8月も終わりが近づいたものの、まだまだ残暑激しく、今日も雲が多めとはいえ、日差しが燦燦と降り注いでいる。
世間の子供たちは、夏休みの宿題の追い込みに忙しいんだろうなぁ。
さて、コスモタイガーは、今日も中山道だ!
何と言っても、今日は「碓井峠越え」が目玉。
鉄チャンとしては、あの「ヨコカル」の名所を、自分の足で走って越えることになるわけだ。
それにしても遠くなったね。
往路、まず、中軽井沢駅までいかないといけない。
6時過ぎには自宅を出て、毎度の大高駅へ。
名古屋駅に出て、ワイドビューしなの1号に乗換。
そして篠ノ井駅で、「しなの鉄道」に乗換、鈍行列車の旅を楽しめば、11時ちょっと過ぎに、お目当ての「中軽井沢」駅に到着。
夏休み、そして軽井沢の玄関口、ということで、それなりの人手を予想していたけれど、意外に閑散としている。
まぁ、すぐお隣が、新幹線の軽井沢駅だし、そうでなければ車移動の人が大半なんだろうね。
途中で購入したおにぎりを頬張りながら、駅前を少し散策したけれど、この先の行程を考えれば、そうそうのんびりしている状況ではない。
駅舎のシャメだけ記念に撮り、いざ、本日のトレーニング、スタート!
駅前道路を走ると、すぐに「中軽井沢」の交差点。
左右に横切る国道18号が、そのまま中山道だ。
ここからが前回(旧中山道編28)の続きになるね。
当然、右折して、東に向かう。
300mほど走ると、小さな川の手前に出る。
左手奥に入ったところにある森が「長倉神社」
境内には土俵があり、地域の人々には長く信仰されているらしいけれど、観光客らしき人は誰もいない。
お参りだけして、国道の下をくぐる細道を通り、そのまま南下するのが中山道。
国道からだと、川の手前を右折する形になる。
しなの鉄道の下をくぐり、すぐの2叉は左の道へ。
前沢橋を過ぎると、あとはしばらくのどかな田舎道、快調に足を進める。
600mぐらいかな?
小さな十字路になっていて、中山道が直進なのはほぼ間違いないところだけど、地図を見ると、すぐ先で中山道は消失し、行き止りになっているらしい。
仕方なく左折すると、すぐにさっき渡ったばかりのしなの鉄道の踏切を渡り、「軽井沢中」の信号に出る。
ここから右折して、再び国道run。
左に池、右にしなの鉄道の風景は、なかなかの癒し空間だ。
思わず、池の周囲をウロウロと走ってみたりする。
200mほど先の、左に少しカーブした地点が、さっきの消失した道の延長線になるから、ここら辺で中山道に復帰ということになるかな?
さらに400mほどで、立体交差の下を通ると、「離山」の信号で、左に分岐するのが中山道だ。
この左手少し奥には、軽井沢現代美術館、なんてしゃれた物があるけれど、残念ながら絵心は0に近い。
「離山」というのは、文字通り、軽井沢を代表する山のことで、左に見える小高い山のこと。
これも、内田康夫作品には何度か登場してて、初めてのような気がしない。
いつしか、しなの鉄道の隣には、長野新幹線も寄り添い、道沿いには、ペンションやログハウス風の建物がチラホラと現れ、いよいよ観光地オーラ漂う雰囲気になってきた。
そう、もはや中山道でなく、一大観光地、軽井沢を走っているのだ。
ただ、両側は、緑豊かな高原の雰囲気もあり、別荘地の面目躍如、といったところ。
右に小学校を見て、そのまま直進すると、6本の道が放射状に分岐している。
6本辻といって、軽井沢では有名な?ポイントらしい。
もっとも、江戸時代にこんな放射状の交差点などあるはずないから、後世のものに間違いないけれど。
中山道は、6本辻を半周して、そのまま直進。
ホテルやレストランが増えてきて、いよいよ観光地然とした景色になり、右後方から幹線道路化した県道133号が近づいてきて、合流。
この県133を南下すると、新幹線の軽井沢駅に出るわけだ。
そして、しなの鉄道の終着駅でもある。
いや、でも、軽井沢駅を終着駅と称するには、ちょっと抵抗あるな~。
元々は、信越本線だったしなの鉄道。
隣駅横川駅~軽井沢駅間は、難所中の難所、碓氷峠越え。
通称「ヨコカル」とも呼ばれ、SL時代はもとより、一時はアプト式も導入され、様々な物語を生んできた、鉄道の聖地でもある。
そんな聖地も、長野新幹線開通と同時に信越本線の後を引き継いだ「しなの鉄道」も、篠ノ井~軽井沢間のみの運行となり、この横川~軽井沢間の名所は、廃線の運命を辿ることになった。
現在、この区間はJRの代行バスが運行されている。
そして、新幹線は、「ヨコカル」を堪能する暇もないぐらい、あっという間に通過してしまうんだろうね。
便利だけど、味気ないのも、新幹線なのだ。
おっとっと、自分の目的は中山道だった!
いや、もちろんトレーニングの一環としてだけど。(もーえーわ!)
この県道との合流地点、変則4叉路になっているけれど、中山道は、そのまま道なりに直進。
ここからは、この道が県道133ということらしい。
そしてここからが名高き、「軽井沢銀座」。
かつての軽井沢宿ということになる。
凄い人だ!
溢れんばかりの観光客!
一応まだ夏休みだもんな~、家族連れも多い。
多分、そのほとんどが、この道が中山道で、ここがかつての宿場町だったことなんて、まったく意識せず、買い物を楽しんでいるんだね。
東京の銀座を走った時も恥ずかしかったけど(旧東海道編42参照)、こっちの銀座も負けてはいない。
もはや単なる観光地。
宿場らしさはどこにもない。
手元の資料によれば、実はこの銀座のど真ん中にある教会が、かつての本陣跡で、すぐに現れる観光案内所が、脇本陣跡ということらしい。
さらに道路の反対側も、ちょっとした観光案内も兼ねているのか、結構な人気で、本業は「土屋写真店。」
こちらもかつての高級旅籠、「白木屋」だったとされる。
ただ、本当に「跡」なだけで、かつての痕跡はなく、右も左も、とにかく人・人・人・・・、なんだけどね。
人込みを掻き分け、さらに進むと、「茜屋珈琲店」。
まぁ、ここは中山道とは直接関係ないけれど、例の内田康夫作品の舞台に度々登場する、軽井沢の名店らしい。
話の種に、一服していきたい心境だけど、ごめん、トレーニング中。
シャメだけ撮って、先へと進む。
立派な和風建築が出現。
「つるや旅館」。
ここはかつての茶屋跡で、東からやってきた旅人は、碓氷峠を越え、最初の宿場である軽井沢の入口の茶屋で一服してたんだね。
観光客の流れは、このつるや旅館の前で、ピタッと止まっている。
少しづつ上り坂になり、一気に静かさを戻す中山道。
左手奥には「ショー記念礼拝堂」なる教会があったりする。
ショーって誰や?
明治のころに日本にやってきた、宣教師「アレクサンダー・クロフト・ショー」さんのことらしい。
彼はここに自らの教会と別邸を築き、在留外国人に、軽井沢の地が、母国イギリスと良く似ていること、そしてその自然の素晴らしさをPRしたんだね。
これがきっかけになり、斜陽化していた田舎の宿場町は、一大別荘地として蘇った。
まさに軽井沢にとって、起死回生の逆転HR!
その賑わいが今に続いているわけで、ショーさんはその大恩人、最高殊勲選手といったところか?
そういえば、昔訪れた上高地にも似たようなストーリーがあった気もするが、日本の素晴らしさを、日本人ではなく、外国人に紹介され、それを喜んで観光している日本人の姿を見ると、ちょっと複雑な気持ちになったりもする。
もっとも、その裏側として、中山道らしさは完全に失われたわけで、旧街道フリークの目線では、残念なことなんだけどね。
すぐに「二手橋」を渡るとY字路になり、右側の県道133を選択。
いよいよ上り坂が険しくなり、いよいよ碓氷峠を目指すことに!
200mちょっとの所で、右の山道を選択。
さぁ、クロカンだ!
幸い、遊歩道として、案内板は整備されている。
手元の資料と見比べながら、見落としに注意。
途中、舗装された林道と交わるだけで、完全に山の中。
季節柄、かなり雑草も生えており、相当に走りづらい。
足元には所々、可愛らしい花も咲いていて、癒されるけれど、残念ながら名前も知らない。
上り一辺倒で、かなりの傾斜。
バランス崩しそうなところもあったりして、かなりタフなコースだ。
山の神今井君、いやいや、新山の神柏原君でも、ここは相当厳しいな。(だから2010年現在ね)
約40分のクロカントレーニングで、再びさっきの県道133に出た。
数件の小さな茶屋が並んでいる。
ふぅ~、着いた、碓氷峠。
標高は1200m。
県道を右に50mも進めば、そこにも茶店があり、名物「ちから餅」が売られている。
そのうちの一軒、「しげの屋」。(冒頭写真)
何より目を奪うのが、県境を示す1枚の看板。
そして足元のブロックが境界線!
そう、このお店はまさに境界線の真上にある。
群馬県で餅を買って、長野県のベンチに座って餅を頬張ることも可能なわけだ。
でもコスモタイガー、とりあえず今、お餅を食べる気分ではない。
まだまだクロカンは続くしね~。
背後の、少し階段を登った所には、由緒ありげな神社がある。
この神社の境内も、県境の真上にあるわけで、路面には、やっぱり「群馬県」「長野県」と彫られている。
実質1つの神社なんだけど、長野県側が「熊野皇大神社」、群馬県側を「熊野神社」とするのが正式らしい。
どちらも名前からして、熊野信仰に基づくことは間違いないところだけど。
「当神社は一つのお宮でございますが二つの宗教法人が顕在し、両神社はそれぞれの宮司、責任役員、氏子総代にて維持されております。御神札、お守りもべつべつでございます」の看板もあるから、県境、いやかつての国境のため、いろいろとややこしそうだ。
そう、ここは現代では県境、かつての国境。
これをもって「信濃」(信州)は終了!
ここから先は「上野(こうずけ)」、上州に入ったことになる。
さぁ、群馬県だ!
すぐの「しげの屋」の駐車場には、妙な石碑が・・・。
四四八四四 七二八億十百 三九二二三 四九十四万万四 二三四万六一十。
和歌らしい。
なんて読むの?
答えは、「よしやよし 何は置くともみ国書(みくにふみ) よくぞ読ままし書(ふみ)よなむ人」。
熊野神社に伝わる、古い歌らしい。
ただ、珍しいけれど、コスモタイガーは、歌心ないから、それ以上の感慨はなく、ごめんね~。
続いて「思婦石」という石碑。
1857(安政4)年の建立で、何やらまたも和歌が刻まれている。
和歌の中身はどうでもいいんだけど、この史跡の前から右に降りていく、薄暗い山道こそ、延々と続く中山道なのだ。
ちなみに直進は「和宮道」と呼ばれ、江戸末期の公武合体の際に作られた新道(バイパス)ということらしい。
迷ったけどね~、実はこの和宮道こそ、我々市民ランナーとして、ぜひ覚えておきたい道なのだ。
「安政遠足」(あんせいのとおあし)。
1855(安政2)年、安中藩主板倉勝明公が、藩士の鍛錬を目的として、安中城下から、碓氷峠頂上の、さっき見たばかりの熊野神社まで、競走させることになった。
走行距離約30km、標高差は1000m以上の過酷なコースで、中間点では今で言うラップタイムの計測もした本格的な「競走」だったらしい。
そう、これぞわが国初のマラソン大会とされている。
もしかしたら、和宮道のこけら落とし?も兼ねていたかも知れないよね。
それにしても恐ろしい、もとい、素晴らしいことを考える藩主だね。
現代のように、ジョギンクやランニングを楽しむ時代じゃないしね、ランニングシュースもないし。
普段走ってない藩士たち、突然こんな過酷なコースを、半ば強制的に?走らされて、さぞたまげたことだろう。
嬉しいことに、この最古の大会は、1975(昭和50)年、「安政遠足侍マラソン」として復活し、現在も毎年5月に開催されている。
だからランナーの端くれとして、和宮道も大いに興味あるけれど、とりあえず、右の中山道を選択するとしよう。
といっても、しばらくして合流するんだけどね。
合流点手前には、「施工所」なんて古びた看板もあったりして、良い道しるべにはなってくれるけれど、何せ周囲は完全な山の中。
1本のクロカン道以外は、両側は山の中。
忘れた頃に、「山中茶屋跡」なんて看板があってビックリする。
文字通り、こんな山の中に茶屋があったんだね~。
人の気配すらない。
熊に会わないよう、あえて足音をたてながら、ひたすら進む。
それでもありがたいことに、中山道の案内板以外に、地元の関係者の手作りであろう、先の「侍マラソン」コースを示す道標もあったりして、迷うことはない。
そう、ここは中山道であり、最古のマラソンコースなのだ。
このコースを、侍マラソンは、逆に登ってくるんだね~。
そりゃ、凄いわ!
深深とした山の中。
自分の足音以外に音はない。
ひたすら下るのみ。
下りは得意ではあるけれど、これだけの悪路だと、さすがに膝が笑う。
なぜか廃車があって、「どこから来たんだ?」と思わず足を止めてしまう。
一里塚の看板はあるものの、山中過ぎて、看板がなければ、どれが一里塚なのか判然としない。
30分以上、黙々と下ったかな?
膝、痛いけど。
碓井坂関所跡の看板が右手にあった。
899(晶泰2)年に設置された、とあるから、かつての東山道のものだろう。
刎石茶屋跡、弘法の井戸。
名所は続々とあるんだけど、もう膝が痛くって、気持ちはそっちの方にいっちゃってね。
余裕がないのさ。
まじ、今までで一番きつい。
ネットや事前のリサーチでは、すでに通った、和田峠や鳥居峠の厳しさをうたってたりするけれど、個人的には、ここが一番厳しい。
この下りはどこまで続くのか?
覗。
名前の通り、木々の隙間から覗くと、これから向かう坂本宿をかすかに見下ろすことができる。
ちょっと励まされたけど、まだまだ先が長そうだ。
よく見ると、縦に綺麗な無数のラインが入っている岩があったりする。
「柱状節理」という現象らしいけど。
理数系科目は大の苦手でね~。
もう40分以上、下りと格闘しただろうか?
前方に、やや明るいところが!
やっと出た!
国道18号。
目印の「中山道口」のバス停もあり、ホッとする。
疲れた~。
でもまだクロカン道は終わらないのさ(泣)
国道は渡るだけ。
正面の土道に入る。
両側には、背の高さと同じぐらいに、草が茂り、うっそうとした雰囲気だ。
突き当たりになり、ここは左。
「侍マラソン」のコースを示す案内板も、ちゃんとある。
何やら小さな浄水場の横を通り抜けると、再び国18に合流。
これで実質碓氷峠越え終了。
しばらくは国道runだ。
やれやれ、やっと落ち着いて走れる。
正直、膝の痛みが増してきて、結構きつい。
でもここでやめても、アクセスがないからね、もうちょっと頑張るしかない。
道なりに八幡宮があり、ここで坂本宿に入ったようだ。
チラホラと古い建物が残る、山間の静かな宿場町。
良い雰囲気だ。
その中でも目立つのは、「旅籠かぎや」の和風建築。
すぐ先の右手の公民館が、酒屋脇本陣跡。
さらに足を進めて、「佐藤本陣跡」。
ちょっとショボい(失礼!)けど、ほとんど隣り合わせで「金井本陣跡」。
でも残念ながら、それらをゆっくり見るだけの余裕もなくなってきた。
ゴール予定の横川駅は近いはず。
下木戸跡、なんてのがあるから、坂本宿はこの辺で終了。
高速道路の下をくぐり、左の分岐道を選択。
ぐる~っと大回りする国道を、中学校の裏手を通ってショートカットするのが中山道だ。
いったん国18に合流し、200mほどで再び左へ分岐。(群馬県道92号)
分岐してすぐ、一段高いところに鎮座しているのが、碓井関所跡。
こちらは江戸時代に設けられた、中山道の関所跡。
間違えそうでややこしいけれど、さっき山の中にあった東山道の史跡は、碓井「坂」関所、こっちは、碓井関所。
そう、中山道編(3)~(5)辺りにも頻出した東山道。
この辺でも中山道とかなりリンクしているんだね。
さぁ、あとは目の前の県道をそのまま進むだけ。
鄙びた感は充分にあるけれど、明らかに集落っぽくなれば、それは横川地区。
すぐに右手に、JR信越本線「横川」駅に出くわした。
着いた!
本日のトレーニング、ここで終了!
今日はマジ、きつかった!
中山道だけの距離なら、17~18kmぐらい。
実走20kmぐらいだと思うから、数字的には大したことないんだけど、下りの膝痛には難儀したわ!
何はともあれ、横川駅。
鉄チャン的には名物目白押しのたまらないエリア。
まずは、峠の釜飯。
デパートやショッピングセンターの駅弁大会では定番の、名物駅弁やね。
次に、駅の西側一円に広がる、碓氷峠鉄道文化むら。
「ヨコカル」時代のアプト式の線路も一部残した、広大な施設で、敷地内では、ミニSLや、峠越えで活躍した、EF63型電気機関車を運転できたりするそうだ。
いや~、もちろん興味は最大級に有り有りなんだけど!
でも、こんな施設は、丸一日かけてたっぷり見学したいぐらいで、すでに16時近くになった今からじゃね~。
しかも名古屋まで帰ることも考えなアカンし。
仕方ない。
またの機会か、せめて触りだけでも次回に・・・、と思いつつ、駅に戻る。
さて、今じゃ、終着駅になってしまった、横川駅。
ここから信越本線に乗車。
もう、経路を選んでる状況にはない。
といいつつ、可能な限り、節約!
普通列車を乗り継ぎ、東京駅。
そして新幹線で豊橋に出て、東海道本線に乗換、大高駅に出た。
すでに時計は21時を廻っていた。
かくして、中山道の主要とされる峠(馬籠峠・鳥居峠・塩尻峠・和田峠・碓氷峠)は全て制覇、となった。
でも、江戸までの道のりは、まだまだ長い。
あちこち良く訪問してくださるなぁ!とは思ってましたが、全てとは予想外でした!
ありがたいことです。
感謝の極みです。
「山手線」の詳しい解説をありがとうございました。φ(..)メモメモ
さすがは、時刻表検定1級のコスモタイガーさんは頼りになります。
「ぐるり廻るは ヤマテセン」のように、コスモタイガーさんの投稿済ブログの総ての記事にコメントしようと巡っています。
お気づきでしたょね・・・("^ω^)
ランナーとしての感覚の部分はなかなかお伝えするのは難しいのですが。
バナナ程度の給食は有効なんですけどね、完全に座り込んで食事すると、ランナーとしてはそこで気持ちが切れてしまうのと、かえってお腹が膨らみすぎて、走りにくいってのもありますかね・・・。
「のんびり」「ゆったり」なら徒歩の方が圧倒的に楽しめますよ。
それを承知でわざわざ「走る」ことにこだわったコスモタイガーの物好き振りを楽しんでくださいね。
厳しいなあ・・・
お腹すかないですか?
私には、とても真似できないですねえ。