シューマン:ピアノ協奏曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番
ピアノ:ディヌ・リパッティ
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団(シューマン)
ルツェルン音楽祭管弦楽団(モーツァルト)
CD:東芝EMI CE30-5530
ディヌ・リパッティ(1917年ー1950年)は、ルーマニアの名ピアニストである。たった33歳という短い一生であったにもかかわらず、彼の残した録音はことごとく名盤の誉れ高いもので、今でも多くの人々から支持を得ている。透明感あるピアノタッチが魅力であり、同時に気品のある弾きぶりは、現在でも他の追随を許さない。特にショパンやバッハやモーツアルトの演奏では、リパッティの持つ特質が、ものの見事に発揮されており、聴くものに深い感動を与えずにはおかないのだ。ピアノ技法的にも高度なものをマスターしているにも関わらず、一旦演奏されるとそれらのテクニックは表面に立たず、曲の持つ本質的な情感がストレートにリスナーに伝わってくる。ピアノの詩人という言葉があるが、正にリパッティはピアノの詩人そのもので、作曲者が伝えたかった何かが、リパッティの弾くピアノからは木漏れ日のごとく降り注ぐ。
そんなリパッティがあのカラヤンと共演したのが今回のCDなのだ。カラヤンと共演したシューマンとモーツァルトのピアノ協奏曲のこの録音は、昔から名盤として定評のあるものだ。ところが、私にとってこの二人の組み合わせは、もう一つピンとこない。果たして、二人のコンビはどういう演奏を聴かせてくれるのか。何か水と油のようでもあり本当にうまく行くのであろうか?昔聴いたCDを再び取り出して聴いてみることにした。結果は、意外に馬が合うコンビといったことが言えると思う。これは両者とも一直線で、曲がらずに演奏するところが互いに理解できるからなのかもしれないし、カラヤンが伴奏の役割に徹しているからかもしれない。もう一つの謎は、リパッティがもの凄く力強い演奏をしていること。シューマンが1948年4月のスタジオ録音、モーツァルトが1950年8月のライブ録音であり、死の2年前と死の年の録音である。モーツァルトの方も、とても死の3カ月前の演奏とは思えない程の力演だ。リパッティのこんな全力投球の演奏態度が、今でも多くのファンの心を掴んで離さない理由の一つなのかもしれない。
シューマンのピアノ協奏曲は、第1楽章が1841年、第2、3楽章が1845年に作曲された。シューマンはこの曲以外にもピアノ協奏曲を作曲しているようだが、完成したのはこの曲のみ。曲想は、シューマンらしさが曲全体を覆い、幻想的で夢想的な世界にリスナーは酔うことができる。まるで室内楽のような曲想を持ったピアノ協奏曲とでもいえようか。そんな曲に対し、リパッティ/カラヤンのコンビは、多少異なった切り口で突き進む。幻想的で夢想的な世界を表現するというより、曲の骨格をがっしりと捉え、それを思う存分に表出してはばからない。しかし、それは決して詩的な雰囲気を壊すことなく演奏されるので、いつものシューマンの茫漠とした世界とは一味違う、新しいシューマンの世界の発見に繋がっているのかもしれない。リパッティの死の2年前のスタジオ録音なので、まだ体調が良かったのかもしれない。リパッティの迫力あるピアノ演奏が展開される。カラヤンもそんなリパッティに共感するするかのような伴奏を繰り広げ、ピアニストと指揮者の一体感はこの上ない。リパッティとカラヤンとがこんなに気が合うなんて思ってもみなかった。
モーツァルトのピアノ協奏曲第21番は、モーツァルトが作曲した27曲のピアノ協奏曲の中でも完成度が高く、明るく壮大なスケールと叙情性に富んだ優れた協奏曲として特にリスナーに人気の高い曲だ。この演奏でリパッティは第1楽章と第3楽章のカデンツァを自分で作曲している。そういえばリパッティは作曲者として顔も持っており、録音もしていることを思い出した。この録音は1950年8月23日のルツェルン音楽祭でのライブ録音。リパッティの死は1950年12月2日なので、死の3カ月前の録音となるわけで、リパッティファンの一人としては、とても正常心では聴けない。多分体調は優れなかったのであろうが、演奏の全体から立ち上る気迫は十分で、モーツァルトの協奏曲を鑑賞するのに少しの不足はない。特にリパッティらしい透明感あるタッチが存分に発揮され、数多い同曲の録音の中でも一際光り輝くものに仕上がっている。きっと最後の力を振り絞って演奏していたのであろう。現に、この演奏の後、9月16日のブサンソン音楽祭に出演したリパッティは、ショパンのワルツ集の最後の1曲を弾くことができなかった。リパッティの残した録音は、録音の古さを乗り越えて、これからも多くの人に聴かれ感動を与えていくに違いないと、私は確信している。(蔵 志津久)