goo blog サービス終了のお知らせ 

西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

踊子気質

2015-03-24 | 三田村鳶魚を読む
過渡期(辰巳芸者や江戸芸者の確立する前)の踊子気質を書いたものがある。

「今の踊子とよぶ者は、古への白拍子の風俗の損ねたるものなり、
 妾者に似て妾者にあらず、遊女の意気ありて遊女にあらず、
 其の業とする所は陰間に似たり、
 風俗を伊達に作り、多くの人にもまるゝゆえ、心砕けて人の挨拶よく、
 早く是に馴れ安し、まゝ遊女に超えたる者ありといえども、
 皆其心おそろしき事多きなり、
 己が色に泥(なずみ)たる客を誑(たら)して金銀を貰い、
 我が思い入れなる陰間(男娼)を買い、終にそれと転合(ころびあい)て
 小茶屋となるもあり…」 
 宝暦6(1756)『風俗七遊談』

これによれば、まだまだ野放しの個人営業という印象を受ける。
見かけに騙される男もあまたいたに違いない。

 〓 〓 〓

 
 photo by 和尚

振袖

2015-03-23 | 三田村鳶魚を読む
踊子が小姓の姿から娘姿になって以来、
彼らは殊更うぶな娘を全面に出すようになる。

当然とうの立ったやからもいるわけで、年のさばよみも当たり前にあったようだ。

安永(1772)頃の狂歌にこんなのがある。

「振袖を着ぬと三十女なり」
「化けの皮とは振袖の衣裳なり」
「まづいこと 路地から外は娘なり」

昨日、一昨日の春信の浮世絵の踊子(芸者)も振袖の娘姿だが、
この春信筆の踊子もなんとも可憐な娘だ。
    


船と芸者

2015-03-22 | 三田村鳶魚を読む
これも時間の経過を2枚の絵にした鈴木春信の遊び心。

船遊びに呼ばれた芸者が船に乗り込む図。
柳の芽吹く頃だから4月頃だろうか。
小雨が降っていたと見え、傘を閉じて急いで船に乗り込んでいる。
屋根船の中には妹分と見られる娘と男の左袖が見える。

  


こちらは遊興が終わり船を降りる芸者。雨は止んだらしく傘は閉じたままだ。
妹分も裾をはしょって帰り支度をしている。
先ほどの男はどうやら客じゃなかったようだ。
三味線の入った箱を抱えている所を見ると、箱屋か。
ならば春信の時代に岡場所に箱屋がいたことになる。

    

長箱の三味線

2015-03-21 | 三田村鳶魚を読む
鈴木春信という絵師は、同じアングルで時間の経過を描くという
面白いことが好きなようだ。

昨日の絵では、継ぎ棹の三味線を風呂敷に包んで持っていた「お母さん」が
この絵では長箱に入れた三味線を抱えている。

吉原に芸者なる商売が生まれるのは、
深川よりも半世紀ほど遅れた宝暦10(1760)年頃だ。

吉原芸者はこの絵のような、長箱に入れた三味線を箱屋という男衆に持たせた。
春信は吉原でこのような光景を目にして、
同じような構図で描いたのだろうか。
制作年代がはっきりしないので断言はできないが、
案外岡場所の親分的存在の深川辺りでは、長箱で堂々と持ち歩いたのかもしれない。
(三味線弾きの立場でいうと、行ってすぐ弾くには長箱に入れた三味線が便利なのだ)

深川(岡場所)の「踊子」はこの頃からいわゆる「芸者」になったのだろう。

  

この絵は2014年3月9日のブログにも載せていますが、
三味線を運んでいるのは茶屋の下女だろう、という見解は当然誤りです。

子供屋

2015-03-20 | 三田村鳶魚を読む

岡場所の芸者置屋を「子供屋」というのは、お上の目をごまかすためで、
抱え主を親、芸者を子供と見立てることによって、親のために働く子供は合法となる。
いまでも花柳界に残る「お母さん」「お姉さん」の称は、この時の名残りだ。

娘(芸者・踊子)がお屋敷方、お留守居寄り合茶屋などへ行く時は、
抱え主が母と称して付き添う。

鈴木春信(1725~70)の浮世絵にその様子が描かれている。
親が手にしている風呂敷は、継ぎ棹の三味線(幾つかに分解できる三味線)だろうか。

吉原の芸者は公認ゆえ、長箱に入れた三味線を堂々と持ち歩くが、
岡場所などの芸者は非公認ゆえ、三味線を細かく分解して持ち歩いたのだ。