曇天の下で

2020年12月24日 | Weblog


一日中、曇天のまま時間が過ぎていきます。典型的な冬の風景かなと思っています。
ただし、それほど寒くは無いので、外に出て散歩をしても楽です。
曇りですから暗いです。家にはいると、ちょっと大げさかも知れませんが、日中でも夕方に
なりかかって来たような感じになります。

 

左足首の捻挫をしているので、健康な時のような散歩ではなく、散策と言った方が合って
いますね。二~三歩歩いては立ち止まり、この曇天下の風景を味わう。
雑念が頭の中をくしゃくしゃと走り回り、しばらくしてまた数歩歩くという散歩です。
先日、絵で描いたように左足は斜め横に出して、体を前方に送ります。それを右足が受けて。
という形の歩き方です。

 
   ツグミ?

猫のミーちゃんが同伴してくれました。行く先いくさき、付いてきては遊び、私が進むと
後から付いてきてまた遊ぶという感じです。かわいいものです。
いつも家に居るので出歩かないと辛い、と言う気持ちの揺らぎは全くないので、とても楽です。
我が家より良い所は無いという気持ちが先行しています。
それなりに録画を見たり、本を読んだり、ちょっとした足に障りがないような雑用をしたり
しているうちに時間がどんどん過ぎて行きます。むしろその方、つまり時間が早く過ぎていく、
と言うことの方が気がかりです。

 
  花スオウの木にマメが生りました

二葉亭の小説、『浮雲』を我慢して読んでいます。面白くないからです。ただし、
こんな表現や言葉があったのかと思わせる、なじみの無かった言葉が次々と出て
ます。どうせ先を急ぐわけではないですから、辞書を引きながら読んでいます。
辞書を引いたからと言って、覚えていられるかどうかは問題ですが、引かないよりも
良いかなと思って引いているわけですが、むしろ引くより「押す?」と言った方が
正しいくらい脳に引き寄せることが出来ません。つまり覚えられません。
比べれば、いま書かれている小説の読みやすいこと。

自分のことを「くたばってしまえ(しめえ)」と言ったことをペンネームにしたとか。
何事も最初というのは大変なことで、後に続く日本の近代小説の始まりの基を成した
作品なのだとか。

 
   ネムノキにも豆が生っています

おっと、あまり寒くないせいか、私とパソコンの画面の間を蚊が飛んでいきました。
午後四時半頃ですが、気温を見たら14℃あります。蚊は意外に寒さに強いですからね。
ですが、大半はおそらく死んでしまっているでしょうから、おそらくずっと屋内に居た
ままでいるのでしょう。それにしても、食べ物はどうしているのか。蚊に聞かなければ
なりませんね。
コタツには入っていますが、電源は入れていません。やっぱり今日は暖かいです。

「新型コロナの昨日の感染者数」「重症患者数」「コロナ対策のあれこれ」「医療
崩壊寸前」などなど、毎日まいにちくりかえし報道されています。それを繰り返し聞いて
いると深刻さが麻痺されてしまって、あまり事の重大さを感じなくなってしまう人が
多くなるのではないかと・・・。
かと言って何の報道されないのは余計に心配です。人の気持ちというのは複雑なものです。
嫌っていながらも遠ざけられないものです。