★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ケンプのベートヴェン:ピアノソナタ「悲愴」「月光」「田園」「テレーゼ」

2010-04-22 09:32:52 | 器楽曲(ピアノ)

ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番「悲愴」
         ピアノソナタ第14番「月光」
         ピアノソナタ第15番「田園」
         ピアノソナタ第24番「テレーゼ」

ピアノ:ウィルヘルム・ケンプ

CD:エコー・インダストリー CC‐1005

 ウィルヘルム・ケンプ(1895年―1991年)は、私が最も尊敬するピアニストだ。実に誠実にピアノにたち向かい、少しも奇をてらうところがなく、淡々と弾きこなす。そして、とても内容の深い、その精神性が聴くものを圧倒する。ドイツのピアノ演奏の伝統を身に付けた演奏スタイルは、実に堂々としていて、一瞬の隙も見せない。だからといって、コチコチで堅苦しいといった印象は薄いのだ。むしろ人間味のある、まろやかな音質はとても親しみやすいし、聴いていて疲れることはない。何よりも、音質的には澄んだピュアな響きが何とも印象的で、安定感もある。聴いていて、これこそドイツのピアノ演奏の真髄だという感じがするのだ。今、ケンプのような温かみのあるピアノを弾くピアニストは、ほんとに少なくなってしまった。

 ケンプは、日本に何回も来ており、私も1回だけ生演奏を聴く機会があった。演奏スタイルは、意外に即興演奏ふうに弾くような感じも受けた。そのためか、弾いていくうちに、次第に感興が自然に盛り上がり、無我の境地に自らを上りあがらせ、それが聴衆に伝わり、会場全体がケンプのピアノを弾く指に集中するような、そんな感じも受けた。ケンプは決して技巧に長けたピアニストではなかった。ピアノを通して自らの心情を伝えたいという、情念のピアニストであったのだ。ケンプは10回も来日したことでも分るように、日本を愛していた。それは、日本人の持つ精神の拠り所と、ケンプのそれとが、近いところに由るものであったからだろう。

 このCDは、そんなケンプの特徴が良く表現されている。ここに収められた4曲は、ベートヴェンのピアノソナタの中でも、どちらかというと愛らしい、温かみに溢れた、特別構えなくても聴くことのできる曲たちで、いずれもニックネームを持っている。「悲愴」は第一楽章の出だしから、ピュアな温かみのあるケンプのピアノ演奏に引きつけられる。決して“悲しみ”を押し付けるのではなく、心の底から共感して弾き進んでいく。「月光」は、「悲愴」にも増してケンプの味わいがふんだんに盛り込まれた演奏だ。聴いて行くうちに月の青白い色までが眼前にぱーっと広がる思いがしてしまう。こんな静かで憂いを持った「月光」を弾けるのは、ケンプだけだと叫びたくなるほどだ。

 「田園」は、曲自体が伸び伸びとした曲想に基づいており、ケンプのピアノは、そんな曲想を思う存分、温かみのあるピアノタッチを響かせる。そして最後の「テレーゼ」は、ほんとに愛らしい小さなピアノソナタだが、ケンプはこれにも真正面から取り組み、少しの隙もなく弾きこなす。そしてリスナーは知らず知らずのうちに、普段のベートヴェンの厳格な顔とは違う別の顔を見ることになる。(蔵 志津久)


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