事務所から 連絡あり。 卒業証書が必要ならばHSKテスト5級以上合格
しなければならない。
6級合格していたので安心していたが ”4月で2年間の証明期間が切れる
ので再度試験を受ける必要がある。” と言う事である。
” え~!” と思わず心の中で叫んだ。
又6級受けるのはかなりのストレスである。 先生は私の顔色を見て、
” 5級以上だから問題はないでしょ?” 保険を兼ねて5級を改めて受け
る必要がある。
これだけの期間留学したのだから やはり 卒業証書は欲しい!
齐国故事
齐大非偶 縁談が不釣り合いである。
齐僖公时,北方的山戎国“在今河北迁安悬一带”侵犯齐国。齐僖公
向各邻国要求派兵援助。
郑国的太子忽“郑庄公的儿子” 奉命带领人马,前来支援。
忽作战十分勇敢,部队战斗力很强,一下子把山戎兵打得大败,歼灭了
大约三百名山戎兵,俘获了大良,二良两员大将,交给齐国。
齐国杀牛宰羊,慰劳各国将领,庆贺胜利。 齐僖公委派鲁国的将领
把慰劳品依次一一分送给各国军队。 郑太子忽轮到最末一位。
忽十分不满;“ 这次打败山戎,主要是我的功劳,为什么把我排列在最末?”
原来这排列次序也并非毫无道理,因为其他各国的国君的爵位比
郑国的高。可太子忽认为慰劳按战功大小,不能论国君的爵位,
心中忿忿不平。
齐僖公很早就喜欢郑太子忽,想把女儿文姜嫁给他,并且派人正式
提过亲。可是太子忽不愿意。有人说忽真傻,齐国是大国,很大国国君
的女儿成了亲,有了靠山,有说不完的好处,都劝他答应这门亲事。
太子忽却说;“ 每人都有自己合适的对象,齐国太强大,它的国君的
女儿,不是我适合的对象。
正如*诗经* 上说的,幸福要靠自己去创造。所谓‘好处’,主要得靠
自己去争取,依靠大国不算真本事!”
现在,太子忽帮齐国出力打了胜仗,齐僖公更加喜欢他了,便又派人到
郑国提亲。 忽更加不愿意了,坚决加以拒绝。他说 :” 以前我尚且不答应
现在更不行,要是我娶了齐国国君的女儿,人家一定会笑话我;怪不得忽
那么勇敢地打山戎,原来他有个人的企图啊!“ 这件亲事终于没成。
一度決めたことを利害で簡単に変えたら今までの自分はなんだったのか?
努力は必ず報われるといいますが。形、形式的にも認められ公示される必要があるのでしょう。
そういう資格が自身や今後の暮らし方に、きっと役立つでしょう。
今更就職は考えてませんが、何かお役に立つことが有れば厭いません。