正次郎「連獅子」
杵屋勝三郎の大親友、杵屋正次郎(3世)は
勝三郎の「連獅子」から11年後の明治5年(1872)に
同じ題名の「連獅子」を作った。
こちらは村山座の所作で、
坂東彦三郎(5代目)と、沢村訥升(2代目)が踊った。
歌詞は勝三郎の「連獅子」とほぼ同じ。
ただ新たに、「子獅子を蹴落としたあとなかなか駆け登ってこない
我が子を思い、憂いにふける」という場面が加わった。
加筆は恐らく河竹新七(2世)、振付けは前作同様、花柳寿輔。
狂言作者も振付師も同じ、曲の内容も同じという両「連獅子」。
何か意図があって競わせたのだろうか。
それとも悪戯好きの新七の思いつきか。
今日では、踊りの地としては正次郎の「連獅子」が、
演奏としては勝三郎の「連獅子」が使われることが多いようだ。
〓 〓 〓
tea break・海中百景
photo by 和尚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/5c/58af60d38363f50c16a04d93ec0c5d25.jpg)
杵屋勝三郎の大親友、杵屋正次郎(3世)は
勝三郎の「連獅子」から11年後の明治5年(1872)に
同じ題名の「連獅子」を作った。
こちらは村山座の所作で、
坂東彦三郎(5代目)と、沢村訥升(2代目)が踊った。
歌詞は勝三郎の「連獅子」とほぼ同じ。
ただ新たに、「子獅子を蹴落としたあとなかなか駆け登ってこない
我が子を思い、憂いにふける」という場面が加わった。
加筆は恐らく河竹新七(2世)、振付けは前作同様、花柳寿輔。
狂言作者も振付師も同じ、曲の内容も同じという両「連獅子」。
何か意図があって競わせたのだろうか。
それとも悪戯好きの新七の思いつきか。
今日では、踊りの地としては正次郎の「連獅子」が、
演奏としては勝三郎の「連獅子」が使われることが多いようだ。
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tea break・海中百景
photo by 和尚
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