薄まる文化-22
巡り巡ってもとの自分に還る。
「離」とは「客観性」ということなのかもしれない。
遠く離れて自分を客観的に見れるようになると、
自分の塊のようなものが見えてくる。
さんざん時分に翻弄されてきたあげくのものだから、
これはもうテコでも動かない。
極論をいえば前世から持たされた魂だ。
魂は物体を持たないので自らが動くことはできない。
だから肉体という入れ物を手段にして、物理的に動く。
そしてオギャーと娑婆に放り出された瞬間から、
その身体を通して「己」が表現できるのを忍耐強くひたすら待つのだ。
「離」とは己の魂が待ち望んでいた境地に違いない。
だから嬉しいし、楽しいし、居心地がいいのだ。
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tea break・海中百景
photo by 和尚
