goo blog サービス終了のお知らせ 

西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

女踊子

2015-02-05 | 三田村鳶魚を読む
(2月2日の続きです)

これにより若衆は一瞬形をひそめた。
ほくそ笑んだのは先に禁止になり、市中に潜伏していた女踊子だ。

彼女たちは踊子屋とでも称する所に抱えられ、
諸大名の屋敷に呼ばれて芸と色を売る。
これが結構な値段で売れるもので、江戸市中に踊子があふれたようだ。

もちろん、まだまだ派手な小袖の小姓姿が好まれた時代だ。
男装の麗人で売る。

公許の葦原とは別に、市中にはこういった非公認のかくれ売女や
色子も公然とはびこっていたのだ。

  〓 〓 〓

  
  photo by 和尚

若衆かぶき禁止

2015-02-02 | 三田村鳶魚を読む
家光のお墨付きもあってか、大名や武士の間で若衆狂いが流行だし、
風紀が乱れはじめた。
若衆かぶきといっても、とどのつまりは女かぶき同様売色だ。

女がだめで男ならいいという理屈は通らない。
それでも家光が健在の間は、将軍様のお好みならば、
とお目こぼしされていたのだろう。

家光が病死すると((慶安4・1651年)翌年の年明け早々に
若衆かぶきに営業停止命令が出された。
追って若衆の膨らませた前髪が禁止となり、
7月に入るとついに若衆かぶきそのものが全面禁止となった。


   〓 〓 〓

   
   photo by 和尚

安宅丸

2015-02-01 | 三田村鳶魚を読む
寛永12(1635)年には「安宅丸」(あたけまる)の入津の音頭取りに
猿若座の中村勘三郎が任命された。

「安宅丸」は伊豆で4年もかけて造られた全長47メートル、
幅16メートルもの豪華大型船だ。、
鉄砲や大砲を搭載し
巨大な竜頭、金の鯱鉾が輝く三層の天守を戴く。
櫓漕ぎの水夫はなんと400人というスケールだ。

船上では美形の小姓衆による能や幸若舞、猿若座の踊りなどが披露されたという。
勘三郎はこの時の褒美として、船に掛けていた大布を賜ったという。
それが後に猿若座の引き幕になったとか。

   〓 〓 〓

   
   photo by 和尚


徳川家光

2015-01-31 | 三田村鳶魚を読む
猿若座が大名や武士に絶大なる人気を得、のびのと営業することができたのは、
時の将軍家光が女嫌いで筋金入りの男色家だったことも影響しているだろう。

せっかく復活した女かぶきは
最終目的が売色なのだから、これでは葦原に遊女を囲い込んだ意味がないということで、
寛永6(1629)年に再び禁止された。
女浄瑠璃、女能、男女入りまじりのかぶきなどもとばっちりで一蓮托生だ。
結果江戸に一番乗りした猿若座が家光の心をつかみ、ほとんど営業を独占する。

 〓 〓 〓

 
 photo by 和尚


美少年

2015-01-30 | 三田村鳶魚を読む
(1月28日の続きです)

猿若座の若衆たちは、小姓姿で狂言小歌や小舞、幸若舞などをやり
最後には若衆総出演の総踊りを踊った。

天女のような声で歌うのも、菩薩のように舞うのも、
目にも綾なる小袖を着て、薄化粧をした美少年たちだ。

狭くて薄暗い場内は、客の熱気で息苦しいほど。
男たちはお目当ての美少年に黄色い声を張り上げて、半狂乱のありさまだ。

猿若座はたちまちにして江戸の男たちの心をつかんだ。

 〓 〓 〓

 
 photo by 和尚