5日; 蘭州東駅 8:42 着
ここで 蘭州駅に入る順番待ちである。隣には北京から来た列車が
待機している。
一時間程待機して 10:00蘭州駅に入る。ホームの案内板を見ると
10:07発とある。 遅れた訳ではないようである。
同室のおばさんと別れの挨拶をして下車。
ホームには朝食販売の屋台が待っている。
蘭州は甘粛省の省都なので乗降客は多い。
蘭州駅 近すぎて看板が見えない。
敦煌行の列車は18:00発なので 約8時間の市内観光に出る。
先ずは駅構内から出て 手荷物を預ける。
リュック1個が一日10元である。
場所柄(西域が騒がしい) 駅に特別警察車両が待機、警戒している。
西域に来た実感が湧く!
身軽になり 地図を(5元)買い、いざ市内観光へ!
タクシーがなかなか捕まらない!
止む得ず三輪タクシーと価格交渉し(言い値は25元、)行先は白塔山公園
距離感も分らないので(取り敢えず20まで値切り)手を打つ。
この車で繁華街を抜けて行く、
信号無視、歩道走行、あり!
黄河の畔 中山橋に15分程で10:30到着;
おじさんの了解を得て乗車記念写真をぱちり。
中山橋を渡ると白塔山公園がある。
午前中 体力の有る内に この山を登ります。
黄河を渡る!
このあたり 水量は有る、しかし名前の通り 水は濁って黄土高原の
色である。
歩道橋を渡ると白塔山公園の入口がある。
嬉しい事に入園料は無し 無料開放である。
案内図に従って登って行く。
振り返ると 蘭州市内のビル群; 真下に中山橋;
遠方に霞む山脈は午後観光予定の五泉山公園、蘭山
白塔に 11:25到着
残念な事に改装工事中
公園内の植木の根本は少し掘っている、 水を逃がさないようにしている。
乾燥地帯で 少雨対策を取っている。
白塔から 西の稜線に蘭州碑林があり、折角なので見学に向かう。
途中の山林にスプリンクラーで散水している。
12:10 碑林到着 比較的新しい建造物である。入園料は記帳だけで
無料である。
地元出身の学者だが 案内板が読めない!
近辺の石碑の複製を展示している。
ここからケーブルで一気に下り黄河を渡る。
下り 25元
黄河でモターボート遊覧をしている。
ロープウエイの駅ビルに蘭州ラーメンを提供するレストランがあり
食事をしながら黄河見物が出来る。
12:50 昼食を摂る。
本場の蘭州ラーメン 包子4ヶ 合計27元
大連留学時代、大連で食べた蘭州ラーメンが口に合わず 以来
ずーと食べてなかったが 本場のラーメンはマーマーの味だった。
次は五泉山公園である。
タクシーで行くのが手っ取り早いのだが なかなか捕まらない!
地元らしき通行人に近くのバス停を尋ね 歩くがバス停が良くわからない
そうこう してたら タクシーを捕まえることが出来 約5分 11元で
13:40到着
入園料は無し 一般市民に開放している。
奥の山頂まで公園で 更に 蘭山公園に続いている。
シルクロード所縁の将軍 ”霍去病”
経歴
衛青の姉、衛少児の子。同じく衛青の姉であり、霍去病の伯母にあたる衛子夫が武帝に寵愛される戻太子を生んで皇后に立てられたため、親族にあたる霍去病も武帝の覚えが良く、寵愛されていた。また、漢王朝創立時からの功臣である陳平の玄孫の陳掌は霍去病の母と密通しており、霍去病の義父となった。
騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、3万の首を上げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。
霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。しかし意外にも、宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったらしく、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていたようだ。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。また衛青が李広の息子に殴られたことに憤慨し、李広の息子を殺した話も世間からは義侠の士として人気があったという。
息子の霍子侯は武帝封禅の儀において、武帝と唯一共にし泰山に登ったという。
とても山頂までは登れないので公園の入口付近を散歩し、アイスを食べ
ながら 木陰で休む。
五泉と言うが
案内板で 二つは見つける。
甘露泉と 恵泉;
何時も感じることだが 案内板に距離の表示が有ると大いに助かる
のだがーーーー
結局 距離感が掴めず 見学は諦める。
残りの3ヶも登山の途中に有るのだろう。
時間は十分にあるが、他の観光地に行くほどのゆとりは無く、
疲れが取れたので 駅まで散歩しながら街の様子を見学する。
途中市場で車内用の果物を買う,また 駅の構内に入る前にスーパーで
食料を買い込む。
少し早すぎたが 何時もの如く 切符、身分証、手荷物検査を受けて
軟臥車専用の待合室に入る。
17:40 改札開始、1番ホームに停車中の列車を見て初めて”敦煌号”
と判る。
(敦煌線 2006年に敦煌線として延長される。)
車掌さんに聞いたところ 今年の7月10日から運行始めた特別列車
だそうである。
青島大学国際学術センターで切符購入の際 服務員が気を利かして
押えてくれたのであろう。 実に嬉しい心配りである。
お蔭で 蘭州市内観光と一日一便の敦煌号に乗れる。
列車は牽引式でなく 新幹線式である。
乗車口に莫高窟 双飛天の図柄が迎えてくれる。
軟臥車の廊下に敷かれてあるカーペットが新しい!
車内の設備
トイレがなんと! 洋式だ!しかもトイレットペーパー着き!
18:00 定刻出発、 振動が殆ど無い 滑るように駅を離れる。
蘭州から 乾燥地帯に入る
山に樹木が無い!
同室のお客は 内モンゴルのフフホトから敦煌の観光に行く親子であり、
大学入学祝いの旅らしい、満州族と言ってたが綺麗な標準語を話すので
会話が弾む。
20時過ぎ ベッドに横になると爆睡で途中 駅に停車したのか?敦煌直行
か?判らず 車掌が切符の返却に来るまで気が付かない。
6:48敦煌駅到着 時差が二時間近く有り 未だ暗い。
白塔山公園、往復とも歩きましたよ。
中山橋の下、黄河の水量はとても多かったです。
その川で、羊皮の筏〔?〕観光用に、沢山ありましたが、この濁った水量の多い黄河では、怖くて乗りませんでした。
いよいよ敦煌に向けて、出発ですね、、、ワクワク
蘭州まで行かれた日本人は少ないのではないでしょうか?
私達は時間の関係で 炳霊寺には行けませんでした。
羊皮の筏にも乗りませんでした。
河の流れが急でしたからかもしれませんが ボート遊覧だけでした。
。
まさしく旅の名人です。
ただ、子供の頃より乗り物に興味がありました。
田舎から街の銀天街まで初めてバスに乗った時の感動は今でも覚えてます。
ぜ様も同じ年代では?