広い道に沿って走る。
「鶴見駅東口入口」の交差点もそのまま直進する。

鶴見川を渡る。
鶴見川橋(旧称鶴見橋)、ここにもかつて関門があって、外国人や攘夷派を取り締まっていたらしい。(旧東海道編41参照)

しばらくはまた道なりだ。
左手に「市場一里塚跡」を発見。
日本橋から数えて5番目、つまり残り20kmはすでに切ってるってことだね。

右手に京急本線が再び寄り添ってくるとすぐ、八丁畷(はっちょうなわて)駅前。
再度踏切を渡り、そのまま線路を左に見て走る。

この辺りから、川崎宿が始まるらしいけど、残念ながら、当時の面影は皆無に近い。
元々、神奈川宿~品川宿には宿場が無かったけど、距離がありすぎて不便ということで、1623(元和9)年に追加された小さな宿場だったらしい。

現在も、横浜と首都東京に挟まれ、地味な印象の川崎市だけど、まぁ、それでも政令指定都市には違いないからね。

「小土呂橋」という交差点を過ぎると、道は少し左に傾く感じ。
街そのものに面影はないけれど、解説板は比較的整備されているのが嬉しいね。

佐藤本陣跡。
そして続けざまに「砂子の里資料館」「宗三寺」。
資料館は川崎宿関連の資料が豊富に残っているらしいけど、トレーニングの中断はまずい!から素通り。

田中本陣跡。
ここも案内板のみが残る。

直進を続けると、「本町」の信号、ここも直進。
国道15号の下に出る。

ここをそのまま国15の下をくぐっていくと、2kmちょっとで有名な「川崎太師」なんだけど。
余裕があれば寄りたかったけれど、東海道とは直接関係ないしね。

国15の下をくぐってすぐのところに「六郷の渡し跡」。
ここから東海道は目の前の多摩川を舟で渡ってたわけだ。
今も釣り船らしき小型船が数隻、停泊している。


さすがに現代、渡し船は存在しないだろうから、そのまま国15の右側の歩道に登り、橋(六郷橋)を渡るしかないけどね。

橋の途中で「東京都大田区」の看板!!
ついに神奈川県も制覇!
最後の都道府県「東京都」に入ったよ。

先々を考慮し、このまま右側の歩道を走ろう。
右側歩道がそのまま東海道になっている感じかな?
ほんのちょっとだけ国道から離れた感じになるけれど、これがわずかに残る旧東海道の痕跡らしい。

左手奥に京急本線が寄り沿い、小刻みに駅があって、良い気分転換になるけれど。
ひたすら国道15号(第一京浜)を走るしかない。

京急蒲田駅前を通過、大田区体育館前を通る。
道の反対側に小さな公園が。
「梅屋敷公園」。

昔はここ、梅林で、茶屋もあったらしいから、この名がついたんだね。
ちなみにその梅林を作ったのが、「和中散」で大儲けした商人らしい。
懐かしいね~和中散。
石部宿やね。(旧東海道編26参照)

「大森警察署前」の交差点、国道131号との合流点でもあるんだけど、この先、右に分岐する細い道が旧東海道らしい。
久々ながら、旧街道らしい演出もされていて、癒されるねぇ。

大森スポーツセンタを超えたところで、再び国15に吸収される。
「しながわ水族館」前を通過。
家族連れがちらほら。

その先、300mほどで、再び右に分岐する細い道。
これが東海道なんだけど、その分岐点にあるのが、「鈴ヶ森処刑場跡」。
名前の通り、ここで罪人を処刑していたらしい。
現在も磔台や火炙台等が残されているらしいけど、あんまり気持ちの良いものじゃなさそうだから、外からの見学にとどめておく。

右手奥には「品川区民公園」があって、普通に走るなら絶対そっちの方がお薦めだけど、東海道にこだわってるからさ、あくまでもこの街中の道路を走るのさ。

でも左手に、ちょこちょこと神社やお寺が散見され、ここが東海道であることをかすかに示している。

左手に鮫洲駅。
この辺りから何やら少しづつ街道らしい雰囲気になってきて、どうやら最後の宿場、品川宿に入ったらしい。

左手に現れたのが「品川寺(ほんせんじ)」。
江戸六地蔵の1つとして有名らしく、立派な境内で活気もある。
少し立ち寄ってお参りしてみる。

品川宿は、東京都の街中にも関わらず、観光客をターゲットにした案内所もあり、案内板等も整備されていて、走り心地が良い。
また、人通りも多く、賑やかな界隈だ。

品川神社、聖蹟公園(本陣跡)等、丁寧に解説してあり、楽しいひとときを過ごすことができた。

問題はここですでに実走距離、ほぼ20kmぐらいかと。
最寄駅はこの先すぐの京急「北品川」駅がある。

でもなぁ、ここまで来ちゃったしね。
日本橋まで推定で6~7kmぐらい?
それだけのためにまたここまで来るのもアホらしいしね。

じゃ、頑張って走るか!!

気にしていた「北品川」駅を素通りすると、広い道にぶつかってしまう。
せっかくの街道らしさが突然途絶え、都心の雰囲気に引き戻されるけど。

ちょっとややこしいけど、とにかく京急本線に沿う形で走り、「八ツ山橋」交差点で再び国道15号に合流、横断歩道を渡って、大幹線と化した国道の左側の歩道を走ることにする。

バカでかいJR品川駅前(高輪口)を通過。
首都東京、しかも新幹線の駅もある代表的な玄関口の1つだけど、道路の反対側のせいか、意外にゴミゴミした感じがない。
かの有名な?品川プリンス&グランドプリンスは左側だ。

1kmほど進んで「泉岳寺」の交差点。
こりゃ、歴史好きなら誰でも1度や2度、耳にしている有名なお寺だ。
特に忠臣蔵のファンなら泣いて喜ぶスポットだよね。
ちょっと疲れてきてるけど、コスモタイガーもここは外せないな。

左折して少し入ったところに、その泉岳寺がある。

本堂の奥にある墓所。
ここに大石内蔵助以下、赤穂浪士47士が眠っている。

さて、まだ先があるからさ、国道15に戻って東海道ランを続ける。
といっても、もうここまで来たら地図は要らない。
日本橋までこの道を走るだけだもん。

今度は右側を走る。
すぐに道路脇に石垣とこんもりした繁みみたいなものが…。
「高輪大木戸跡」。
こんな都会のど真ん中に良く残ったものだね~。
そしてここからいよいよ江戸の街に入ったってことだね。

「札の辻」交差点も直進。
名前からして東海道やね。

地下鉄(都営浅草線)三田駅を超えたところに、三菱自動車の本社。
ここに記念碑が建っている。
「勝海舟・西郷隆盛会見之地」。

この会見により、江戸城無血開城が実現したんだね。

この辺りは、昨年(2007年)より開催されている東京マラソンのコースにもなってるような気がするけど。
もっとも凄いランナーの数らしいから、こんなもの、のんびり見て走る人はいないだろうけど。

「芝4丁目」の交差点で、国15は緩やかに左にカーブし、北上する形になる。
首都のド真ん中を走るってのも楽しいね。

休日だし、昨今のランニングブームの恩恵?なのか、ランナーとも数人すれ違い、こんな街中走ってても奇異の眼差しを感じないのはありがたいね。

「大門」の交差点。
ここでいったん東海道をはずれ、左折する。

300mほど、参道らしき界隈を走ると、「増上寺」がある。

上野の寛永寺とともに、徳川宗家の菩提寺やね。

と同時に、浄土宗の大本山でもあるらしい。
広大な境内を擁していて、緑も多く、結構楽しめた。
背後に東京タワー、というアンバランスさもまた良い。
ただし、残念ながら本堂は工事中!

国15に戻る。
新橋で東海道本線を潜る。
っというより、ここまで来たら、山手線とか京浜東北線と書く方が一般的かな。
あくまでも正式には東海道本線なんだけど。

すぐに「銀座8丁目」の交差点。
ここから先は歩行者天国になっていて、一般的に言われる「銀座」に入るんだね。

もともとは幕府の鋳造所があったため、そこを中心に両替商(今で云う銀行)が集まった。
それが「銀座」と呼ばれる所以なんだけど。
まさに日本における「銀行発祥の地」でもあるんだけど。

今では国内外を問わず有名なショッピング街&歓楽街に変貌した銀座。
休日だからね~、歩行者天国だからね~。
やっぱりそれなりに多くの人がいる。
ちょっと走るのは恥ずかしいけど、仕方ない。
ここが東海道なんだから!!

ここがかつての旧東海道だってこと、行き交う人々の中のどれほどが知っているのであろうか…?


右手に大きな百貨店、松坂屋。
あぁ、名古屋の匂いがする。

三越、松屋、その他、おしゃれな店やビルが続々並ぶ中、良く見ると銀行だってたくさんある。
そう、やっぱり歴史を知る者にとって、銀座には銀行がないとね。
君たちこそ、この銀座の正統派なんだよ。
自信もってお仕事してね♪

歩行者天国はほどなく終了。
首都高(八重洲線)の下を潜る辺りが「京橋」。
ここも日本橋同様、慶長年間まで遡る由緒ある橋なんだけど、現在は記念碑が残るのみ。

そして、旧東海道も残り1kmを切った。
終わりが近いのが逆にちょっと寂しい。

右手に高島屋。
さらに進んで…。

見えてきた首都高(都心環状線)。
そしてその下が、「日本橋」だ!

高速の下で何やら薄暗い雰囲気だけど、ここが正真正銘、旧東海道ランのゴール!!
これにて旧東海道完全制覇!!
時に2008年6月15日。

そしてここは、東海道だけじゃなく、中山道・甲州街道・日光街道の起点でもあったのさ。

現在も我が日本国の道路全体の中心とも言える場所で、「日本国道路元標」が、真ん前の道路の中央に埋め込まれている。

と同時に、歩道には記念碑的に、レプリカの「道路元標」が埋め込んである。
とりあえずレプリカを記念に撮影しておく。

さらに目を移すと「東京市道路元標」。
かつて存在した東京市も、ここを道路行政の中心にしてたってことやね。

せっかくだからレプリカじゃなく、本物も撮っておきたい!
という気持ちは抑えきれず、信号が赤になり、車の途絶えたわずかな瞬間に、道路の中心に行き、ササ!っと撮影!(冒頭写真)
ついでにカメラを手に、周囲を少し散策する。

こうして、旧東海道ラン、全てが終わった。
すでに時計は17時を回っている。

今日はたくさん走ったなぁ。
27~28kmは絶対に超えてるよ。
さすがに少し疲れを感じてはいるけれど。

前後駅前から気楽に始めたはずの東海道ラン。
次回、次回と思って走って繋いできたからね。
途中からは随分と大がかりになってきたけどさ。
その「次回」が無いってのがね、何だか寂しいね。
と同時に、不思議な充実感に浸っているコスモタイガーなのだ。

さぁ、時間も時間だし、最後ぐらい、ちょっと贅沢しようか。
東京駅までは徒歩10分ぐらい。

途中、金券ショップに寄って名古屋までの切符を購入。
これが東海道ラン最初で最後の「のぞみ」号利用なのであった。


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6 コメント

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Unknown (のぶー)
2013-04-08 20:51:03
ここはAH-1のスタートでも有りますね。20557kmです。危ないところも有るので、ぶらっと東海道が良いね…。
のぶ-様 (コスモタイガー)
2013-04-09 10:03:12
コメントありがとうございます。
そんなものがあるんですね~、はじめて知りました。
吉良さま (iina)
2013-09-25 09:51:01
ずいぶん欲張った内容でした。
(コスモタイガー)さんが、「吉良邸」にコメントを置いていたので「忠臣蔵」でこちらに誘導されました。だけど、読んでも
読んでも「忠臣蔵」に関する話題にたどり着けず、ようやく最後になって泉岳寺に至りました。(^^ゞ

鉄道の利用の仕方から歴史街道を進みます。iinaなら記事を日々に分散しますが、1記事に一網打尽する妙味が
あります。

吉良さまは、地元では名君とされていることを蒲郡に父が赴任していたので興味を抱きました。コスモさんも触れている
「蒲郡競艇場前駅」は当時はなかったのですが、その上にある社宅からの三河湾が美しくて、よく庭から眺めていました。

そのご縁で吉良を訪ねたのが、次の記事です。↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d3a37c8f6b3a1fe09723d546d86040a4

iina様 (コスモタイガー)
2013-09-25 11:46:23
すでにご訪問されていたようて、それは失礼しました。

確かに日々分散した方が、アクセスも延びますよね、きっと。

ここ、随分悩んだところなのですが。
最初のうちは短かったんですけどね(笑)。
先に進んでいくうちに書くことが増えちゃって、だんだん大がかりになってしまって…!

何となく、一話完結的にした方が書きやすい、連続性もあるし、とか、いろいろ考えて、現在に至ってます。
泉岳寺  (もののはじめのiina)
2020-07-17 09:20:44
こちらの記事には2度目でした。
マラソンする道中に、さまざまな歴史的事跡を見聞できて、また楽しからずやのコスモタイガーさんです。^-^

この記事には、泉岳寺をさらりと流してました。
iinaは、2~3度ほど訪ねてますが、ブログをはじめる前に寄ったらしく記事にしてなかったです。

幼いころからの「忠臣蔵」は、赤穂浪士が忠義で吉良上野介が悪人と刷り込まれていました。

たまたま、父が愛知県に転勤し、吉良が近くにあることもあって、漏れ聞く話によると地元では善政を敷いていたというところから、見直しになりました。

次が、江戸城内の松の廊下です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/be29a3c0f014a9732943774f29c6f380



iina様 (コスモタイガー)
2020-07-17 10:51:15
毎度御贔屓に、ありがとうございます。

そうですそうです、今となっては懐かしいですが、泉岳寺、行きました!
ブログの後半に日付が2008年6月15日、とあるので、もう12年も前ですね…。

当時の心境を思い出すと…。
忠臣蔵のファンじゃないけど、とりあえず歴史好きなら誰でも名前ぐらい知ってるスポットだから、はずしちゃまずいな、ってところでしょうか。
案外ミーハーな所もあるんです。

それに忠臣蔵抜きにしても、泉岳寺そのものは立派で由緒あるお寺ですからね。

ただし、やっぱり「赤穂浪士」です。
忠臣蔵の好きな方は「赤穂義士」という表現する場合もあるらしいですが、さすがに義士とは書けません。

>「忠臣蔵」は、赤穂浪士が忠義で吉良上野介が悪人と…
忠臣蔵は、作成段階から「赤穂浪士=善」「吉良公=悪」を大前提にしてたと思うんです。
もっと言うなら、そういう風に世論を持っていきたかった。

今のようにTVやネットもない時代。
浄瑠璃や歌舞伎は、庶民にとって重要な情報源だったと聞きます。

吉良上野介義央。
地元の吉良では名君として、今なお、慕われています。
その最たる例が「黄金堤」。

平成の大合併で西尾市吉良町になりましたが、現在も西尾市の観光ガイドで黄金堤と吉良公の功績が紹介されています。
http://nishiokanko.com/list/shop/kogane


西尾市自体も三河の小京都、と呼ばれ、全国的な知名度は低いですが、観光スポット目白押しで、一日では足りないぐらいの観光名所ですよ。
抹茶とウナギが名産です。

三河一色産のウナギなんて、関東地区でもスーパーに並んでるのでないでしょうか?

最近では、中日ドラゴンズで長く活躍した、岩瀬仁紀投手の出身地としても有名です(笑)。
お時間ある際には、ぜひゆっくり観光してみてください。

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