ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
指揮:小澤征爾
管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
独唱:マリタ・ネイピアー(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ヘルゲ・ブリリオート(テノール)
カール・リッダーブッシュ(バス)
合唱:アンブロジアン・シンガーズ(合唱指揮:ジョン・マッカーシー)
CD:PHILIPS 420 296‐2
日本では、「第九」と言っただけで多くの人が、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」のことだと瞬時に理解できる。それほど日本人と「第九」の関係は、切っても切れない関係にあるといってもよかろう。それも、12月になると主要オーケストラの多くが「第九」を演奏する。こんな現象は世界広しといえども日本だけらしい。何故、大晦日が近づくと「第九」が多く演奏されるのか。その相関関係はよく分からないが、どうもライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が毎年12月31日に「第九」を演奏することが切っ掛けになったようである。ヨーロッパ連合の国歌に「第九」の第4楽章が制定されてはいるが、欧米でも独唱者4人と合唱団を要するコンサートを開催することは相当大変らしく、「第九」を演奏することはそう多くはないと聞く。それに対し、日本では12月ともなれば、主要オーケストラはこぞって「第九」を演奏し、多くの聴衆で埋まる。最近では、聴衆が合唱に参加することが一種の流行になりつつあるようで、正に日本は"「第九」王国”なのである。
そもそも、ベートーヴェンは、それまでどの作曲家も手掛けなかった交響曲に独唱と合唱を付けるという破天荒(初演当初はあまりにも斬新過ぎて評判は良くなかった)なことをやったのか。ベートーヴェンは、「第九」を完成させる前に「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」を作曲している。「ミサ・ソレムニス」は、当然宗教曲なのであるが、他の宗教曲の多くのように、典礼で演奏されることを想定していない宗教曲なのである。そこには人類共通の平和とか連帯とか友愛とかが基調として流れている。その「ミサ・ソレムニス」の延長線上に作曲された曲が「第九」であり、そうなると独唱、合唱が付いていても不思議でない。逆を言うと「第九」は、ある意味での宗教曲であると私は思う。「ミサ・ソレムニス」と「第九」は対をなしており、交響曲的宗教曲が「ミサ・ソレムニス」で、宗教曲的交響曲が「第九」ということだ。つまり、日本人の多くが感じる"大晦日”という厳粛な気分と、「第九」の宗教的なバックグラウンドとがうまく融合して、「第九」演奏が日本人にとって欠かせない一大イベントとなったのではないか、と私は理解している。
見過ごされがちであるが、ベートーヴェンは第4楽章で歌われるシラーの「歓喜に寄せて」の詩を一部手直ししている。この詩はフランス革命の前夜に書かれたもので、シラーが古い封建的な制度を打ち破りたいと願って創ったとされる。当初は「自由に寄せて」だったものが弾圧を恐れ「歓喜に寄せて」になったという。ベートーヴェンが冒頭に「もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか」と付け加えたこともあり、"歓喜”が強調され過ぎるきらいがあるが、本当は"自由”が主題なのだ。「自由は全人類が共通に享受すべきものだ」というベートーヴェンの哲学に今の日本人は共感を覚える。さらに、シラーの原詩が「貧しき者らは王侯の兄弟になる」とあるのを、ベートーヴェンは「すべての人々は兄弟になる」と書き直した。つまり、ベートーヴェンのやったことは、全世界共通して分かり合えるように手直ししたように感じられるのである。この辺も日本人として共感を呼ぶ。こう考えるとベートーヴェンは、一作曲家の枠を越えて、全人類のオーガナイザー的な役割を果たそうとしたようにも思えてくる。
話が横道にそれてしまった。今回のCDは、我らがマエストロ小澤征爾が39歳の時に、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した「第九」の録音である。今聴いてみて、若き日の小澤の音楽的レベルの高さには敬服させられる。これまでの「第九」の録音のどれにも似ておらず、小澤がベートーヴェンの楽譜を読んだそのままを音に再現している。決してオーケストラを力で引っ張り上げることはせず、共に共感しあいながら音つくりをしていることが聴き取れる。このため、全体が豊かな音で溢れかえっている感じを強く受ける。私は、こんなに"音楽的”な「第九」は今まで聴いたことがない。これまで書いてきたように、「第九」を振るとどうしても、思想的な雰囲気が前面に立ってしまい、音楽自体が引っ込んでしまう演奏が多いように思う。それに対し小澤は、ベートーヴェンの楽譜を詳細に読み取った結論を基に指揮しているように思われる。例えば第3楽章を聴いてみると、甘く流さず、実にさらっとメリハリのある演奏してのが分かる。多分この小澤の指揮が正解だと私は思う。と同時に第4楽章に見るように雄大で真に感動的な構成力も、小澤は持ち合わせているのだ。この「第九」のCDを聴いて、間違いなく我らがマエストロ小澤征爾は、世界の現役指揮者の最高峰の一人であることを実感させられる。これからも、なるべく長く指揮者活動を続けていってほしいと願うばかりだ。(蔵 志津久)