弘兼邸のスゴいのを見た後、 笹畝坑道へ行きました。
吉岡(吹屋)銅山は807年に発見されたと伝えられているそうです。
早速この狭い入り口から ヘルメットを被って中に入ってみました。
中もこんな具合に狭いし暗いし・・・・行けども行けども坑道が続きます。
広くなったところでは こんな風にお人形が江戸時代の手堀りでの採掘の様子を
見せてくれていました。昔の人は こんな暗い中で1日中銅を掘っていたんだなぁ~
長生きできなかっただろうなぁ~~何て事を思っちゃいました。
この日は休日ではないので見学者はこの時旦那と2人だけ・・・
こんなところで何かがあったらどうしよう??って思うほどちょっぴり怖かったです。
ここでは黄銅鉱、磁硫鉄鋼(硫化鉄鋼)が産出され、特に江戸時代はこの地から馬
や、船 を使って大阪の銅役所へ運ばれたそうです。
そして 磁硫鉄鋼(硫化鉄鋼)から偶然 発見されたのが この吹屋を繁栄させた
「ベンガラ」なんだそうです。
「ベンガラ」・・・別名 紅殻とも言う酸化第2鉄を主成分とする赤色の無機顔料だそうです。
朱とともに最も古くから用いられた赤色顔料だそうです。
ベンガラは江戸中期に全国で初めて吹屋で生産されて以来、江戸末期、明治、大正と
大いに繁昌を続けたそうです。 は明治の頃のベンガラ工場を復元したものだそうです。
中では工程順に説明して下さっていました。
さすがに工具もみんな ベンガラ色 に染まってますねぇ~~
小屋の外には 石臼を使って碾く為に、その動力として使う水車も動いていました。
吹屋を繁栄させたベンガラ産業も昭和47年の銅山の閉山後 昭和49年にその製造を
終えたそうです。
吉岡(吹屋)銅山は807年に発見されたと伝えられているそうです。
早速この狭い入り口から ヘルメットを被って中に入ってみました。
中もこんな具合に狭いし暗いし・・・・行けども行けども坑道が続きます。
広くなったところでは こんな風にお人形が江戸時代の手堀りでの採掘の様子を
見せてくれていました。昔の人は こんな暗い中で1日中銅を掘っていたんだなぁ~
長生きできなかっただろうなぁ~~何て事を思っちゃいました。
この日は休日ではないので見学者はこの時旦那と2人だけ・・・
こんなところで何かがあったらどうしよう??って思うほどちょっぴり怖かったです。
ここでは黄銅鉱、磁硫鉄鋼(硫化鉄鋼)が産出され、特に江戸時代はこの地から馬
や、船 を使って大阪の銅役所へ運ばれたそうです。
そして 磁硫鉄鋼(硫化鉄鋼)から偶然 発見されたのが この吹屋を繁栄させた
「ベンガラ」なんだそうです。
「ベンガラ」・・・別名 紅殻とも言う酸化第2鉄を主成分とする赤色の無機顔料だそうです。
朱とともに最も古くから用いられた赤色顔料だそうです。
ベンガラは江戸中期に全国で初めて吹屋で生産されて以来、江戸末期、明治、大正と
大いに繁昌を続けたそうです。 は明治の頃のベンガラ工場を復元したものだそうです。
中では工程順に説明して下さっていました。
さすがに工具もみんな ベンガラ色 に染まってますねぇ~~
小屋の外には 石臼を使って碾く為に、その動力として使う水車も動いていました。
吹屋を繁栄させたベンガラ産業も昭和47年の銅山の閉山後 昭和49年にその製造を
終えたそうです。
知り合いがいることもあって何度か県内をうろついたことあるんだけど、
ここは知らなかったわぁ!
暗がりに突然働く人形が現れるのも、
ちょっと驚くね~ (;^□^)
べんがら塗りってほんとにステキ♪
銅山も閉山されたし、今はすたれちゃったのかなぁ・・・
ちょっと淋しいね。
めっちゃ田舎だけれどすんごく良いところだったよ!是非是非行って来て~~!!
お薦めだよ~~~!!!!!