6月23日は、沖縄戦から78年目の慰霊の日。今年も早朝から摩文仁の平和祈念公園に向かった。
昨年、一昨年と具志堅隆松さんらと式典会場横にテントを張り、南部地区の遺骨混りの土砂採取問題について訴えたが、今年は、警備が強化され、テントの許可が出ない。やむを得ず。平和の礎中央の平和の火の近くで、午前、午後と集会を行った。今年の集会のテーマは、琉球諸島への自衛隊強化等にも反対し、「守ろう戦没者の尊厳と沖縄県民の命」とした。
(午前の集会)
それにしても驚いたのは、凄まじい数の警察官の姿だ。公園内の道路にはぎっしりと制服警官が並び、他にも喪服姿の警察官らも目につく。
公園入口の沖縄平和市民連絡会の集合場所に行こうとすると、すぐに2~3名の警察官に呼び止められた。「何処に行かれるのですか?」、「お名前を教えてください」としつこく尋ねてくる。そして、「カバンの中を見させてください」と繰り返す。「その必要はありません」となんとか振り切ったが、近くでは、横断幕を広げていた人たちが、大勢の警察官に囲まれていた。
今日の沖縄タイムスにも、「式典 最大規模の警備」として、「穏やかな慰霊祭を迎えたいのに、道ゆく道に警察官。これは異常だ」という県民の声が掲載されていた。岸田首相が来るからという理由で警備が異常なほど強化されているのだが、それなら来年はもう首相など招待せず、静かな慰霊の場にすべきだろう。
(沖縄平和市民連絡会の岸田首相への抗議行動)
(横断幕を広げているだけで警察官に阻止される人たち)
今年は初めて式典会場に入った。デニー知事は平和宣言で、「沖縄の防衛力強化に関連して県民の間に不安が高まっている」「辺野古新基地建設断念」とは述べたが、もう一歩踏み込んで南西諸島へのミサイル配備等に明確に反対を表明してほしかった。
岸田首相の挨拶に対して、今年も、「沖縄を戦場にするな!」という大きな声があがったが、県民の当然の思いだろう。
式典が終った頃から、どうも体調が優れない。どうも熱射病にやられたようだ。シャトルバスで駐車場に戻り、車を日陰に移動させて車内で横になった。
平和の礎の午後の集会は休ませてもらって、午後3時頃、魂魄の塔横の国際反戦集会に向かった。
熊野鉱山は未だ開発の動きはないが、北側の土砂搬出道路となる辺りに、少し土砂が積まれていた。まだ、農地転用許可は出ていないから、いっさいの形質変更は許されない。
(土砂搬出道路となる辺りに置かれた土砂)