曇なり

2009年03月09日 | Weblog


 曇だったのですが、さすがに今の時期になると桜のつぼみも膨らみつつるという時期でもあるせいか、冬のような寒さは感じられませんでした。気持が弛みます。寒さが逆戻りしてくれないことを望みます。

 天気はまた悪くなるとか。そして回復するとか。考えてみたら、いや考えなくったって当たり前な話です。感心するようなことではありません。

 天気がうまく変わり、私の生活ももっと良い方向に変わる。それを転機と言う。なんちゃって、そうなると良いなぁ。1~10までの数字のキーをテンキーと言います。関係ないか。

                   
 

        

 白菜の花芽を取ってきました。初めてです。暖冬だったので、こういうことが出来るんでしょうね。もっとも、今まではあまり関心がありませんでしたので、取る気があれば取れたのかも知れませんけど。

        

 そして。     食べました。柔らかいですね。味はソフトです。アブラナとか のらぼう と、どう違うかというと、私の表現能力の乏しい頭ではうまく説明できません。リンゴとかミカンの味のような、はっきりと違う味ではなく、同じ菜っぱ類の味の違いですからね。

        

 先日、大子という町で能面打ちをしている方を訪問した話をしましたが、その時にいただいたコンニャクです。奥さんが作ったのだそうです。固さはちょうど手頃でした。

 結婚の約束が出来たときに、こういうものを食べると良いかもしれませんね。コンニャク →  婚約。 

 大子はコンニャクの産地でもあります。いろいろな産地です。ワサビは先日紹介しました。それからコンニャク。書道の硯も石が取れますので、産地です。それから、築地では奥久慈卵としてブランドになっている卵。シャモの肉なんてのもありますね。まだあるかと思います。

 

 「中国の七福神たちが語らっている姿をデフォルメした像」 のように見えるこれは何でしょう。

 

 よく見ると、七福神どころではないんです。こんなに沢山の聖人たちが木の根元で不景気対策とか、政権交代とか、地球温暖化とか、迎撃ミサイルのことなどを語り合っているのです。

 これは、「非常に了見が狭いな」という不本意な名前を付けられた木の根元にあるんですが、たぶんこれは根っこの一部なのかなと思っていますが、どうなんですか? あ、その木の西洋の名前はメタセコイヤといいます。

 昨日、水戸市植物公園に行ったときに公園の中で見つけました。新発見。

                  

 


  一日一茶

    春雨や喰われ残りの鴨が鳴く

  胚 句

    春雨や鴨南蛮でも食うがよし
    春雨やひとり留守居の胸に降り
    春雨や都に雨の降る如く
    春雨やわが心にも涙降る
    春雨や思い出してるヴェルレエヌ  (  補 )
    春雨やわたしも合わせて泣こうかの
    春雨や面倒なので眠っちゃった
    春雨や三千世界鉛色
    春雨や何をしよかと烏鳴く
    春雨や町の小さな喫茶店
    春雨や窓に一鉢蘭の花
    春雨に煙る筑波の麓かな
    春雨やピチピチチャプチャプランランラン
    春雨やこたつで喜ぶ金メダル
    春雨や早く欲しいな給付金
    春雨や買うものないが給付金


 補)  都に雨の降るごとく
             ポール・ヴェルレエヌ  鈴木信太郎 訳

      都に雨の降るごとく
      わが心にも涙ふる。
      心の底ににじみいる
      この侘(わび)しさは何ならむ。

      大地に屋根に降りしきる
      雨のひびきのしめやかさ。
      うらさびわたる心には
      おお 雨の音 雨の歌。

      かなしみうれふるこの心
      いはれもなくて涙ふる。
      うらみの思ひあらばこそ
      ゆゑだもあらぬこのなげき。

      戀も憎(にく)みもあらずして
      いかなるゆゑにわが心
      かくも悩むか知らぬこそ
      悩(なやみ)のうちのなやみなれ。