西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

富士田吉治 その21

2011-01-16 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
富士田吉次 その21

「淡島」(1770年8月・市村座)の翌年3月、
吉次は死んだ。58才だ。

信じられない勢いで、江戸長唄に革命を起こし、逝った。
これが、ほんの13年間の出来事なのだから、
「恐れ入谷」と、感服するしかない。

吉治の師匠ともいわれていた、“元祖長唄名人”松島庄五郎は、
吉治デビュー後の 1763年(宝暦13)、中村座顔見世を最後に
吉治の人気に押されるように、芝居の世界から消えた。

兄弟弟子の荻江露友は、
吉治が中村座に移籍した翌年(1766・明和3)
の顔見世から市村座のタテ唄に迎えられたが、
芝居向きの吉治とは芸風がまったく違う。

それを「そのわざ吉治に及ばず」と評されてはたまらない。
1768年(明和5)8月の舞台を最後に引退。
剃髪して吉原に隠居、荻江風座敷長唄に新境地を求めた。

今後しばらくは、吉治の芸風を受け継ぐ、湖出市十郎がつなぐか。

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tea break・海中百景
photo by 和尚