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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

鏡獅子―70

2009-07-14 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―6


次は、獅子物お約束の”狂い”から”獅子トラ”へ。

不思議なことに、「鏡獅子」には”獅子トラ”がない。
”髪荒い”という、毛を振り回す所作のあと、
いきなり『獅子の座にこそ直りけれ』で終わる。
何故だろうか。
福地桜痴ほどの識者が”獅子トラ”を知らない訳はないし、
団十郎ほどの役者が”獅子トラ”なしの”獅子物”を容認する訳はないだろう。
当然、勝三郎も”獅子トラ”を入れて作曲したのだろうが、
仕上がりを通してみて”髪荒い”の後では、蛇足との印象があったのではなかろうか。
だから、最後の一行を残してカットした。
そう考えるのも面白い。


『獅子団乱旋の舞楽のみきん
 牡丹の花房匂い満ち満ち
 大巾裏巾の獅子頭
 打てや囃せや 牡丹芳 牡丹芳
 黄金の蕊顕われて
 花に戯れ 枝に臥し転び
 実にも上なき獅子王の勢い
 靡かぬ草木も なき時なれや
 万歳千秋と舞納め
 万歳千秋と舞納め
 獅子の座にこそ直りけれ』

(意訳)
「獅子団乱旋を舞う時は
 牡丹の花が咲き乱れ
 牡獅子、牝獅子の獅子頭
 さあ囃せ囃せ、舞えや舞え
 神の奇瑞が顕われる
 百獣の王、獅子の勢いの前に
 靡かぬものはない
 千秋万歳を舞い納め
 目出たく獅子の座に治まった」
 

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tea breaku ・海中百景
photo by 和尚

鏡獅子―69

2009-07-13 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―5


親獅子の愛の試練に耐え、無事駆け登った子獅子。
ほっと安堵の親獅子。
二頭の獅子は、しばし無心に蝶と戯れる。

牡丹に胡蝶は「相生獅子」からの定番セット。
従来は作り物で、添え物にしかすぎなかった胡蝶を、
胡蝶の精としてメインに登場させたのが、
「鏡獅子」下の巻き「胡蝶」だ。
歌詞こそ違えてはいるが、イメージは「連獅子」のこのくだりそっくりだ。
 
『猛き心の荒獅子も
 牡丹の花に舞い遊ぶ
 胡蝶に心和らぎて
 花に顕われ葉に隠れ
 追いつ追われつ余念なく
 風に散りゆく花びらの
 ひらりひらひら翼を慕い
 共に狂うぞ面白き

 折から笙笛琴箜篌の
 妙なる調べ舞いの袖』

前半は意訳の必要はないだろう。

「…ちょうどその時
 天空から、笙 笛 琴 箜篌の
 妙なる音楽が流れて来た
 さあ、菩薩がお出ましになる時だ、 舞おう」


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

鏡獅子―68

2009-07-12 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―4

次は題名ともなった、眼目の”獅子の子落し”。

『かかる嶮岨の山頭より
 強臆ためす親獅子の
 恵みも深き谷間へ
 蹴落とす子獅子は ころころころ
 落つるとみえしが 身を翻し 
 爪を蹴立てて掛け登るを
 又突き落とし 突き落とす』
 
  
(意訳)
「このような険しい山のてっぺんから
 度胸を試す、親の慈悲
 えい、と深い谷底へ
 蹴落とす子獅子はころころころ
 落ちたかと思いきや、爪を立て、身を翻して駆け上る
 そこをまた蹴落とす親獅子」


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

鏡獅子―67

2009-07-11 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―3

始まりもそうだが、次の清涼山の描写も、さすがに河竹新七(2世・後の黙阿弥)だ。
安易な書き直しはしていない。
本質をとらえた上で、自分なりにアレンジし、独自の世界を転回している。

『是ぞ文殊のおわします
 其の名も高き 清涼山
 
 峯を仰げば千丈の
 漲る滝は雲より落ち
 谷を臨めば 千尋の底   
 流れに響く 松の風
 見渡す橋は 夕陽の
 雨後に映ずる 虹ににて
 虚空を渡るがごとくなり』  

(意訳)
「ここは文殊菩薩のいらっしゃる清涼山
 峯を見上げれば、3000メートルもの高さから
 落ちる滝。
 まるで雲から落ちているようだ
 谷底を見れば、1500メートルもの深い底
 滝の音は松風に同化し、
 見渡す橋は、まるで夕日に映える雨のあとの
 虹のような形をし、空中に掛かっているように見える」


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tea breaku・海中百景
photo by  和尚

鏡獅子―66

2009-07-09 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―2

この曲は歌舞伎のために作られたものではなく、
花柳寿輔の長男の、2世芳次郎襲名の名披露目のために作られたものだ。

寿輔は西川扇蔵(4世)の弟子だったが、30才の時、
新流派、花柳流を樹立して独立。
歌舞伎の振付師として一家をなした。

「石橋」の獅子はもともとは一人で舞うものと相場が決まっているが、
今回は芳次郎の名披露目ということで、
芸の伝承の厳しさを、”獅子の子落とし”に重ねた演出となった。
ゆえに、親獅子、子獅子の二人舞いという、型となった。

従来と違って、立役の踊りなので、場面はいきなり清涼山だ。

『夫 牡丹は百花の王にして
 獅子は百獣の長とかや
 桃李に勝る牡丹花の
 今を盛りに咲き満ちて
 虎豹に劣らぬ連獅子の
 戯れ遊ぶ 石の橋』

ここは意訳の必要はないだろう。
石橋の番人、獅子に牡丹はつきもので
牡丹の咲き乱れる石橋のそばで、二匹の獅子が遊んでいるという状況。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚