明治新政府は種々の改革を行ったが、それは演劇界にも及んだ。
これにより、江戸時代から続いた「櫓御免」の特権は失効し、
芝居町猿若町の囲いが解放された(1872・明治5年)。
今後は、許可さえ取れば、誰がどこに劇場を作ってもよい。
守田座(森田座改め)の座元守田勘弥は、
早速築地の新富町に近代的な劇場を計画し、建築に取りかかった。
そして6年後の明治11年(1878)に新富座が完成。
ぴかぴかの西洋式舞台に、明かりは最先端のガス燈だ。
江戸歌舞伎の開祖、中村座は経営不振にあえぎ、村山座は経営難で廃座。
守田座はここ一番、株式組織にして盤石の再出発を図る。
その開場記念の大切りの余興に作られたのが「元禄風花見踊り」。
外交官や政府高官、などの招待客が見守る中、
守田勘弥(12代目)・市川団十郎(9代目)・尾上菊五郎(5代目)
中村仲蔵(3代目)など、当代の名優が踊るという、
実に晴れがましい曲なのだ。
全体にハイテンションで、終止あっけらかんと軽薄な印象を受けるのは
曲の役割上、仕方がない。
作曲の杵屋正治郎(3世・この時を機に正次郎を正治郎に)もこの時とばかり
目一杯洋楽のリズムを取り入れた、モダンな手付けをしている。
時は元禄、上野の山に集う丹前奴、湯女、町娘などの着飾った花見風俗を描く。
多くの役者を出さなければいけないので、
必然的に遊女歌舞伎時代のレビューのような演出となった。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚
これにより、江戸時代から続いた「櫓御免」の特権は失効し、
芝居町猿若町の囲いが解放された(1872・明治5年)。
今後は、許可さえ取れば、誰がどこに劇場を作ってもよい。
守田座(森田座改め)の座元守田勘弥は、
早速築地の新富町に近代的な劇場を計画し、建築に取りかかった。
そして6年後の明治11年(1878)に新富座が完成。
ぴかぴかの西洋式舞台に、明かりは最先端のガス燈だ。
江戸歌舞伎の開祖、中村座は経営不振にあえぎ、村山座は経営難で廃座。
守田座はここ一番、株式組織にして盤石の再出発を図る。
その開場記念の大切りの余興に作られたのが「元禄風花見踊り」。
外交官や政府高官、などの招待客が見守る中、
守田勘弥(12代目)・市川団十郎(9代目)・尾上菊五郎(5代目)
中村仲蔵(3代目)など、当代の名優が踊るという、
実に晴れがましい曲なのだ。
全体にハイテンションで、終止あっけらかんと軽薄な印象を受けるのは
曲の役割上、仕方がない。
作曲の杵屋正治郎(3世・この時を機に正次郎を正治郎に)もこの時とばかり
目一杯洋楽のリズムを取り入れた、モダンな手付けをしている。
時は元禄、上野の山に集う丹前奴、湯女、町娘などの着飾った花見風俗を描く。
多くの役者を出さなければいけないので、
必然的に遊女歌舞伎時代のレビューのような演出となった。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚
