ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
パガニーニの主題による狂詩曲
ピアノ:小山実稚恵
指揮:アンドリュー・デイヴィス
管弦楽:BBC交響楽団
CD:Sony Record SRSC9140
小山実稚恵のピアノ演奏は、いつも暖かみに満ち溢れており、濁りが無い。美しいピアノの音色を随分と大切にするピアニストだなといつも思う。豊かさを内包したピアノ演奏なのだが、単に優美であるというだけでなく、曲の表情を巧に描き分ける。かつて彼女が弾くスクリャービンの夜想曲の実演を聴いたが、その情緒の満ち溢れた美しくも、非の打ち所のないピアノ演奏に聴き入ったものだ。普通、優美で音の綺麗なピアニストは、往々にして、音のつくりが弱々しくなりがちだ。しかし小山実稚恵のピアノ演奏は、少しもそのようなことはなく、芯の太さも同時に持ち合わせている。彼女自身好きなピアニストは、ルービンシュタインとホロビッツだそうであるが、これこそ彼女のピアノ演奏の特徴を言い当てている。ルービンシュタインの優美さとホロビッツの鋭さとがかみ合ったような演奏が、小山実稚恵の演奏の特徴ではなかろうか。
そんな小山実稚恵が、英国の指揮者のアンドリュー・デイヴィスとBBC交響楽団の伴奏で、ラフマニノフの名曲、ピアノ協奏曲第2番とパガニーニの主題による狂詩曲とを録音したのがこのCDである。ラフマニノフの曲は、いまでこそクラシック音楽には欠かせない曲が多いいが、作曲時には、必ずしも全てが受け入れられたわけではない。その中でピアノ協奏曲第2番は、最初から賞賛を受け、現在でも最も人気の高いピアノ協奏曲として君臨している。全3楽章に流れる優美な旋律を聴いていると、夢の中にいるみたいな気分に浸れる。クラシック音楽とポピュラー音楽との境界線を彷徨っているような曲でもあり、誰もが素直に聴くことができる。それだけに、演奏家自身の実力が赤裸々に表面化されるという面も持ち合わせる曲でもある。ただ、表面的に弾いてもこの曲が持つ深い味わいは、到底表現できない。つまり、口当たりがいいからといって、演奏する方も、聴く方も、安易に流されないことが肝要なのだ。
小山実稚恵とアンドリュー・デイヴィス&BBC交響楽団は、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番をどう演奏しているか、早速聴いてみよう。第1楽章の最初から、かなりゆったりと始まる。心が内へと向かうように、静かな中に強い意志力が感じられる演奏である。通常、この第1楽章は、ピアニストの華麗な演奏だけが強く印象に残るが、小山実稚恵はその逆を行く。何か独白のような演奏である。なるほどピアノ協奏曲第2番の第1楽章は、こんな側面が隠されていたのだと思わせる。演奏が小山流に消化されたものに仕上がっているのだ。第2楽章は、誠に夢幻的な演奏で始まる。濃霧の中を一人彷徨うような幻想的な気分に包まれる。もうこうなると小山実稚恵の独壇場だ。柔らかで繊細な音は、聴くもの全てに、平穏な日々の営みを思い起こさせる。例え現実がどんなに過酷であろうとも・・・こんな世界が誰にも一度はあったし、これからもそうでありたいと願っているようにも感じられる演奏である。最後の第3楽章は、これまでの彷徨から、辿り着く終着点が発見できたかのように、明るく、力強く、そして小山実稚恵独特の暖かみのある美しい音が聴かれ、救いの手が差し伸べられたかのようでもある。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番は、通常、スケールを大きくとり、力強く弾かれることが多いが、こんな詩的に弾かれた演奏を、私はこれまで聴いたことがない。
パガニーニの主題による狂詩曲は、ラフマニノフがピアノと管弦楽のために作曲した最後の曲。主題となる部分は、パガニーニ:無伴奏カプリースの最後の第24番から採り、これを24回演奏し、最初と最後に、短い序奏とコーダを付けたピアノと管弦楽のための変奏曲。このピアノ演奏には、かなりの技巧を要すると思われるが、小山実稚恵は水を得た魚のように嬉々と弾き進む。ただ、そこは小山実稚恵。時々、立ち止まり、限りなく優美に、そして幻想的な演奏を織り交ぜて演奏していく。例えば、第12変奏曲では限りなく優美に、次の第13変奏曲では力強く、圧倒的なテクニックの冴えを披露する。そして、誰もが一度は聴いたことのある第18変奏曲では、スケールの大きな演奏を、伴奏のアンドリュー・デイヴィス&BBC交響楽団ともども聴かせてくれ、満足のいく仕上がりとなっている。指揮のアンドリュー・デイヴィスは、1989年から2000年までBBC交響楽団の音楽監督を務め、2012年からはメルボルン交響楽団音楽監督に就任。このCDでは、小山実稚恵と息がピタリと合った伴奏を聴かせている。(蔵 志津久)