フイルムセンターで来月上映の「石合戦」で出演され、昨年亡くなられた山田五十鈴さんもお持ち帰りしていたお新香です。
せっかくなので紹介しておきます。
実は若杉光夫監督は山田五十鈴さんと親しく、以前映画研究家の円尾氏が監督の作品で山田五十鈴主演「唐人お吉」の上映をおこなった時、何十年ぶりの上映ですので若杉監督が山田五十鈴さんをご招待しました。しかしちょうど山田さんは京都に帰られたばかりで、この上映会には来場実現できなかった事がありました。真に残念でした・・・。
京 宮川筋 鉄板焼き お好み焼き「七ふく」
たまたま宿が宮川筋(町)の反対側で松原橋で鴨川を渡った処でしたので、詩人中原中也の宮川通いを調べてみようとぶらぶらしていたらこの店にぶつかり、ふらっと入ったお店です。しかしなんと山田五十鈴さんや京都の著名な俳優陣も時にて来店しているお店でした。驚きでした!女将さんと初めてながらお話をしていたらこんな話も少しづつしてくれた気さくな方でした。
ほうれん草の胡麻和え 葛切り(多分?忘れてました・・・)
女将さんが焼く焼きそば
お好み焼き 1/4食べてしまいましたがー 美味しいです!
夜の宮川町 こんな感じですー。
京の宮川町と言えば江戸時代から幕府公認の「茶屋街」として今日まで有名な処です。
外国の若者はこんな感じで観光してますー。
京 宮川筋 鉄板焼き お好み焼き「七ふく」 食べログ 地図有り
宮川町 ウィキペディア
舞妓さんにあえるまち|宮川町 宮川町お茶屋組合の公式サイト
松原橋 実は旧五条大橋です。故に若き義経 牛若丸と弁慶が出会い一騎打ちした因縁の橋です。
現在の五条大橋はこの橋の下流に新設され大きな橋になっています。
この橋を渡り右に折れ四条方面に歩いて行くとやはり昨年亡くなりました「夜の蝶」のモデル
空飛ぶマダム上羽秀さんの京都のお店『おそめ』がありました。
上羽秀さんのご主人は後に東映のプロデューサーになった俊藤浩滋氏で富司純子
(藤純子)さんの父親です。
蛇足ですが、実家の旧地名が「松原」でしたので、”加茂川(鴨川)に架かる松原橋”となり、
この橋に愛着を感じてしまいます。
また、俊藤さんとは山下耕作監督の撮影現場と監督の葬儀で二度お目にかかっています。
更に富司純子さんのご主人は歌舞伎の尾上菊五郎さんです。その舞踊の流派 尾上流
(おのえりゅう)の名取の一人が、若杉光夫監督と女優南風洋子の愛娘劇団民藝の
若杉 民さんで名取 尾上 民さんです。不思議にこの世の中が繋がっているのにびっくりです。
とってつけたようですが、尾上家の「家の芸」は土蜘蛛(つちぐも)だそうで、劇中
さまざまな形で登場する土蜘蛛と尾上菊五郎家とは深い縁があるそうですが、我が家でも
御蜘蛛様が現れると吉兆の証として喜び吉祥を期待します・・・。
「おそめ」を歩く 京都編 東京紅團(東京紅団
奇遇にも、初代菊五郎(1717-1783)の父は音羽屋半平といい、京 宮川町に住んでいたそうです。都萬太夫座付き芝居茶屋の出方を勤めていたと言われています。なお音羽屋という屋号は、その父親が生まれたのが東山の清水寺にほど近い場所だったそうで、その清水寺境内にある「音羽の滝」にちなんで、自らを音羽屋半平(おとわや はんぺい)と名乗っていたことがその名の由来だそうです。
せっかくなので紹介しておきます。
実は若杉光夫監督は山田五十鈴さんと親しく、以前映画研究家の円尾氏が監督の作品で山田五十鈴主演「唐人お吉」の上映をおこなった時、何十年ぶりの上映ですので若杉監督が山田五十鈴さんをご招待しました。しかしちょうど山田さんは京都に帰られたばかりで、この上映会には来場実現できなかった事がありました。真に残念でした・・・。
京 宮川筋 鉄板焼き お好み焼き「七ふく」
たまたま宿が宮川筋(町)の反対側で松原橋で鴨川を渡った処でしたので、詩人中原中也の宮川通いを調べてみようとぶらぶらしていたらこの店にぶつかり、ふらっと入ったお店です。しかしなんと山田五十鈴さんや京都の著名な俳優陣も時にて来店しているお店でした。驚きでした!女将さんと初めてながらお話をしていたらこんな話も少しづつしてくれた気さくな方でした。
ほうれん草の胡麻和え 葛切り(多分?忘れてました・・・)
女将さんが焼く焼きそば
お好み焼き 1/4食べてしまいましたがー 美味しいです!
夜の宮川町 こんな感じですー。
京の宮川町と言えば江戸時代から幕府公認の「茶屋街」として今日まで有名な処です。
外国の若者はこんな感じで観光してますー。
京 宮川筋 鉄板焼き お好み焼き「七ふく」 食べログ 地図有り
宮川町 ウィキペディア
舞妓さんにあえるまち|宮川町 宮川町お茶屋組合の公式サイト
松原橋 実は旧五条大橋です。故に若き義経 牛若丸と弁慶が出会い一騎打ちした因縁の橋です。
現在の五条大橋はこの橋の下流に新設され大きな橋になっています。
この橋を渡り右に折れ四条方面に歩いて行くとやはり昨年亡くなりました「夜の蝶」のモデル
空飛ぶマダム上羽秀さんの京都のお店『おそめ』がありました。
上羽秀さんのご主人は後に東映のプロデューサーになった俊藤浩滋氏で富司純子
(藤純子)さんの父親です。
蛇足ですが、実家の旧地名が「松原」でしたので、”加茂川(鴨川)に架かる松原橋”となり、
この橋に愛着を感じてしまいます。
また、俊藤さんとは山下耕作監督の撮影現場と監督の葬儀で二度お目にかかっています。
更に富司純子さんのご主人は歌舞伎の尾上菊五郎さんです。その舞踊の流派 尾上流
(おのえりゅう)の名取の一人が、若杉光夫監督と女優南風洋子の愛娘劇団民藝の
若杉 民さんで名取 尾上 民さんです。不思議にこの世の中が繋がっているのにびっくりです。
とってつけたようですが、尾上家の「家の芸」は土蜘蛛(つちぐも)だそうで、劇中
さまざまな形で登場する土蜘蛛と尾上菊五郎家とは深い縁があるそうですが、我が家でも
御蜘蛛様が現れると吉兆の証として喜び吉祥を期待します・・・。
「おそめ」を歩く 京都編 東京紅團(東京紅団
奇遇にも、初代菊五郎(1717-1783)の父は音羽屋半平といい、京 宮川町に住んでいたそうです。都萬太夫座付き芝居茶屋の出方を勤めていたと言われています。なお音羽屋という屋号は、その父親が生まれたのが東山の清水寺にほど近い場所だったそうで、その清水寺境内にある「音羽の滝」にちなんで、自らを音羽屋半平(おとわや はんぺい)と名乗っていたことがその名の由来だそうです。