コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

藤田まことさん御逝去 安らかに御永眠されますようお祈りいたします

2010-02-19 | 脳裏のなかで
        御生前のご厚情に深く感謝するとともに、
      藤田まことさんの御功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。


 藤田まことさんと最初に出合ったのは松竹京都撮影所内(旧京都映画撮影所)で、不思議にもTBS=国際放映製作の大型特番企画ドラマ山下組「社長が震えた日」('92)の衣装合わせに私助監督と衣装部の二人で東京から京都に行った時でした。
藤田さんがこの時まだ「必殺仕事人・激突」の撮影中で東京での衣装合わせが出来ないというので、また監督の山下耕作監督もまだ京都の御自宅で在宅中でしたので、わざわざ東京から衣装を運び京都で衣装合わせになった次第でした。
 衣装合わせ当日、松竹京都撮影所に着くと衣装合わせの時間より早く必殺の撮影が終わっていて藤田さんは昼食になっていました。これはまずいと思いましたが、京都の将軍山下監督を約束時間前に電話で呼んだ方がいいのか、また藤田さんを待たせ時間通りに衣装合わせを行い、その後の必殺の撮影の迷惑をお掛けした方がいいのか動転し悩みました。その末決断し、京都の撮影所も山下監督も初めての事であったのですが同じ演出部 監督と助監督の間柄、分かって戴けると思い山下監督に初めてながら直接御自宅に電話を差し上げ理由を手短に話しました。山下監督も「そうか、すぐいく」と言って下さり、本当にすぐにタクシーで飛んで来て下さいました。
 その事に、藤田まことさんもいたく感激し、山下監督と藤田さんの顔合わせが上手くいき衣装合わせも恙無くその日は終了しました。その後の「社長が震えた日」の撮影も調子よく山下監督の名作がもう一本増えた次第です・・・。
 上記の写真はそのドラマ「社長が震えた日」の中で伊藤忠商事に安宅産業合併のお願いをし、伊藤忠商事社長に藤田さん演じる主人公が社長に決断を迫る場面関係を、この秩父宮ラグビー場が上から見渡せる青山の実際の伊藤忠 東京本社で撮影させて戴きました。多分、社長室だったか役員室での撮影と安宅イレブン中枢部屋の撮影場面でした。藤田まことさんとの思い出深い場所ですので、その思い出として掲載させて戴きました。この藤田まことさんが演じる主人公は、倒産し解体される安宅産業を、戦時中日本と云う軍隊組織に翻弄され家族が解体され死別しバラバラになる日本家族の悲劇を省みて、自分自身を犠牲にしその社員と家族を守る一人の物語です。後の映画「明日への遺言」の岡田資中将に通じる人物像を藤田まことさんがすでに演じられていて興味ある作品でもあります。これも藤田まことさんの傑作作品の一本だと思います。作品の評判も良く、また視聴率もよく再放送もされていました。
 またその御縁でその後、藤田さんが声を掛けて呉れたようで東映大泉でTV朝日=東映製作の「はぐれ刑事純情派」にも呼んで戴きました。その節は、藤田さんには大変お世話になりまた御迷惑もおかけしました。その時は、藤田まことさんが映画「はぐれ刑事」に抜擢し映画を撮った吉川一義監督の組につかしていただきました。はぐれ刑事はその吉川組だけでしたが、その後の連絡ミスがなく早く続投の話が届いていれば末長くこのはぐれ刑事についていたでしょうが・・・残念でした。今でも否未来永劫この御好意感謝し続けます・・・・。
 もうひとつ思い出深い事があります。私が数年わけがあり違う仕事をした後、助監督に復帰し大泉に行った時、偶然藤田さんと所内で出会いました。すでに十年ちかく経ったにもかかわらず私が懐かしく深々とお辞儀をすると多くのスタッフがいる中で藤田さんが「ご苦労さま」と優しい御声を掛けて下さいました。あの一言でまた勇気自信が湧いてきました。
真にありがとうございました。
 なお、その御姿が藤田まことさんと私の最後になってしまいましたが・・・・。
 もちろん、映画「明日への遺言」は公開初日に観に行かせて戴きましたので、ラストの満月の月明かりでの俳優藤田まことさんが最後になります!!
 この映画も何か御縁があり、藤田さんとプロデューサー、監督一行は、私の住んでいる家の前の道が旧妙法寺道にあたります。この道の日蓮宗 本山 やくよけ祖師 堀之内 妙法寺 祖師堂におて岡田資中将縁の寺で「岡田資中将 追善法要」映画完成報告&ヒット祈願を行いました。
 まだまだ藤田まことさんの思い出は尽きません・・・・・。
 藤田まことさんお疲れ御苦労さまでした。
 心より安らかに御永眠されますようお祈りいたします。    合掌      YOUZO