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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

元禄風花見踊りーその1

2010-07-26 | 曲目 (c)yuri saionji
明治新政府は種々の改革を行ったが、それは演劇界にも及んだ。
これにより、江戸時代から続いた「櫓御免」の特権は失効し、
芝居町猿若町の囲いが解放された(1872・明治5年)。
今後は、許可さえ取れば、誰がどこに劇場を作ってもよい。

守田座(森田座改め)の座元守田勘弥は、
早速築地の新富町に近代的な劇場を計画し、建築に取りかかった。

そして6年後の明治11年(1878)に新富座が完成。
ぴかぴかの西洋式舞台に、明かりは最先端のガス燈だ。
江戸歌舞伎の開祖、中村座は経営不振にあえぎ、村山座は経営難で廃座。
守田座はここ一番、株式組織にして盤石の再出発を図る。

その開場記念の大切りの余興に作られたのが「元禄風花見踊り」。
外交官や政府高官、などの招待客が見守る中、
守田勘弥(12代目)・市川団十郎(9代目)・尾上菊五郎(5代目)
中村仲蔵(3代目)など、当代の名優が踊るという、
実に晴れがましい曲なのだ。

全体にハイテンションで、終止あっけらかんと軽薄な印象を受けるのは
曲の役割上、仕方がない。
作曲の杵屋正治郎(3世・この時を機に正次郎を正治郎に)もこの時とばかり
目一杯洋楽のリズムを取り入れた、モダンな手付けをしている。

時は元禄、上野の山に集う丹前奴、湯女、町娘などの着飾った花見風俗を描く。

多くの役者を出さなければいけないので、
必然的に遊女歌舞伎時代のレビューのような演出となった。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

割り込み「元禄風花見踊り」

2010-07-24 | 曲目 (c)yuri saionji

「長唄の歌詞を遊ぶ」シリーズの途中ではあるが、
ブログの読者から(といってもおそらくは今藤の縁者)、
「花見踊り」の解説依頼が多く来た。
何故かというと、この秋に3世長十郎師の追善興行が
国立大劇場で行われ、幕開きに名取りさん以外のお弟子さん達による
「花見踊り」の大合奏が予定されているからだ。

おそらくは、私のブログの読者で、出演予定の方々が、
せっかくなら、曲の内容を詳しく知ってから演奏したい、
と思って下さったのかもしれない。
何とも嬉しいことではありませんか。

そんなわけで、ちょっと「花見踊り」が割り込みます。

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tea breaku・海中百景
photo by  和尚

鏡獅子―73

2009-07-17 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―9


子獅子が駆け登って来た後は、お定まりの”狂い”→”獅子トラ”で”段切れ”となる。

それにしても、「勝三郎連獅子」と、「正次郎連獅子」は
歌詞も内容も、よくぞここまでというほど似ている。
二人が仲良しだった事と、著作権がなかった事とがそれを可能にしたのだろうが、
言い回し、曲の配置替え、差し込み、差し替えと、
そのリメイクの手腕は、さすがに見事だ。
当時の戯作者は伝統的に、そのようなDNAを受け継いでいたのだろう。

杵屋六左衛門(9代目)が、一日という時間制限の中で作った
「越後獅子」(1811年)は地歌の「越後獅子」のリメイクだが、
これも配置替え、差し込み、差し替えの突貫工事で作られた。

どうも瀬川菊之丞の「石橋」から始まって
「相生獅子」→「夫妻獅子」→「枕獅子」→中村富十郎の「英執着獅子」
→「勝三郎連獅子」→「正次郎連獅子」→市川団十郎(9代目)の「鏡獅子」
と、”獅子物(石橋物)”には特にその傾向が強いような気がする。
あるいは、菊之丞の3回にわたる焼き直しで、
”獅子物”に関しては酷似するのを許される慣習みたいなものが
できあがったのかもしれない。

「鏡獅子」以後はこれといった”獅子物”は作られていない。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

鏡獅子―72

2009-07-16 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―8


その部分はここだ。

『登り得ざるは臆せしか
 あら育てつるかいなやと
 望む谷間は雲霧に
 それとも分かぬ 八十瀬川
 水に映れる面影を
 見るより子獅子は勇み立ち
 翼なけれど飛び上がり
 数丈の岩を難なくも
 駆け上がりたる勢いは
 目ざましくも又 勇ましし』

(意訳)
「登って来れないのは、臆したか
 ああ、これまで育てたかいもない
 見下ろす谷間ははるか下
 雲、霧にかすみ、
 川とも霧とも区別がつかない
 
 見るやいなや、子獅子は勇み立ち
 翼はないが、まるで飛んでいるように見える
 数丈の巌を難なくも
 駆け上がりたる勢いは、
 目ざましくも又 勇ましし』


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tea breaku.海中百景
photo by 和尚

鏡獅子―71

2009-07-15 | 曲目 (c)yuri saionji
連獅子―7

「勝三郎連獅子」の11年後(1872年)に今度は、杵屋正次郎(3世)が、
まったく同じ歌詞の「連獅子」を出した。
こちらは「正次郎連獅子」という。

坂東彦三郎(5代目)と、沢村訥升(2代目)による、
市村座の所作のために作られた。
作詞は不祥だが、内容からみて河竹新七の
「連獅子」を下敷きにして、
恐らくは市村座の座付き作者がアレンジしたのだろう。

勝三郎の方は、花柳芳次郎の名披露目、
正次郎の方は芝居の所作。
目的の違いが、おのずと曲に反映される。

正次郎のは、子獅子を蹴落としたあと、
なかなか登ってこない子獅子に、「やはりこれまでか」
と、落胆し、しみじみと涙するうちに、
元気よく掛け登ってきた子獅子と、
喜びの舞を舞う、という芝居ならではのドラマティックな見せ場がある。


tea breaku・海中百景
photo by 和尚