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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

サブルーチンも間違える

2009-10-08 15:01:32 | 安全・品質
(09/09/26付記事「人は何故ミスをするのか」を参照してください)

冷たい缶コーヒーが飲みたかったのに、自販機のボタンを押して出てきたスチール缶を握った瞬間にショックを受けたり、家を出る前にいつも通り持つべきものを用意したはずなのに、電車に乗ってからケータイを忘れたことに気づいて家に取りに戻ったり、というようなことは多くの方が何度か経験しているのではないでしょうか。また、疲れていたり風邪で熱があるような場合、いつも普通にやったり考えたりしていることが面倒になり、無理にやろうとして何度も間違えるようなことも、よくあることでしょう。それから私事で恐縮ですが、車を運転していて交差点を通過してから信号が赤だったことに気づいたことが、実は過去2回あります。

これらはサブルーチンの対象パターンが変わったわけではなく、サブルーチンの中で発生するミスであり、これが一般的によく言われる典型的な「ミス」の一つでしょう。この理由としてサブルーチンの錯覚や疲労が考えられますが、一般化すると、サブルーチンの情報処理能力は時々の状況や感情に左右されるということです。機能低下により情報が正しく処理されなければ、ミスが発生するのは当然ですね。

しかし、人が「サブルーチンのジレンマ」から逃れられないように、サブルーチンも自らの問題をかかえています。サブルーチンを簡単に言うと「慣れ」であり、慣れの側面は「慢性化」です。つまり「サブルーチン⇔慢性化」と書けるわけです。ミスはサブルーチンが慢性化することにより、サブルーチンを構成しているブロックピースのいくつかが欠落して起こるのでしょう。認識の瞬間、あるいは認識から動作に至る過程において、必要な情報の一部を失えば動作はおのずと不正確なものになります。
 
具体的現象を眺めてみましょう。私も外出時にケータイをよく持忘れ、たびたび不自由な思いをしました。また現在進行形です。そこで対策として、玄関ドアの内側に大きく「ケータイ忘れるな」という文字を書いた紙を貼付けてみました。結果として、この張紙は多大な効果を発揮してくれました。出がけに目に映る風景が毎日見慣れたものと異なっているため一瞬立ち止まるのです。しかしながら、この効果も長くは続かず、ほどなくドアの貼紙は出がけの見慣れた風景と化してしまったのです。そこで次に紙の色を変えて貼り替えてみると、効果が復活し、やがてまた見慣れた風景に埋もれました。

このことはサブルーチンの慢性化とその要点を教えてくれています。サブルーチンの中のショートカットされやすい(忘れてしまいがちな)工程に「一瞬立ち止まらせる気づき」を促す何かを設けることが有効な対策の一つであること。しかしこれは、時間とともに効果が薄れていくということですね。

これに似たことが、クレヨンしんちゃんの「みさえ」と「ひろし」の会話にもあります。
(^^)
朝、出勤の準備をすませて家を出ようとする、ひろしに、みさえが声をかけます。「忘れものは?」「ない!」。これは、みさえの声が、ひろしを一瞬立ち止まらせる効果があった頃には有効だったでしょうね。

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