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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

安宅の松

2010-08-05 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
123-「安宅の松」(1769・明和6年・市村座)


安宅とは、源義経の奥州落ちで登場する要の場所で、今の石川県小松市あたり。
ここに新しく設けられた関所が、安宅の関です。

都を密かに抜け出した義経一行は、琵琶湖を船で渡り、山道を日本海に北上、
安宅に着きます。
新関の様子を窺うために弁慶が、一行に先回りして関に近づくと、
松の木の下で遊ぶ子供たちに出会う。

『落ち葉掻くなる里の童の
 野辺の遊びも余念なく
 こりゃ誰がめづき
 ちっちや こもちや桂の葉
 ちんがちがちが ちんがらこ
 走り走り 走りついて
 先へ行くのは酒屋のおてこ
 後へ退るは おおかみきつね
 尼が紅つけて ととやかかに言おうよ
 言うたら大事か剃ってくりょ
 坊主 坊主大坊主』

●落ち葉掻きをしている、里の子供たち、夢中で遊んでいる。
 こりゃ誰が見つけたべえ、栴檀、こぶしや、桂の葉。
 わーい わーい、かけっこだ。先頭は酒屋のおてこ。
 後ろに逃げるのは狼、狐(おか・みき・つねという子供の名前も掛けている)。
 尼さんが紅なんかつけてる、ととやかかに言うてやろ、
 言ったらだめ、丸坊主にされてしまうから。
 坊主坊主、大坊主。

子供たちの他愛ない遊びだ。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

水仙丹前

2010-08-04 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
122ー「水仙丹前」※その2(1755・宝暦5年・市村座)

丹前といえば今では「どてら」をイメージしてしまうが、
そもそもは湯女として一世を風靡した、勝山が着ていた衣装が原点。

勝山の勤める湯女風呂は、神田雉子町の松平丹後守の屋敷前にあった。
ゆえにこの辺りの湯女風呂は、丹前風呂と呼ばれていた。

そこのスターが勝山だ。
顔もいいけど気風もいい。それに唄、三味線が巧いときている。
着物のセンスも独特で、外出時の出で立ちは、
袴に木刀の大小を差し、編み笠をきりりと被る。
まさに武家風の男装の麗人。
旗本奴、侠客がほっておくわけがない。

ちなみに今日京都で、祇園祭の時だけ舞妓が結う髪形は”勝山”といい、
彼女の創案によるもの。

勝山の元に通う彼らが、その衣装を真似て伊達を競うようになり、
いつしか「丹前奴」「丹前風」という称が生まれた。
奴といっても下僕の奴ではない。伊達男の意味だ。

つまるところ、丹前とは、
袖口の広い勝山好みの、おしゃれな綿入れ羽織といったところ。

『恋は様々あるが中にもさ
 分けて恋路は
 逢う恋 待つ恋 忍ぶ恋
 我が恋は必ず今宵は合点か
 合点合点 そなたも合点
 我等も合点
 合図の手管飲み込んだ
 えいえいえいえい
 やっと手を打ち
 勇み勇んで廓大寄せ』

これは若衆姿の中村粂三郎が、引き抜きで丹前奴になっての槍踊り。
リズミカルな恋づくしだ。
特に意訳の必要はないだろう。
勇み勇んで廓大寄せ、とは、大勢が勇んで廓に遊びに来るの意。

※その1は2010年6/9にあり。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

助六

2010-07-23 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
121ー「助六」(1839・天保10年・中村座)


助六のフルネームは、花川戸助六という。
浅草の花川戸に住む助六という意味だ
(助六は4/23の記事に詳しい)。

助六という江戸一番の伊達男を創り出したのが、
2代目市川団十郎とあって、江戸っ子は団十郎を祭り上げる。
何しろ、団十郎は9歳の時に成田不動尊役で初舞台を踏んで以来の
おいらがヒーローなのだから。
この時の大当たりで、親父の団十郎は屋号を”成田屋”にしたほど。

この「助六」は、2代目団十郎の”一世一代”の引退興行だ。


『咲き匂う
 桜と人に宵の口
 野暮は揉まれて粋となる
 ここを浮き世の仲の町
 恋にこがれて助六が
 傘さして
 濡れに廓の夜の雨 
 見世すががきに声そうる
 鐘は上野か浅草に
 その名も伊達な花川戸』
 
●仲の町に咲きほこる満開の桜、
 見物の人いきれと桜の色香に、思わず酔ってしまいそう。
 野暮な男は女に揉まれて、粋となるのさ。
 ここは色里仲の町、揚巻恋しと助六が、
 そぼ降る雨に傘さして、濡れに来ました夜の町。
 開店のすががきに交じって聞こえる鐘の音は、
 上野寛永寺か、はたまた浅草寺か、
 わっちもこの辺じゃちっとは知れ渡った、伊達男。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

蓬莱

2010-07-22 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
120-「蓬莱」(1836・天保7年)


中国に伝説の山、蓬莱山がある。
はるか東の海上にある霊山で、
そこには不老不死の仙人が住んでいるとか。

「新曲浦島」で、坪内逍遥が、
『それ、渤海の東 
 幾億万里に際涯(そこひ)も知らぬ
 壑(たに)在るを』
と詠んだのは海底にある、伝説の巨大な溝、”ききょ”だが、
そのあたりに蓬莱山はあるのだろう。

蓬莱山を縁起物の置物にしたのが、蓬莱の島台。
そこには、鶴亀・尉と姥などが住む。 

吉原好きの杵屋六三郎(4世)は、
蓬莱山の仙人を、遊女に見立ててこの曲を作った。

『萩の白露 
 起き伏しつらき
 色と香の
 繁りて深き床の内
 今朝の別れに
 袖濡らす
 しょんがえ』

●遊女というのは寝ても覚めてもつらいもの、
 客とどっぷり愛しあっても、
 朝が来れば涙の別れが待っているのだから。
 やれやれ…

これは深川の色町で流行っていた小歌。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

俄獅子

2010-07-21 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
119ー「俄獅子」(1834・天保5年)

これもやはり吉原好きの杵屋六三郎(4世)の作った曲。
吉原俄(6月29日の記事に詳しい)の獅子、という意味だ
(「俄獅子」については09年2月13、14日の記事に詳しい)。

この曲は「相生獅子」のパロディーなので、終盤の”シシトラ”の部分も、
かなりの悪のり。

『獅子団乱旋(ししとらでん)の舞楽もかくや
 勇む末社の 花に戯れ 酒に臥し
 大金散らす君達の
 打てや大門 全盛の
 高金の奇特顕われて
 靡かぬ草木もなき時なれや
 千秋万歳 万々歳と
 豊かに祝す獅子頭』 

●かの獅子団乱旋の舞楽もこうだろうか、
 はやり立つ取り巻きは、花魁と飲めや歌えの大騒ぎ。
 さあさあ、諸君、大金はぱーっと使って、豪勢にやろう。
 金の奇徳はたちまちに顕われ、誰もが君にひれ伏しますぞ。
 いやいや、目出たし、目出たし。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚