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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ハスキル/ミュンシュのモーツアルト/ベートーベンのライブ共演盤

2009-07-09 11:03:15 | 協奏曲(ピアノ)

モーツアルト:ピアノ協奏曲第23番
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番

ピアノ:クララ・ハスキル

指揮:シャルル・ミュンシュ

管弦楽:French Radio Symphony Orchestra(モーツアルト)
     ボストン交響楽団(ベートーベン)

CD:米MADRIGAL MADR-203

 このCDは、ピアノのクララ・ハスキルと指揮のシャルル・ミュンシュの共演のライブ録音を1枚のCDに収録した歴史的録音盤だ。モーツアルトのピアノ協奏曲第23番が1959年9月15日、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番が1956年11月3日と、今から50年前の録音にもかかわらず、そう古めかしくない録音であり、聴いていて楽しめるのがいい。

 演奏は、モーツアルトのピアノ協奏曲の方は、ハスキルが相変わらず天上の音楽のような天衣無縫で、流れるようなモーツアルトを聴かせてくれる。ハスキルの死は1960年12月なので、死の1年前の録音ということになるが、この演奏は精気に満ちており死の影などは見当たらない。多分演奏会当日の体調が良かったのかもしれない。一方、ミュンシュはというと、いつもの情熱的な演奏は影を潜め、あくまでハスキルの伴奏に徹しているところが返って面白い。死の1年前のハスキルはピアニストとして最高の地位にあったはずで、ミュンシュもハスキルに敬意を表して裏方に徹したということかもしれないとも思えるほどだ。

 これに対して、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番は、ミュンシュが世界一流にまで育て上げたボストン交響楽団との共演だけに、ミュンシュの情熱的な指揮ぶりが前面に出て、聴いていて、“これぞミュンシュ”と思わず、聴いていても力が自然に入ってしまうほどの熱演を聴かせる。ハスキルの方はというと、ベートーベンであろうとお構いなしに、誠に優美なピアニズムに徹している。あの闘争的なベートーベンが天使の顔に見えてくるのだから不思議な体験だ。それでもベートーベンの音楽は十分に吸収してしまい、これもベートーベンだと納得してしまう。やはりハスキルという人は不世出のピアニストとであることを改めて実感させられる。

 このベートベンのピアノ協奏曲第3番の録音は、ハスキルの優美さとミュンシュの情熱ががっぷり絡み合った類まれなものであり、後世に長く伝えたい1枚ではある。それが証拠に第1楽章が終わると聴衆が思わず熱烈な拍手を惜しみなくしている(ところで最近のコンサートは、例え良い演奏でも一つの楽章が終わったところで聴衆が沈黙しているのは何故か?。クラシック音楽の会場がロックコンサートのようになれとは言わないが、良い演奏だったら一つの楽章が終わったら拍手をしてもいいのではないか。それともつまらない演奏のとき拍手がないとその演奏家に失礼だから、すべてしないのか?)。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇フェレンツ・フリッチャイとアニー・フィッシャー共演ののライブ録音盤

2009-06-18 14:22:16 | 協奏曲(ピアノ)

バルトーク:ピアノ協奏曲第3番
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ピアノ:アニー・フィッシャー

指揮:フェレンツ・フリッチャイ
管弦楽:バイエルン放送交響楽団

CD:独ORFEO C200 891 A

 このCDは、1960年11月のライブ録音によるものであるが、録音状態もしっかりしており、今聴いてもなんら支障はないし、何といってもライブ録音独特の緊張感が素晴らしい。またある年代の人にとっては、その演奏陣に懐かしさを抱くところが魅力となっているCDである。ピアニストのアニー・フィッシャー、指揮者のフェレンツ・フリッチャイ、オーケストラのバイエルン放送交響楽団のいずれをとっても当時のスタープレーヤーであり、最上の組み合わせである上に、バルトークのピアノ協奏曲第3番それにチャイコフスキーの「悲愴」と、曲目も魅力を倍化させているCDといえる。

 バルトークのピアノ協奏曲第3番を今回改めて聴いてみたが、しみじみいいピアノ協奏曲だなあと感じ入ってしまった。コンサートではそんなに聴ける曲ではないので、余計CDの存在意義の大きさを再認識させられたのである。バルトークに革新性を求める人たちにとっては、このピアノ協奏曲第3番は“保守的”で評判はいいとはいえないそうであるが、“専門家”でない単なるリスナーにとってはこの第3番は、現代人の感覚にぴたっと合う名コンチェルトなのである。特に第2楽章の寂寥さを存分に含んだ表現は、まさに高度に発達した文明社会に生きる現代人が共通に持っている根源的な感情の発露のようにも感じられる。

 ピアノを弾いているのはアニー・フィッシャー(1914年ー1995年)だ。ブタペスト出身のハンガリーのピアニストで、1933年に国際リスト・コンクールで優勝している。戦後は指揮者のオットー・クレンペラーに見出され、ヨーロッパのほか、米国でも好評を博した。1980年には日本国際音楽コンクールの審査員として初来日し、以後も日本を訪れている。録音も多く残しており、昔ラジオでその演奏を聴いたことを思い出す。このCDでのバルトークのピアノ協奏曲第3番の演奏は正に名演奏で、バルトークのなんともいえない侘しさを絶妙に表現すると同時に、バルトーク独特のリズム感を余すとこなく弾きこなしている。これは多分作曲者と同郷のなせる技なのであろう。

 このCDのもう一曲であるチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、これまたフリッチャイとバイエルン放送交響楽団の名演奏に聴き惚れてしまう。フリッチャイという指揮者は、曲の聴き所を知り尽くしており、ここをこんな風に演奏してくれたらなというリスナーの思いを、実に忠実に演じてくれる。これはリスナーへの迎合でなく、リスナーとの共感といった方が近い感じで、あたかも名役者が演じるドラマを見ている思いがする。今、こういう指揮者が少ないというのはどうしてなのであろうか。オーケストラのバイエルン放送交響楽団の名前も懐かしい。このオーケストラは戦後設立され、ミュンヘンに本拠を置く。初代首席指揮者はオイゲン・ヨッフムで、現在はマリス・ヤンソンスが務めているそうだ。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇ギレリス/ムラヴィンスキーのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

2009-05-21 09:14:24 | 協奏曲(ピアノ)

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
           ピアノソナタop80

ピアノ:エミール・ギレリス

指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー

管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現サンクトペテルブルグ・フィル
     ハーモニー交響楽団)

CD:Rossian Disc RD CD 11 170

 このチャイコフスキーのCDは、ピアノ協奏曲第1番が1971年3月30日・レニングラード・フィル大ホール、ピアノソナタop80が1962年・モスクワにおける、ともにライブ録音盤である。ライブ録音にしては音質が良く、今でも十分にその演奏を楽しむことができる。ピアノ協奏曲第1番におけるエミール・ギレリスの出来は最高で、完璧な技巧によって裏打ちされた鬼気迫るほどの壮絶な演奏振りは、絶対に他のCDでは得られない完全燃焼の名演だ。何かに追われているかのような凄まじい迫力で弾きこなす反面、なんともいえない柔らかで馥郁とした味のある演奏は、ギレリスならではの演奏だ。やはりライブ録音は演奏家が持っている能力のすべてを曝け出す魔力がある。

 さらに、ムラヴィンスキーの指揮がギレリスに負けず劣らず、チャイコフスキーの暗い情念が渦巻くような世界を十二分に描き切っており、聴く者を満足させずには置かない。ギレリスのピアノとムラヴィンスキーの指揮ぶりとが激しく交差して展開される様は迫力満点で、クラシック音楽の醍醐味を存分に味あわせてくれる。この演奏を聴いていると、1970年~1980年頃がクラシック音楽にとっては、一番幸福な時ではなかったか、と思わず感じてしまうほどである。

 チャイコフスキーのピアノ協奏曲には数多くのCDがあるが、私はロシアの演奏家によるものが一番しっくりと聴ける。ロシア以外の演奏家でチャイコフスキーを得意にしている人はたくさんおり、CDも数多く残されているが、これらは演奏技術的には優れていても何かが欠けている。ロシア特有の力強さとほの暗さとで、ロシア出身の演奏家には一歩及ばないとでも言ったらいいのであろか。ロシア演奏家の最高峰であるギレリスとムラヴィンスキーの生演奏を収録したこのCDは、その意味で永遠の名録音として残しておきたい一枚ではある。

 今では名曲中の名曲のこのチャイコフスキーのピアノ協奏曲も、作曲された当初はそうでもなかったというから分からない。当時の名ピアニスト ニコライ・ルビンシュテインなどは「無価値で演奏不可能」と一刀両断したそうだ。当時のもう一人の名ピアニスト ハンス・フォン・ビューローが「これほど独創的な作品はない」と評価してやっと世に出たという。ブルックナーの交響曲も作曲当初は演奏不可能と皆にそっぽを向かれたというから、似たような話だ。このCDには、あまり演奏されないチャイコフスキーのピアノソナタが収録されている。第2、3楽章などはなかなか叙情味に溢れ、聴き心地がいい。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽◇チャイコフスキーのピアノ(ギレリス)/バイオリン(オイストラフ)協奏曲

2009-02-19 11:34:55 | 協奏曲(ピアノ)

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

ピアノ:エミール・ギレリス
指揮:ズービン・メータ
管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

チャイコフスキー:バイオリン協奏曲

バイオリン:ダヴィッド・オイストラフ
指揮:ユージン・オーマンディ
管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

CD:ソニー・ミュージック・エンターテインメント SRCR 8862

 このCDにおけるギレリスの弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲の実況録音は、その緊張感といおうか迫力といおうか、その存在感の凄さに圧倒される。ズービンメータ指揮のニューヨークフィルの演奏もギレリスに負けず劣らず、緊張感がみなぎった好演を聴かせる。チャイコフスキーのピアノ協奏曲はクラシック音楽の代表的名曲であり、そのため少々耳たこのきらいがあるが、このCDだけはいささか違う。曲の出だしからしてまるっきり辺りの空気が違ってしまう感じがするくらい新鮮な雰囲気を醸し出す。ライブ録音の凄さを改めて認識させられる。ライナーノートを見るとこの録音は、1979年11月14日、エイヴリー・フィッシャー・ホール(ニューヨーク)とある。ギレリス(1916年10月ー1985年10年)はほんとに凄いピアニストだ。そのダイナミックなピアニズムは例えるもののない(敢えていえばリヒテルか)ほどの極みに達しており、しかもスケールも限りなく大きい。“鋼鉄のタッチ”と言われたのもむべなるかなといったところだ。しかも、その醸し出す雰囲気にどことなくノスタルジックなところがまたいい。クラシック音楽といっても時代により演奏に変遷があるものだ。ギレリスの演奏スタイルは昔の日本・・・今よりもずっと貧しかったが、誰もが平等に何か将来に希望のようなものが持てた時代を思い起こさせてくれて、何か胸に込み上げてくる。また、ズービン・メータの指揮も勇壮で魅力的だ。そういえば最近こういった男性的な演奏のコンサートにあまり出会わなくなってしまったように思う。

 一方、ダヴィッド・オイストラフ(1908年ー1974年10月)の弾くチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の方は、1959年12月12日のフィラデルフィアのブロードウッド・ホテルで録音されたもので、ライブ録音ではないようだ。ダヴィッド・オイストラフというとバイオリンのロシア楽派のドンとして、年配の方にとっては、数いるバイオリニストの中でも別格な存在として記憶に残っていると思う。1935年にヴィエニアフスキ国際バイオリン・コンクールでは、ジネット・ヌブーに次ぎ第2位、1937年エリザベート王妃国際コンクールで優勝し一躍その名を世界に轟かせた。オイストラフの演奏は若い時期と晩年では大きく違ったようである。我々は若いときの情熱的でエネルギッシュな演奏の録音を数多く聴いているので、オイストラフというとロシア的な迫力に満ちたバイオリニストという印象が耳に焼き付いている。しかし晩年に近づくと枯れた味わいが特徴になっていったようだ。このCDはどちらかというと枯れた味わいの横溢する演奏となっている。ただ、さすがオイストラフだけあって精緻な演奏技術に裏打ちされた、正統的な演奏には心を引き寄せられる何かが込められている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇モーツアルト生誕200年記念コンサートのカラヤンとハスキル

2009-01-01 11:49:05 | 協奏曲(ピアノ)

モーツアルト:ピアノ協奏曲第20番
        交響曲第39番

ピアノ:クララ・ハスキル

指揮:ヘルベルト・カラヤン

管弦楽:フィルハモニア管弦楽団

CD:オーストラリアMOZARTHAUS ADD ISM56/4

 このCDは昔、東京・新宿の世界堂の隣にあった小谷楽器店(今は鎌倉シャツの店舗となっている)でCDを物色していたら、カラヤンの笑顔(つくり笑いでなく、心からの笑み)に引き寄せられて購入したものである。カラヤンというととにかく難しい顔をしているか、目を瞑っているかのどちらかで、笑顔などはそれまで一度もお目にかかっていなかったので、思わず買ってしまったわけである。買った後から見てみると、モーツアルト生誕200年記念のコンサートがザルツブルクで行われた1956年1月28日のライブ録音盤であることが分かった。ピアノはクララ・ハスキルであるので文句のつけようがない。ピアノ協奏曲第20番は、ハスキルの柔らかく、それでいて芯の通った、誰にも真似ができない絶妙な抑揚に彩られた演奏が素晴らしい。ハスキルというピアニストは何故こんなに天国的な美しさに溢れたピアノ演奏ができるのであろうか。天国的な美しさという点では未だハスキルに並ぶピアニストは出現していない。

 このCDでのカラヤンの伴奏はいつもと少々異なり、正確無比という趣よりは、ハスキルの夢見るような演奏に引きずられ、起伏の富んだ柔らかい表現が垣間見れる。しかし交響曲39番の方は“カラヤン節”満開といった趣で、なにものにも動じない、まるで正確な時計が時を刻むようにモーツアルトを演じきる。私はカラヤンの晩年、東京文化会館で行われた演奏会を聴いたことがあるが、舞台に登場して指揮台まで歩くとき、足を引きずった痛々しい姿を今でも思い出す。カラヤンの指揮ぶりは、それまでの多くの指揮者が感情移入が激しく、分かりづらい曲づくりをしてきたのを、根底から覆し、誰にも分かりやすく、明確な演奏に置き換えた大指揮者というイメージで捉えられ、皆から愛されてきたと思う。東京のサントリーホールの構想もカラヤンが行い、今ではその前の広場は“カラヤン広場”と名付けられ、コンサートに来るクラシック音楽ファンに親しまれている。

 ところが、この大指揮者カラヤンを真正面から批判した書籍「カラヤンがクラシックを殺した」(宮下誠著/光文社新書)が08年11月に発刊された。カラヤンファンが見たら卒倒しかねない内容が、これでもか、これでもかと286ページにわたって書き連ねられている。著者の宮下誠国学院大学文学部教授は同書の巻頭言で「20世紀のある時点で、クラシック音楽は見紛うことなく、一つの『死』を経験した。その『死』は、人類という種の、今日における絶望的状況の一断面を鮮やかに浮き彫りにする。このような事態を象徴的に体現したもののひとりが、ほかならぬ、指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン、その人である。・・・」と記している。また、私見ではあるがと断った上で「カラヤンを分水嶺として、指揮者のステータスはカリスマからアイドルに変化したのではないかと思う」とも書いている。

 宮下氏が同書で言いたかったのは「カラヤン以前のクラシック音楽は、人間の存在の深い意味や愛や生や死などを根源的なところで捉えてきた。それをカラヤンは絢爛豪華な音の饗宴にしてしまい、そこには人工楽園のような幻惑があるのみだ」とでも言いたかったのであろうか。まあ、そういう意見の人もよくいるし、ある意味では的を射ているのかもしれない。しかし、私には286ページにわたって批判を書き連ねた宮下氏はひょっとして、本当はカラヤンが好きなのではなかろうか、とも思えてくる。同書で「カラヤンは素晴らしい演奏を無数といってもよいほどに残している」とも書いているのだから。カラヤン以前とカラヤン以後の問題は、クラシック音楽が今後どちらの方向に向かって進んでいくのかを考える場合、けっして避けては通れない問題ではある。ところであなたはカラヤンが好きですか、嫌いですか?(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇シュナーベルのベートーベン:ピアノ協奏曲第5/2番

2008-11-06 15:41:23 | 協奏曲(ピアノ)

ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番“皇帝”
       ピアノ協奏曲第2番

ピアノ:アルトゥール・シュナーベル

指揮:アルセオ・ガリエラ(第5番)
   イッセイ・ドブローウェン(第2番)

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

CD:TESTAMENT(EMIレコード)SBT1020

 このCDはベートーベンのピアノ協奏曲の第5番と第2番の2曲を収めたCDで、第5番が1947年5月、第2番が1946年6月と今から60年以上も前の録音ではあるが、音質は意外に良好で、十分鑑賞に耐え得るレベルに達している。“皇帝”を弾くシュナーベルのピアノ演奏は丁度、大きな教会の聖堂の下から上を見上げたような壮大な構成力を持っており、高く聳え立つ建築物の荘厳な趣きが、聴く者を圧倒する。それでいてピアノの音は流麗な流れを伴っており、音だけを聴くと一瞬、女流ピアニストのような繊細な感覚がまた堪らない。

 “皇帝”をこのような構成力と魅力的な音質で聴くことは、数あるCDの中でもあまり例を見ないほどの極上の仕上がりになっている。シュナーベルの弾くベートーベンやモーツアルトのCDが今購入できるのかどうか、私は知らないが(著作権が切れているのかもしれません)、このCDの“皇帝”はベートーベンが描こうとした世界をほぼ完全に再現できており、是非とも一度は聴いてほしいCDではある。一方、第2番のピアノ協奏曲の方は、録音状態が“皇帝”ほどではない。演奏もピアノ協奏曲を聴いているというより、何か室内楽を聴いているような雰囲気を醸し出している。これもベートーベンの持つ一つの局面の表現なのであろう。

 いずれにせよ今から60年ほど前に、このように完成された正統的なベートーベン像が演奏されてしまっているということは、何を意味するのであろうか。行き着くところまで行った演奏に今後何を付け加えればいいというのか。現代風ベートーベンの演奏スタイルということはあり得るのであろうか。ベートーベンを継ぐ作曲家からは、例えばワグナーでも、ベートーベンのように人類全体をカバーできるほどの普遍性を持った作品は生まれていない。もう、ベートーベンを超える作曲家を人類は持つことはできないのであろうか。60年前のシュナーベルのピアノ演奏を聴くと、ついそんなことを考えてしまう。
(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇モーラ・リンパニーのラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番他

2008-10-02 15:11:13 | 協奏曲(ピアノ)

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/前奏曲第5、16、23、1番
シューマン:ピアノ協奏曲

ピアノ:モーラ・リンパニー

指揮:マルコム・サーゼント(ラフマニノフ)
   コンスタンティン・シルヴェストリ(シューマン)

管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

CD:東芝EMI TOCE 7686

 モーラ・リンパニー(1916-2005年)は英国南西部のコーンウォール地方の小さな港町に生まれ、22歳でイザイ国際コンクール・ピアノ部門で第2位に入賞を果たす。1948年、米国にデビューし、以後、英米を中心に世界の著名なコンサート・ホールで演奏を行った。このCDのモーラ・リンパニーの演奏は素晴らしいの一言に尽きる。ピアノ演奏に”華”があるのだ。演奏技術がどうだ、情感がどうだ、という前に圧倒的な存在感で聴く者を魅了してしまう。音自体が輝かしいのである。聴いていてうきうきしてくるピアニストはそうざらにはいない。モーラ・リンパニーのピアノを聴くと、その音自体の持つ生命感でリスニングルームが覆われ、クラシック音楽の素晴らしさを堪能させてくれる。

 このCDはラフマニノフとシューマンの曲が収められているが、シューマンも勿論いいのだが、やはりラフマニノフがより一層相性がいい。彼女自身ロシア音楽にはことのほか思い入れがあったようだ。私は若いときはラフマニノフは“軟弱”過ぎて好きではなかったが、歳を取るに従って好きになり、今では最も好きな作曲家の一人となっている。感情を素直に表現するラフマニノフは、何かと難しいことを言ったりするクラシック音楽にあっては貴重な存在ではなかろうか。モーラ・リンパニーのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のこのCDでの演奏は、正に天衣無縫とでもいったらいいのか、いかにも伸び伸びと演奏している様が手に取るようにわかる。前奏曲から4曲を弾いているが、こちらも気持ちがぴたりと曲に寄り添い、聴いていて心地いい。

 ラフマニノフはクラシック音楽とポピュラー音楽の垣根を取り払った最初の作曲家ではなかったかと思う。このピアノ協奏曲第2番はポピュラー音楽といっても異論が起きない感じがする。この行き方がクラシック音楽界に定着しなかったのは誠に残念なことと思う。今のクラシック音楽界は200-300年前の作曲家の作品が演奏され、良いだの悪いだのと言っている。なぜ、今の作曲家の作品が話題にならないのか。現在、コンサートで現代作曲家の作品が演奏されても、聴衆は盛大に拍手はするが、顔つきを見るとさっぱり関心がなさそうか、つまならそうだ。ラフマニノフが突き進んだ行き方を、さらに発展させる作曲家が居たならばきっとこんなことにはならなかったろうに、と勝手に考えている今日この頃ではある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇エドウィン・フィッシャーのベートーベン:“皇帝”とピアノソナタ32番

2008-09-10 14:27:13 | 協奏曲(ピアノ)

ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番“皇帝”
ベートーベン:ピアノソナタ第32番

ピアノ:エドウィン・フィッシャー

指揮:カール・ベーム

管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン

CD:DANTE PRODUCTION HPC 007

 時々とんでもないCDに出くわすことがある。このCDもその1枚である。スイス出身でドイツで活躍したピアニストのエドウィン・フィッシャーが52~53歳の油の乗り切った時の録音のCDなのである。エドウィン・フィッシャーというと、これまで歳をとった時の写真しか見ていなかったが、このCDのジャケットの写真は若々しく、20~30歳のころの顔写真に見える。若い時と歳をとった時の印象が大分違うのにまずはびっくり。録音されたのが今から70年も前なので音質は期待はできないだろうと思うと大違い。今でも鑑賞に十分に堪えうる音質レベルを保っており、これにもびっくり。特に“皇帝”の方は、現在のあまりに鮮明すぎる録音よりむしろ聴きやすいほどである。そしてこの“皇帝”の指揮がベームで、管弦楽がシュターツカペレ・ドレスデンという豪華組み合わせにもびっくり。というわけで聴く前から期待感が自然に高まる。

 その演奏内容であるが、期待にたがわぬ名演奏に仕上がっている。特に名だたる名演奏が多くある“皇帝”の中でも一、二を争う出来栄えだ。第1楽章は大変軽快に流れるように、ピアノをらくらくと弾きこなす。普通どんな名ピアニストでも“皇帝”の第1楽章ともなると力が入り、リスナーの方もどうしても緊張してしまう。ところがフィッシャーは軽々と軽快に演奏するので、気が抜けるほどだ。でもよく聴くと、ほかのCDの方が重々しすぎるのであって、フィッシャーの方が普通だと感じさせるのは、さすが大家だけのことはあると思う。この後の第2楽章はというと、これまた、通常の“皇帝”とは大分違う。正にドイツロマン主義の甘い香りを馥郁と漂わせたロマンチックそのものといった弾きっぷりなのである。ベートーベンがまるでシューマンになったようだ。そして、最後の第3楽章となると、待ちに待ったベートーベンらしい男性的な堂々とした“皇帝”そのものの演奏で締め括る。カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデンも好演。この“皇帝”のCDを聴き終えると、エドウィン・フィッシャーの思いが存分に込められた名盤という印象を受ける。

 32番のピアノソナタの方は、残念ながら“皇帝”より録音状態は良くない。でも鑑賞には堪えられるのでこれでよしとしよう。この32番のピアノソナタはベートーベンが人生の最後に到達した心境を赤裸々に綴った至高のピアノソナタだ。第1、2楽章でフィッシャーの演奏は、ベートーベンの精神を淡々と表現しきった演奏を聴かせる。一方、第3楽章のフーガは壮大この上ない演奏を見せる。この演奏も32番の数ある録音の中でも特質されべきものだと思う。それにしても、とんでもないCDはほんとに存在するものだ。これがあるからクラシック音楽リスナー稼業から、なかなか足を抜け出させそうにもない。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇ゲザ・アンダのモーツアルト:ピアノ協奏曲第20番/第21番

2008-08-11 11:00:28 | 協奏曲(ピアノ)

モーツアルト:ピアノ協奏曲第20番/第21番

ピアノ/指揮:ゲザ・アンダ

管弦楽:ウィーン交響楽団

 ゲザ・アンダはもう32年も前に亡くなったピアニストにもかかわらず、その録音は今でも輝きを失わず、多くのリスナーによって愛されている。また、現在、ゲザ・アンダ国際コンクールが開催されており、その名は過去のものにはなっていない。このような例は意外に少ないことに気付かされる。それと、映画「みじかくも美しく燃え」のサウンドトラックに、ゲザ・アンダとモーツアルテウム・カメラータ・ザルツブルグとによるモーツアルトのピアノ協奏曲第21番が使われたことも、ゲザ・アンダの名前を一層ポピュラーなものにしているのではなかろうか。

 このCDはゲザ・アンダがこの世を去る3年前に録音されたものだ。ピアノと指揮がゲザ・アンダ、管弦楽がウィーン交響楽団というメンバーで、モーツアルトの第20番と第21番の2曲が収められており、有名なモーツアルテウム・カメラータ・ザルツブルクとの録音とは異なる盤。最晩年に録音されたためか、内容の深い名演となっており、ウィーン交響楽団のいつも以上の熱演振りも聴いていて心地いい。

 ゲザ・アンダのモーツアルトは、安定感のある堂々と真正面からモーツアルトと向き合った演奏を聴かせ、聴いた後にも満足感が存分に残るといった趣だ。透明感がある上、メロディーを美しく歌いあげ、微妙なニュアンスもたっぷり含んでいるのだが、それでいて、病的なところが少しもない、すがすがしい演奏に彩られている。ゲザ・アンダがピアノと指揮とを一人で行っているが、この結果、演奏に一体感が生まれ、成功している。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇ハスキルのモーツアルト:ピアノ協奏曲第9/20番

2008-08-04 09:22:42 | 協奏曲(ピアノ)

モーツアルト:ピアノ協奏曲第9番/第20番

ピアノ:クララ・ハスキル
指揮:オットー・アッカーマン/ケルン放送管弦楽団
指揮:パウル・ヒンデミット/フランス国立放送管弦楽団

CD:伊stradivarius(DMS/日本ホノグラム、ミュージック東京)

 クララ・ハスキルは最高のモーツアルト弾きである。りりー・クラウス、ワルター・ギーゼキング、イングリット・ヘブラーそれにマリア・ジョリオ・ピリスなど、モーツアルトのピアノの名演奏家はいるが、これらの名手達と比べてもさらに一歩抜きん出た存在がハスキルだ。これからの人類は、果たして彼女以上のモーツアルト弾きを生み出せるのか、私は疑問に思っているほどだ。その演奏は温かみのある抑制の効いた、流れるような流麗な音たちで彩られている。何かモーツアルトが元気良く飛び出してきて、話を始める、そんな気分にリスナーは知らず知らずのうちに引きずり込まれる。ハスキルは生きているときは常に病気と対決していたそうだ。最晩年の録音を聴くと体の不調さが色濃く出ていて、聴くものの心を締め付ける。

 このCDはハスキルの死の6年前と3年前に録音されている。ライナーノートの最後に高橋 昭氏は「変ホ長調協奏曲(第9番)は1954年6月11日の演奏となっているが、オーケストラから放送録音と考えられる。ニ短調協奏曲(第20番)は1957年9月20日モントルー音楽祭での演奏となっているが、筆者の資料(複数)ではいずれも9月22日となっている」と書いている。

 録音状態は非常に良く、ハスキルの演奏を存分に楽しめる。モノラル録音だが、下手なステレオ録音よりいいくらいだ。第9番は死の6年前の録音なので、まだ、生き生きとした演奏スタイルとなっており、天衣無縫なモーツアルトを聴くことができる。オットー・アッカーマンの指揮も素晴らしく、ハスキルの演奏を引き立てているのが分かる。一方、第20番は曲想そのものが暗いベールに覆われているが、ハスキルの死の3年前でもあるからなのか、悟りの境地に立ったような穏やかなハスキルの演奏を聴くことが出来る。20番の名盤としてはマルケビッチとの競演盤が有名であるが、このCDもこれに劣らないほどの内容の深いものに仕上がっている。指揮がヒンデミットというのも面白い。
(蔵 志津久)

 

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