シネマ見どころ

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「仮面/ペルソナ」  (1966年 スウェーデン映画)

2022年07月20日 | 映画の感想・批評
 プロローグ。スクリーン上で映写機のカーボンライトが点灯し、様々な映像が脈絡なく流れてくる。アニメーション、男性性器、蜘蛛、無声映画のスラップスティック・コメディ、羊の屠殺(生贄)、掌に打ち付けられた釘(キリストの磔刑)、老婆の顔、壁に投影された女の顔に手を差し伸べる少年・・・深層心理に潜む性的トラウマや破壊衝動、罪悪感や贖罪意識が比喩的に表現され、母親の愛を渇望する子供の姿がリアルに象徴的に描かれている。
 タイトルバックの後、舞台は病院になる。看護師のアルマは女医に呼ばれ、失語症に陥った女優のエリーサベットを担当するよう指示される。自意識に縛られているエリーサベットは何を言っても嘘をついているように感じ、あらゆる仕草が演技をしているように思えてしまう。沈黙すれば嘘をつかなくてもいいので失語症のふりをしているが、自分をさらけだしたいという強い欲望を抱いている。エリーサベットが安心できるのは演技をしている時だけであり、いずれ失語症の芝居をやめるだろうと女医は考えていた。
 エリーサベットはアルマと共にサマーハウスで転地療養をすることになった。アルマは初めて信頼し合える人と出会えたかのように、心の中に秘めていたものをエリーサベットに打ち明けた。婚約者がいるにもかかわらず、行きずりの少年と性関係を持ち妊娠し堕胎したこと。堕胎を後悔し、罪悪感に苛まれていること。苦悩するアルマをやさしく愛撫するエリーサベット。同性愛的な感情に満たされ、アルマの心はエリーサベットに取り込まれていった。アルマは自分の中に2つの人格があると感じた。
 ある朝、アルマはエリーサベットが女医に宛てた手紙をこっそり読んでしまう。手紙にはアルマの告白の内容(少年との性交や堕胎の事実)が書かれており、「アルマを観察して楽しんでいる」と綴られていた。アルマは激しい憤りをエリーサベットにぶつけるが、彼女を嫌いになることはできなかった。エリーサベットの夫がサマーハウスを訪ねて来た時、エリーサベットは面会を拒み、アルマに夫の相手をさせる。夫はアルマをエリーサベットだと思い込み、アルマはエリーサベットの役を演じて夫と一夜を共にする。エリーサベットに取り込まれ、同化し、思うままに操られている自分にアルマは不安を感じていた。
 アルマはエリーサベットが息子に対して抱く複雑な感情を分析し、彼女に話して聞かせた。「女としても、女優としても素晴らしいが、母性に欠けている」と知人に言われたことに傷つき、エリーサベットは子供を作ろうとして妊娠する。親としての責任や仕事の中断を恐れて堕ろそうとするが、堕胎は失敗。死産を望んだが、結局、赤ん坊が生まれてしまった。子供を親類に預けて仕事に復帰したが、息子は母親に会いたがった。会うたびに疲れ果て、まとわりつく息子を殴りたくなった。どうしても息子を愛せなかった。・・・アルマの説明に動揺するエリーサベット。白い画面上ではアルマの顔の半分とエリーサベットの顔の半分が合体しようとしている。その時、アルマは言った。
「私はあなたじゃないわ。看護師のアルマよ。同じにはなれない。子供が欲しいの。私は子供を愛せるわ」

 『鏡の中にある如く』(61)、『冬の光』(62)、『沈黙』(63)は「神の沈黙」三部作と呼ばれ、神の存在を問うた作品として高く評価されているが、ベルイマンはこれらの作品以前から「神の沈黙」をテーマとした作品を作り続けていた。『第七の封印』(57)では死期迫る主人公は「何故、神は五感でとらえられないのか・・・教義や空想ではなく、手を差し伸べ、顔を見せ、言葉を下さる神がほしい」と叫ぶ。『処女の泉』(60)は娘を強姦殺害された父親が犯人に復讐する時に、間違って無実の少年を殺してしまい、神の看過と無慈悲を嘆く。『鏡の中にある如く』や『冬の光』では神を感じることはできなくても、「愛することは神そのものだ」といって、主人公たちは神の存在を肯定する。ベルイマン映画の登場人物はどれほど困難に会おうとも、神が手を差し伸べてくれなくても、神への信仰を捨てることはない。
 『冬の光』までの作品には確かな家族愛や隣人愛があるが、『沈黙』になると神や信仰の話は一切出てこず、愛の存在すらあやしくなる。姉と妹は憎みあっていて、姉妹愛は完全に崩壊している。それでも妹には息子がいて、親子の愛情だけはかろうじて保たれている。本作『ペルソナ』(66)になると母親(エリーサベット)は息子を愛することができず、親子の愛情も夫婦愛ももはや存在しない。「愛は神なり」が真実なら、もはや神は存在しないことになる。それでも唯一の救いはアルマがエリーサベットと決別し、結婚して出産し、愛する家族を持ちたいと考えていることだ。ここに一条の神の光を見ることができるかもしれない。(KOICHI)

原題:Persona
監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
出演:ビビ・アンデショーン  リヴ・ウルマン
グンナール・ビョルンストランド