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「百花」(2022年 日本映画)

2022年09月28日 | 映画の感想・批評
 

 記憶にまつわる母と息子の物語である。「半分の花火」という謎の言葉が最後まで心に引っかかり、物語にひきこまれていく。
 レコード会社に勤務する葛西泉(菅田将暉)とピアノ教室を営む母、百合子(原田美枝子)。二人は過去のある出来事をきっかけに、互いに心の距離を感じながら生きてきた。百合子と離れて暮らす泉は職場の同僚香織(長澤まさみ)と結婚しもうすぐ父親になろうとしていた。そんな一見平穏な日々のなか、百合子の変容によって泉は過去の出来事に直面することになる。
 ある日のスーパーで百合子は混乱していた。何度も同じ売場に行き同じ食材をカゴに入れる。女の子が二人はしゃいでいるのを見て「走っちゃだめよ」と声をかけるが同じ場面が繰り返される。ふと顔をあげると前方を歩く男性は懐しい彼ではないか。思わず小走りで後を追いそのまま店の外へ……。駆けつけた泉と共に受診した病院で、百合子はアルツハイマー型認知症と診断される。彼女が見たものは幻視ではなかったか。ヘルパーの補助だけでは生活が難しくなり、やがて百合子は郊外の施設に入所する。
 ワンシーン・ワンカットの撮影と聞くが、スクリーンからは俳優の熱量が伝わる。菅田将暉の余計な動きのない的確な演技には説得力がある。百合子の家で冷蔵庫から溢れる卵のパックをかき集めるその姿にぶつけようのない静かな怒りが。姿の見えない百合子を雨の中傘もささずに探し回るその姿に初めてほとばしる激しい感情が。百合子を送った施設からの帰路、バスの後部座席で一度も振り返らないその姿に母との更なる距離を感じていく哀しみが。台詞のない場面でも心の声が聞こえてくる。
 3ヵ月前に京都文化博物館で「大地の子守歌」(1976年)を観る。原田美枝子の初主演作であるが、一人の表現者の歴史に触れた感がある。回想場面を原田美枝子本人が演じたことで作品には一貫性がある。商店街で永瀬正敏と仲睦まじく買物 をする姿は初々しい。泉のことも分からなくなる後半、泉と共に花火を見に行く場面では無垢な童女のようである。百合子が身につけている物にはどこかに必ず黄色が使われている。なかでも浴衣の黄色の帯は象徴的だ。このパーソナルカラーは自分の身体の中で迷子になっている百合子の存在証明であり、命の輝きのようだ。
 記憶とは過去のものではなく自分の中で育て続けているもの。母と息子は空白の一年間を封印したまま暮らしてきたが、「半分の花火」がその封印を解いてくれる。ラストで明かされる「半分の花火」の正体が意表を衝く。
 過去との連続性のない現在を生きるのは大変なことと、次第にピアノも弾けなくなった百合子の姿は語っている。父親になった息子はこれからの母との距離を、母と紡いでいく時間を愛おしく思うにちがいない、と祈りをこめる。(春雷)

〔注〕作品の中盤、百合子の回想シーンの中で、阪神淡路大震災の当日が描かれています。振動や音も含めてリアルな描写なので、予めの心身の準備をお勧めします。

監督:川村元気
脚本:平瀬謙太朗、川村元気
原作:川村元気
撮影:今村圭佑
出演:菅田将暉、原田美枝子、長澤まさみ、北村有起哉、岡山天音、河合優実、長塚圭史、板谷由夏、神野三鈴、永瀬正敏


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