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必ずコメントに参ります by iina

吉良邸

2013年09月23日 | 歴史








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吉良家家臣二十一士碑 ↓










吉良上野介義央公の追慕碑
本所松坂町
吉良邸襲撃は、雪の降る12月14日だったが、訪ねた日はセミがせわしく鳴く8月の夏の暑い日だった。

この界隈には散策に来ていたが、吉良邸を見残していた。



 蔵前国技館と安田庭園

 江戸東京博物館と東京慰霊堂



 忠臣蔵関連は次を、ご覧ください。           .
 松の大廊下跡

 忠臣蔵~罪深いひと~ 

 吉良上野介

コメント (18)    この記事についてブログを書く
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18 コメント

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本所松坂町 吉良邸 (らいちゃん)
2013-09-23 09:35:44
三波春夫の歌謡浪曲「俵星 玄蕃」のセリフに「天は幽暗(ゆあん)地は凱々(がいがい)たる白雪を蹴立てて行手は松阪町…」
「吉良の屋敷に来てみれば、今、討ち入りは真最中・・・」
があります。
本所松坂町の吉良邸は忠臣蔵の映画やドラマでお馴染みの場所ですが、私も東京在勤中には一度も行ったことがありませんでした。
今振り返ると、一度尋ねておくべきでした。

iinaさんも日本人ですね。
矢張りセロリは苦手のようですね。
慣れれば美味しいのですが・・。
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勉強になりました (kawaiihukutyan)
2013-09-23 15:53:27
歴史は大好きでしたがいかんせん70才
忘れていることが多くて・・・こんな形でのブログは大変勉強になります。
ありがとうございました。
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一番罪深い人は~? (延岡の山歩人K)
2013-09-23 19:00:04
忠臣蔵~
私はいろいろな事情・背景等を考えると「浅野内匠頭」の方に非が有ったとしか思えません
iinaさまの「忠臣蔵~罪深いひと~」の記事を拝見して、全面的に支持そして納得します。

湧蓋山(わいたさん)
美しい山姿は「玖珠富士」とか「小国富士」とも呼ばれています。
秋は、紅葉を愛でる登山も楽しみです。
>意外な展開とは、
平凡な事ですが、私にはインパクトが有ったという訳です。


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夏の忠臣蔵 (ムツゴロウ)
2013-09-23 19:49:18
暑い夏に、真冬に討ち入りした吉良邸をお訪ねご苦労さまです。
1か月前に訪ねたということですか。

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吉良邸 (しずか)
2013-09-23 22:39:32
昔は広いお屋敷であったでしょうに、今ではこじんまりとした屋敷になっていますね。
その中で、当時を偲ばせるものが残っているのは嬉しいことです。
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コメントに ひとこと (iina)
2013-09-24 09:26:38
(らいちゃん) へ
最近は、日本語がそのままをその意として世界に通じることも多くなりました。「もったいない」や「改善」もそうです。
柔道で用いる用語もスポーツ界で通じています。こうした言葉が、和製世界語にまでなるというのは嬉しいことです。

つい先日のラジオで聴きましたが、「おもてなし」は「裏表なし」から、裏も表もない気持ちで接することと話してました。

歌謡浪曲「俵星玄蕃」とは懐かしいです。
本所松坂町は、よく耳にした町ですが、碑が立っていました。
この界隈についての説明は、次回に譲ります。




(kawaiihukutyan)さん へ
歴史の深さは、お年寄りの方がよくご存じなのではないでしょうか。
拙宅には、「歴史」の記事も ざっくりですがiinaなりに投稿しています。



(延岡の山歩人K)さん へ
女岳を女性を伴って登れたとは、でした。・・・Kさんの笑顔がこぼれるようです・・・

iinaとしても、昨年に行った阿蘇の「涅槃像」を、いろいろな角度から見れるのでたのしみです。

忠臣蔵では、浅野内匠頭を多くの2枚目俳優が演じましたが、困った殿さまでした。




(ムツゴロウ)さん へ
吉良邸を訪ねたのは、手帳を見ると8月30日でしたから、ほぼ1か月前でした。
あの日は暑かった 


 
(しずか)さん へ
そうでした。浅野家の江戸上屋敷があったのでした。
iinaは、蝉のうるさく鳴く吉良邸にはじめて寄りました。

泉岳寺は、線香の煙がもくもくと立ち人気スポットでした。適役の吉良邸は、そうは参らぬようでした。

平将門の首塚をお訪ねでしたか。
義経の首塚は、藤沢の白旗神社にありましたよ。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5853e2553f04df00655594edb2fa6f21
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忠臣蔵 (コスモタイガー)
2013-09-24 12:04:54
忠臣蔵に関しては、あまり詳しくないんですが、世に言われるほどの美談なのかな~?と懐疑的です。
赤穂浪士の47人は、まさに今風にいう「100倍返し」みたいな感じで見事ですが。
元凶となった「松の廊下」。
何やら大人げない気がしています。

完全に悪者となった吉良上野介、愛知県の三河地区、特に吉良町(現西尾市吉良町)では、名君とされ、今も慕われています。
黄金堤をはじめ、彼の善政を示す史跡も、ところどころに残っているそうです。
吉良町では、忠臣蔵は「あり得ない物語」かと思われます。
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(コスモタイガー)さん へ (iina)
2013-09-25 09:52:33
ずいぶん欲張った内容でした。
(コスモタイガー)さんが、「吉良邸」にコメントを置いていたので「忠臣蔵」でこちらに誘導されました。だけど、読んでも
読んでも「忠臣蔵」に関する話題にたどり着けず、ようやく最後になって泉岳寺に至りました。(^^ゞ

鉄道の利用の仕方から歴史街道を進みます。iinaなら記事を日々に分散しますが、1記事に一網打尽する妙味が
あります。

吉良さまは、地元では名君とされていることを蒲郡に父が赴任していたので興味を抱きました。コスモさんも触れている
「蒲郡競艇場前駅」は当時はなかったのですが、その上にある社宅からの三河湾が美しくて、よく庭から眺めていました。

そのご縁で吉良を訪ねたのが、次の記事です。↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d3a37c8f6b3a1fe09723d546d86040a4
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忠臣蔵2 (コスモタイガー)
2013-09-25 11:41:19
すでにご訪問されていたようて、それは失礼しました。

確かに日々分散した方が、アクセスも延びますよね、きっと。

ここ、随分悩んだところなのですが。
最初のうちは短かったんですけどね(笑)。
先に進んでいくうちに書くことが増えちゃって、だんだん大がかりになってしまって…!

何となく、一話完結的にした方が書きやすい、連続性もあるし、とか、いろいろ考えて、現在に至ってます。
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(コスモタイガー)さん へ (iina)
2013-09-26 09:36:33
中仙道も、歴史街道のひとつですね。史跡と伝説にいろどられています。
それにしても長い記事のため、途中で読むのに気が萎えてきましたょ。(^^ゞ 結果的には、ななめ読みしました。m(_ _)m
アクセスのことは別問題ですが、長い記事は余程のマニアでもない限り読まない気がします。

なにしろ、せっかくに広い広い砂漠の中の1粒の砂に出逢っても、拾われるか捨てられるかの運命は、その一瞬に
かかっています。もちろん、その道を歩む路はあり、束縛されるものではありません。



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