チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

シュワブ基地、アスベストの建物の解体が進む---海では「トーカチ」の祝いも

2015年01月10日 | 沖縄日記・辺野古

 1月10日(土)、昨夜は遅くまで識名トンネル住民訴訟の弁護団会議があったため、今朝は少し遅れて辺野古に向かった。辺野古漁港で「不屈」に乗せてもらい、カヌー隊のサポートにあたる。今日は「平和丸」が海上案内、「勝丸」がダイビングに出ている。

 まだフロートの引き出しや浮き桟橋設置の動きは見られない。それでも、辺野古崎の近くでは2台の大型重機が動き、アスベストで問題となった米軍兵舎の解体工事が進んでいた。普通、こうしたコンクリートの解体は、粉塵がまきあがるのを防ぐために、放水をしながら作業を進めなければならないが、そうした配慮は行われていない。

 大浦湾に面して4階建ての大きな米軍兵舎が建っている。防衛局はホームページで、この建物のアスベスト除去作業を今週から始めると発表している。しかし防衛局は、アスベスト問題を所管する県の環境保全課に、「飛散性のアスベストはない。非飛散性のアスベストのみだから大気汚染防止法に基づく届の必要はない。」と口頭で説明したが、それを裏付ける資料はいっさい提出しておらず、真偽のほどは分からない。県も、防衛局の説明を鵜呑みにするのではなく、第3者機関等に検証を依頼してチェックしていく必要があるだろう。 

 今日は、辺野古・松田の浜から17隻のカヌーが出た。皆、軽々とフロートを乗り越えて辺野古崎に向かう。

 米軍水陸両用戦車が出てくるスロープには、奇怪なドクロの絵が描かれている。先日、解体された米軍兵舎の中にも、大きなドクロの絵があったと報じられていたが、海兵隊のワッペンやTシャツにもよくドクロの絵が使われている。

 辺野古崎を回り、大浦湾に進むカヌー隊。

 今年になって、シュワブの海岸のあちこちに監視カメラが設置された。これは、辺野古の浜の防衛局の監視小屋の前に設置された監視カメラ。

 辺野古崎にも、2機の監視カメラが設置されている。

 今日は、大浦湾の米軍ビーチにカメラを設置する作業が進められていた。

(平和丸で「トーカチ」のお祝い。ライフジャケットをつけた右端の方が88歳になられたMさんのお母さん)

 「不屈」でカヌー隊の伴走をしていると、平和丸がやってきた。見ると、紅白の幕をつけている。なんと、カヌー隊で頑張っているMさんのお母さんのトーカチの祝い(88歳・米寿)とのこと。今日は、Mさんの兄妹たちが集まってお母さんに辺野古の海を見てもらおうと企画したという。船団、そしてカヌー隊の皆も、お母さんにせいいっぱい手を振った。紅白の幕は、連絡を受けた平和丸の船長・Yさんが急遽、用意したものだという。お母さんには本当にいいお祝いになったことだろう。

 午後は、船を下りてシュワブ基地ゲート前の座り込みに参加した。朝から資材運搬のため大型トレーラーが入ったので、抗議のために皆、鉄板の上に座り込んで車両の出入りを止めて集会を続けている。Mさんたちも座り込みに来られた。山城博治さんに呼ばれ、お母さんもマイクを握った。お母さんは「辺野古の海に出て、あまりの美しさに涙が出ました。今日は、島袋文子さんにお会いしたくてゲート前に来ました。」と挨拶して、島袋文子さんと抱き合って喜んでおられた。

 Mさんが、お母さんのことを紹介された。お母さんは、沖縄戦当時、首里高等女学校の生徒で瑞泉学徒隊の一員として動員されたという。そこまで聞いていて、ハッと気がついた。以前、Mさんに絵本『A Letter From Okinawa』を頂いたことがある。その絵本は、Mさんのお母さんが渡嘉敷島から沖縄本島の高等女学校に入り、看護隊として招集されたが、奇跡的に生き延びた話を英語と日本語で書かれたものだ。なんと、そのお母さんが、トーカチの祝いで辺野古で船に乗り、ゲート前の座り込みに参加されているのだ。

                (ゲート前で挨拶されるMさんのお母さん)

 (Mさんがお母さんの戦争体験を書いた絵本)

 海上行動のメンバーたちにはいつも差し入れが寄せられる。今日は、おでん。実においしかった。これで一人前。

 

 汀間漁港から戻るバイパスの横に白い花が咲いていた。あれっと思って引き返して確認したが、やはりイジュの花だった。普通は6月頃に咲く花だが、どうしたことだろう。 

 

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