青島留学老人日本生活記

留学後日本の生活記

学内風景

2015年06月30日 | 学内風景

6月27日 土曜日  恒例の朝市であるが、帰国が近いので野菜類は

買わず最低必要な食糧しか買わない。

瓜が上手そうなので4個買う、そのほかジュース用の人参、リンゴ

等。

 引っ越し業者から見積もりを取ったが 1K30元でかなりお高いが

どうしても必要な物もあるので 段ボールを先に依頼して 荷物の分類を

始める。

 

出来るだけ整理しようと思うがなかなか処分出来ないものである。

7年間の留学生活で 帰国の度に持ち込んだ荷物が増えているのである。

 


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
捨てられない、運賃をかけても運びたい。 ()
2015-06-30 19:06:17
そうです、年をとるとあれもこれも捨てることができなくなりますが、最終はそんなに必要なものはありません。

私は家一軒潰したことがありますが、最初はあれもこれもと引きずり出してはまた放り込むという次第でしたが、最後は数冊のアルバムだけになりました。

京都に移る際も小さなワンる-むですから、衣類は基本的に捨てる、茶碗食器も新たに勝ったほうが賢明だと考え実行しました。

これは母親が韓国からの引揚者で、持っていくこと、など一切考えられない状況を経験した
遺伝子かもしれません。

つまりは、想い出だけしか運ばないと言う事でしょうか。
返信する
ぜ様 (青島老人)
2015-06-30 21:12:49
思い出が鮮明に頭の中にあれば良いのですが、思いでを引き出す小道具が必要になってます。

”勿体ない”精神が染みついているようです。
返信する
もう時間がないのだけが残念です。 ()
2015-07-01 12:38:41
わつぃは、戦後すぐに教員一家に生まれました、また両親はすぐに教員をやめて厳しい農業で生活をしましたから、もったいない精神、その通りの暮らしをしましたし、今でも少しでも贅沢はできません。

ただ、引き揚げて帰ってきた祖父母の家を取り壊すときに、いくばくかの金やしょうもない名誉や地位などと言いうものは、ぎりぎりいっぱいのところで生きていく上ではないのか地にも支えにもならぬ夾雑物だと確信しましたね。

四国の古い暮らしから瞬時にでも脱走して京都の狭いアパ-トで暮らすのもそういう感慨の連続線上にあるのでしょう。

母親の介護がなければ妻の持病がなければ、すぐにでも中国で生きてみたいと思います。
返信する

コメントを投稿