チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

<12日の辺野古(後半)>米退役軍人らが大浦湾の海上行動に参加 ---胸に迫る感動的な訴え(追記あり)

2015年12月13日 | 沖縄日記・辺野古

   12日(土)は、ゲート前の座り込み行動に参加した後、汀間漁港に向った。今日はNさんと「平和丸1号」を担当、他には「平和丸3号」「不屈」「美ら海」「ブルーの船」の計5隻。カヌー隊は瀬嵩の浜から18艇、辺野古側からは3艇が海に出た。

 いったん大浦湾・弾薬庫下の作業現場でカヌー隊が抗議している現場に行った後、汀間漁港に戻った。ちょうどアメリカの「Veterans For Peace」(「平和を求める元軍人の会」、全米120以上の支部から構成される元軍人による国際平和団体)の一行14名が到着。「平和丸1号」と「美ら海」に乗ってもらい抗議の現場に向った。

 現場に到着、抗議のバナーを船に掲げ、退役軍人の皆さんが次々にマイクを握った(以下は、揺れる船の中で作業をしながらとったメモなので、不正確な箇所があるかもしれません)。

・「私は元海兵隊員で●●年代、このシュワブ基地にいました。当時、2人の子どもが沖縄で生まれました。今も沖縄を心から愛しています。アメリカがこの沖縄でしていることを思うと胸が痛みます。」(Ken Mayers)

・「私は陸軍大佐でした。その後、13年間、外交官として働いてきましたが、2003年、アメリカのイラク攻撃に抗議して外交官を辞めました。この美しい海に米軍の基地を造ってはなりません。カヌー隊の皆さん、頑張ってください。」(Ann Wright)

・「私もアメリカの海兵隊員でした。アメリカは世界の130ケ国に800以上の基地を持っています。何故、それ以上の基地が必要でしょうか。たとえば、アメリカのカリフォルニアに日本の基地があったとすれば、アメリカ人はどう思うでしょうか。海保の皆さん、あなたたちが守っているのはアメリカ軍です。海保は操り人形になってはいけません。」(Mike Hanes)

・「私は陸軍のパラシュート部隊でした。黒いボートに乗っている海保の皆さん、あなたたちは何をしているのですか? 皆さんがしていることは100年も使う基地を造って沖縄の美しい自然を破壊することです。皆さんには誇りというものはないのですか? カヤック隊の皆さん、ありがとう。沖縄のためだけではなく、全世界の人たちのために皆さんは闘っているのです。」

 退役軍人らの話は、どれも感動的なものだった。さすがに海保のゴムボートも近くには来ず、遠く離れて見守っているだけだった。彼らにはアメリカの退役軍人らが大浦湾にまで来て抗議したことは、驚きだったに違いない。少しは、自分たちのしていることの意味を考えてくれればいいのだが。

  (大浦湾の状況を悲しそうに見つめる Ken Mayers)

 (カヌー隊のメンバーらと交流する退役軍人ら)

 11月末から「ヤニバマ」(米軍レジャービーチ)で始まった「付替道路」工事は今日は行われていない。この工事について、防衛局は、「仮設道路付替工事が予定されている箇所付近」とは認めたものの、「一時的にパネルを敷設しているが、仮設道路付替工事ではない」と主張しているという(琉球新報 2015.12.12)。現場では浜を整地した上に栗石を入れた網を並べ、その上にパネル状のものを敷設しているのだから、こんなデタラメな説明は許せない。

   「付替道路」工事現場。米軍レジャービーチから栗石が入った網袋を設置している。

   (「付替道路」の先端部分。浜にシートを敷きそこに栗石を入れた網袋を並べていく。)

 退役軍人らの一行が船を降りた後、今度は東京からの団体に乗ってもらい、航路入口付近の海上ボーリング調査の抗議行動に向った。海上ボーリング調査はもうほとんど終り、残りは1ケ所程度になっているはずだ。防衛局は、知事が再三言明しているとおり、海上ボーリング調査が終われば大浦湾に張り巡らせたフロートを撤去しなければならない。

    (波の荒い大浦湾をカヌー隊を曳航する「平和丸3号」)

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 なお、VFPは15日(火)に次のような興味深いシンポジウムを企画している。私も参加するつもりだ。

 

 

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