127-「供」(1828・文政11年・中村座)
江戸の男伊達はおしゃれが身上だ。
いかにダンディーな出で立ちで廓に通うか、に命を懸ける。
『己らが旦那はナ
廓一番隠れないない丹前好み
華奢に召したる腰巻き羽織
きりりとしゃんと
しゃんときりりと
高股立ちの袴付き
後に下郎がお草履取って
それさ これさ
小気味よいよい 六方振りが
浪花師匠のその風俗に
似たか
似たぞ似ましたり
さてさてな 寛濶華麗な 出立ち』
●おいらのご主人さまは、なにを隠そう、廓で一番の洒落男さ。
羽織の裾をきりりとはしょって、袴は両端をピンとつまみあげ、
草履取りの下男を連れ、それさ、これさ
小気味の好い歩き方は、浪花の師匠、中村歌右衛門にそっくり。
さてもさても派手で華麗なその出で立ち。
草履取りは主人の草履係り。外出時には替え草履を持ってお供した。
これを踊ったのは、中村芝カン(2代目)、後の歌右衛門(4代目)だ。
ゆえに「浪花師匠」となる。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚
江戸の男伊達はおしゃれが身上だ。
いかにダンディーな出で立ちで廓に通うか、に命を懸ける。
『己らが旦那はナ
廓一番隠れないない丹前好み
華奢に召したる腰巻き羽織
きりりとしゃんと
しゃんときりりと
高股立ちの袴付き
後に下郎がお草履取って
それさ これさ
小気味よいよい 六方振りが
浪花師匠のその風俗に
似たか
似たぞ似ましたり
さてさてな 寛濶華麗な 出立ち』
●おいらのご主人さまは、なにを隠そう、廓で一番の洒落男さ。
羽織の裾をきりりとはしょって、袴は両端をピンとつまみあげ、
草履取りの下男を連れ、それさ、これさ
小気味の好い歩き方は、浪花の師匠、中村歌右衛門にそっくり。
さてもさても派手で華麗なその出で立ち。
草履取りは主人の草履係り。外出時には替え草履を持ってお供した。
これを踊ったのは、中村芝カン(2代目)、後の歌右衛門(4代目)だ。
ゆえに「浪花師匠」となる。
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tea breaku・海中百景
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126ー「大原女」(1810・文化7年・中村座)
江戸に”奴言葉・六方言葉”というのがあった。
いわゆる侠客や、旗本奴、町奴などの男伊達・六方者が、
粋がって使うお仲間言葉のようなもの。
「かっちけねえ(かたじけない)・ふんばるべい(がんばるか)
してこいな(合点だ)」等の言葉を使う。
この曲は中村歌右衛門(3代目)による舞踊で、
八瀬大原の黒木売り(おかめの面を付けている)が、
後半引抜きで奴になり、毛槍を振っての槍踊りという趣向。
『だめな事ばし言わしゃるな
明日は関東さへ罷るべいちゃな
やれさてな
主さ別れちゃな 伊勢路へ
あんちゅうちくだ ぶん抜きゃるさア
池のどん亀なら むんぐるべいとは
やれさて 実だんべ 実だんべ』
●気休めなんか言わないで、明日はどうしても関東へ行くんでしょ、
そうなんだよ、
あんたは別れて伊勢路へ下るか…
闇に紛れて、逃げちまうか、
池の亀なら、潜れるのにな、
あーあ、そうだわさ、そうだわさ。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚
江戸に”奴言葉・六方言葉”というのがあった。
いわゆる侠客や、旗本奴、町奴などの男伊達・六方者が、
粋がって使うお仲間言葉のようなもの。
「かっちけねえ(かたじけない)・ふんばるべい(がんばるか)
してこいな(合点だ)」等の言葉を使う。
この曲は中村歌右衛門(3代目)による舞踊で、
八瀬大原の黒木売り(おかめの面を付けている)が、
後半引抜きで奴になり、毛槍を振っての槍踊りという趣向。
『だめな事ばし言わしゃるな
明日は関東さへ罷るべいちゃな
やれさてな
主さ別れちゃな 伊勢路へ
あんちゅうちくだ ぶん抜きゃるさア
池のどん亀なら むんぐるべいとは
やれさて 実だんべ 実だんべ』
●気休めなんか言わないで、明日はどうしても関東へ行くんでしょ、
そうなんだよ、
あんたは別れて伊勢路へ下るか…
闇に紛れて、逃げちまうか、
池の亀なら、潜れるのにな、
あーあ、そうだわさ、そうだわさ。
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125ー「田舎神子」(1806・文化3年・中村座)
神子とはもちろん巫女のこと。
その昔、邪馬台国の女王、卑弥呼が巫術・幻術・妖術を操り、
神懸かりによる託宣で倭国を治めたたように、
古来わが国では、神を祀り神に仕える者は女に限られていた。
ところが、神道が固定し、仏教が定着すると、男がその座を独占するようになった。
結果、呪術を行う巫女はお払い箱となり、放り出された。
彼女たちは村々を歩き、売色もします、占いもします、というかたちで
生活をするようになった。
これが、”歩き巫女”といわれるものだ。
始めは単独行動だった歩き巫女も、次第に土着して巫女村や、巫女町を形成し、
集団で生活をするようになった。
梓弓を鳴らしての卜占や、鈴を振っての神降ろし、亡者の口寄せなどが主な仕事。
『京で大原 下で大坂の綿屋町
江戸で亀井戸 梓神子
締めつゆるめつ鈴振る手の内
鳴るかならぬか
なりそな目許と三つ扇』
●京は大原、大坂は綿屋町、江戸は亀井戸が三都の巫女町。
梓弓を締めたりゆるめたり、鈴を振ったりのその技。
さあ鳴るか鳴らぬか、なんとか成りそうな、目許と見えたがいかに。
三つ扇とは、これを踊った、岩井半四郎(5代目)の紋所。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚
神子とはもちろん巫女のこと。
その昔、邪馬台国の女王、卑弥呼が巫術・幻術・妖術を操り、
神懸かりによる託宣で倭国を治めたたように、
古来わが国では、神を祀り神に仕える者は女に限られていた。
ところが、神道が固定し、仏教が定着すると、男がその座を独占するようになった。
結果、呪術を行う巫女はお払い箱となり、放り出された。
彼女たちは村々を歩き、売色もします、占いもします、というかたちで
生活をするようになった。
これが、”歩き巫女”といわれるものだ。
始めは単独行動だった歩き巫女も、次第に土着して巫女村や、巫女町を形成し、
集団で生活をするようになった。
梓弓を鳴らしての卜占や、鈴を振っての神降ろし、亡者の口寄せなどが主な仕事。
『京で大原 下で大坂の綿屋町
江戸で亀井戸 梓神子
締めつゆるめつ鈴振る手の内
鳴るかならぬか
なりそな目許と三つ扇』
●京は大原、大坂は綿屋町、江戸は亀井戸が三都の巫女町。
梓弓を締めたりゆるめたり、鈴を振ったりのその技。
さあ鳴るか鳴らぬか、なんとか成りそうな、目許と見えたがいかに。
三つ扇とは、これを踊った、岩井半四郎(5代目)の紋所。
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