名古屋ではすでに桜も散った。
うっすらと陽が差し込み、穏やかな一日になりそうだ。
コスモタイガーは、今日も名鉄と新幹線(こだま)を乗継、またまた小田原駅に降り立った。
縁もゆかりもない小田原駅に、妙に詳しくなってきたぞ!
もっとも、随分前だけど、街道ラン以外でも、小田原駅は利用することもあったけどね。
東京に行く際の「裏技ルート」の乗換駅だもんね。
時間にかなり制約がある場合はちょっと厳しいけど、ある程度余裕あって、かと言って「鈍行乗継や東名高速バスは遅いし、マニアック過ぎる!」というなら、小田原まで新幹線で来て、ここから小田急利用で新宿に出る、なんてのは、意外に楽しい裏技なんだけどね。
景色も小田急沿線の方が優っているし、何より新鮮だ!
ちなみに名古屋~東京(品川)間(または新宿)を新幹線で乗り通すと(自由席で)10,070円。
名古屋~小田原間8,190円で、ここから小田急の急行なら何と!850円で新宿まで行けちゃうからね。(合計9,040円)
座席指定の特急(ロマンスカーと総称される)に乗っても、870円プラスされるだけだから、それでもまだ新幹線より安い!
ちょっとした節約になり、特に23区内の西側が目的地なら、時間に余裕ある場合のお薦めの裏技ルートなんだけど、あまり知られていないよね。
(もちろん逆に帰路、新宿から小田原に出るパターンもOK)
地図を見れば明らかだけど、小田原~新宿間をショートカットするかのように走っている小田急本線。
最近ではVSEとか、HiSEと呼ばれる新型ロマンスカーも走り、乗ってみたい衝動に駆られるけどね、我慢我慢!
おっとっと、初っ端から話が逸れちゃった。
駅構内で軽食で腹ごしらえ。
バスで前回のゴール地点、なりわい交流館前に到着。
ここでいったん休憩し、めぼしい資料がないかをチェック。
交流館前の道を東に向かって、本日のランニングのスタート!
と思う間もなく、すぐに「清水金左右衛門本陣跡」「明治天皇行在所跡」。
要するに、小田原宿の本陣跡で、かつては明治天皇もお泊りになられたってことね。
「青物町」の交差点もそのまま直進。
やがて道は突き当たり、そこを左に。
交差点に出る。
「新宿」。
ここにもあるんだね、新宿。(旧東海道編33参照)
右折して再び国1を走る。
しばらくして左側に「小田原一里塚跡」。
江戸から数えて20番目らしいから、残りはすでに80km弱ということやね。
またここは、「江戸口見附跡」でもあり、小田原宿の東側の出入口ということにもなっているらしい。
しばらくは国1ランだけど、「宗福寺」「山王神社」とゆかりのありそうな建物が左側に続くから、良い目印にはなる。
山王橋を渡り、「常剱寺入口」の信号で二手に分岐。
これはもう、右がいかにも旧道だね。
ここで見ておきたいのが「新田義貞公首塚」。
ちょっと奥まったところにあるんだけど、親切な案内板に従うとすぐに到着。
新田義貞は、云わずと知れた、鎌倉時代末期の武将だ。
越前国で落命したはずだけど…?
説明書きによれば、その首を家臣が上野(こうずけ)国に持ち帰るところ、家臣自ら重病になり、やむなくここに首を埋葬したとか。
手を合わせ、写真を撮り、東海道に戻る。
思わず道なりに直進してしまいそうだけど、そうすると高校の裏手に出て行き詰ってしまう。
ということで、高校の手前を左折するのが正解。
「ビジネス高校前」の交差点に出る。
本来の東海道は、ここを渡ってそのまま斜めの道に入っていたらしい。
八幡神社があるから、間違いないね。
現在は残念ながら、大きな川(酒匂川)にぶち当たってしまう。
国1に戻ってそのまま走り、「酒匂橋」を渡る。
本当は、さっきの八幡神社の前を通って、この100mほど上流で「徒歩(かち)渡し」(人足による肩車)をしていたらしい。
川べりに小さな黄色の花が咲き、綺麗だ。
しばらく国道ランは続く。
沿道には由緒ありげなお寺が点在し、ここが確かに東海道であることを示唆してくれている。
そして松並木が始まったけど、交通量が多いから、ちょっと興ざめかな?
でも、単調な国道ランに、彩りを添えてくれたことは間違いない。
「小八幡一里塚跡」。
案内板が残るのみ。
この辺りの松並木は、かなり立派だ。
当分、地図を見る必要もないよ。
しばらくはひたすら国道1号を走るだけだから。
前回まで、クロカン道やら石畳やらを右往左往していたことを思うと、物足りないぐらいだけど、資料によると、国1がそのまま旧東海道となっている。
右手には西湘バイパスが見えている。
国府津駅前を通過。
今度は左手に、東海道本線も寄り添ってくる。
思わずランに集中してしまいそう?だけど、左手に年代を感じさせる道標が。
「大やまみち」「是従大山道」と書かれている。
「大山詣り」といって、ここから参詣の道が分岐していたらしい。
国1ランは続く。
小田原市役所橘支所を過ぎ、押切橋を渡る。
と、すぐに右に分岐して駆け上がっていく道を発見!
間違いないね、こっちが旧東海道。
久々に国1を離れる。
でもそれもつかの間、300mほどで再び国1に合流。
合流地点にあるのが「押切坂一里塚跡」。
小さな碑が残るのみ。
しばらく走って「山西」の交差点。
ここで今度は左に分岐する東海道。
国1を見下ろす感じになり、見通しも良く、ちょっとだけ雰囲気残る道だけど、やっぱり400mほどで国1に吸収される。
残念ながらしばらくは見所もなく、国1を走るのみ。
まぁ、箱根駅伝の7区を楽しんでると思えば苦にならんけど。
二宮駅前を通過。
写真すら撮るところもないからね。
まじめに走るよ、まじめに!
って、元々まじめなトレーニングなんだけどね。(また…)
再び松並木らしき景色が現れた。
「国府新宿」の信号に出る。
ここから旧東海道は、国1に寄り添う遊歩道のように、一段高いところを通っている。
松並木もここまで来ると見ごたえがある。
やがて東海道はそのまま左にカーブし、国1と別れる。
微妙なうねりはわずかに旧街道を偲ばせるものの、見所はこれと言ってないけどね。
左前方に大きな公園が見える。
「大磯城山公園」というらしい。
散策したい気持ちもあるけどさ、肝心の東海道をもっと楽しみたいんだけど。
再び国1に合流。
ここに「旧吉田茂邸」があるらしいけど。
(ちなみにその後、2009年3月、失火により全焼したらしい)
吉田茂、云わずと知れた元総理大臣。
まぁ、でも旧東海道とは直接関係ないし、特段関心あるわけじゃないしね、素通りする。
さらに進んで、右手に大きな建物が。
「滄浪閣」。
元大磯プリンスホテルで、またそれ以前には、初代内閣総理大臣、伊藤博文邸跡でもあるらしい。
手元の資料には、「現在もレストランや結婚式場として営業している」とあるが、人の気配もなく、妙に陰気くさい。
よく見ると案の定、不動産屋の貸店舗云々といった看板が掲げてある。
東海道とは時代的に異なるからね、最初から素通りのつもりではあったけど、さすがにこんな状態だとちょっと悲しいね。
由緒ある建物だけに、新たな活用方法を考えてもらいたいものだ。
それにしても歴代総理の建物が続いてるには理由がある。
大磯は、明治末期~昭和初期までは別荘地として有名だったからね。
全盛期の明治末期には、150軒以上の別荘が建ち並んでいたとか。
そしてこの滄浪閣前から再び松並木。
今度の松並木は本格的に残されており、「大磯松並木」としても有名だ。(写真)
松並木は500mほど続くかな?
両側の松は見事に尽きるけど、天下の国1、交通量が多いのが気になる。
終わったところが「大磯中学校前」の交差点。
さらに400mほどで次の交差点、「鴫立沢」(しぎたつさわ)。
この辺りのかつての地名なんだけど、西行法師の和歌にも出てくるらしい。
ちなみにその歌とは、
「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」
残念ながら和歌の心得がないから、詳しい解説はできないけれど、この辺り、かつては夕暮れの綺麗な景勝地だったんだね。
そしてその西行法師を偲んで、江戸初期に建てられたのが、俳諧道場の「鴫立庵」。
目の前に入口があるんだけどね、いかにも古風なお庭とお屋敷だ。
ただ俳諧とか和歌には残念ながら縁がなくてね。
職場でも、交通安全標語とか、お客様情報管理の標語とか、ときどき募集してるけどね、毎回ウンウン唸ってるのさ。
そこそこ距離も走ったし、ここから大磯駅も近い。
時計もすでに16時近い。
ということで、ここをゴールにして、鴫立庵をさらっと見学した。
静かな佇まいで、しばし癒しの世界を堪能。
「鴫立沢」交差点から国1(旧東海道)をはずれ、北に向かう道を行けば、徒歩5分ほどで自然と大磯駅に到着する。
大磯町は、平成の大合併にも屈する?ことなく、現在も単独で町制を敷いている。
現在でも、大企業の保養所も結構あるらしいし、観光地としては「大磯ロングビーチ」も有名だ。
きっと裕福な財政状態なんだろうなあ、と推測できる。
駅までの道沿いにも、比較的大きめの建物が多く、この街の伸びやかさを感じ取れるね。
さぁ、大磯駅到着。
ここから東海道本線で小田原に戻り、あとは前回同様、新幹線と名鉄の乗継で帰宅。
マジ、お金かかるよね。
ちなみに本日の実走距離、20kmぐらいかな?
※2016.4.14追記 ルート地図、完成しました。(ここをクリック)
タイガーさんが次に向かった平塚の高麗山は、歌川広重「平塚 縄手道」の「東海道五拾三次」に富士山と共に描かれています。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/f574457ee743b79045bd47e52bf9032d
天気にめぐまれると、江の島からスカイツリーまで見渡される絶景ポイントです。是非、冬場の空気の澄んだ時期にお越しください。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/de229a3265b5f0a2c9e3bccc68ef114d
きのうは、品川宿から鈴ヶ森刑場跡までを歩きました。その品川で「佐藤優×竹中平蔵」の講演会を聴き、安保法の是非を挙手で
求めた結果、賛否3:3に分からぬが4の比率でした。会場には日本の平均的サンプルが集まったと笑いをとりました。
この談話は、後日アップいたします。
確かにふもとの神社の奥に、素敵なハイキング道が整備されていた記憶があります。
登るかこのまま東海道を行くか、迷ったんですよ~。
やっぱり高麗山、登っときゃ良かったかな・・・。
再訪する機会あったら、ぜひ登ってみたいです。
安保法については、「ちょっと違うのでは??」と思う話も耳に入ったりしますしね。
単なる国防の話ではなく、「友人のA君とB君が、ケンカし始めた。自分が被害を受けてるわけじゃないけれど、積極的にA君の助太刀に行こう」というのが今回の主軸だったはずで、論点を巧妙にずらしている輩も少なからずいらっしゃる気がします。