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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

品川遊郭

2020-02-16 | 浮世絵で見る悪所の変遷
江戸には公認の吉原の他に、岡場所といわれた非公認の遊郭がありました。

非公認ですからもぐりなのですが、品川・新宿・板橋・千住は四宿といわれ、
江戸への交通の要として重要でしたので、飯盛女という隠れ売女を置くことが許されていました。

これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年)の浮世絵で品川の岡場所での遊興を描いたものです。
制作年は寛政2(1790)年。
これを見ると吉原遊郭と見まがうほどのありさまですね。
飯盛女がいつの間にか遊女に進化したのでしょう。

   

茶屋

2020-02-15 | 浮世絵で見る悪所の変遷
これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年)
の浮世絵です。
制作年は寛政6(1794)年。
タイトルは不詳ですが、茶屋の「かんかん楼」の庭での遊びを描いたものです。

この茶屋は仲之町の突き当たり、水道尻辺りにあるようです。
左端のずっと奥に大門が見えます。
もう揚屋は消滅して、茶屋全盛の時代ですからこんなに庭の広い大きな茶屋もあったのです。

茶屋の1階でも2階でも酒宴の最中で、いかに賑わっていたかが分かります。
江戸の人は本当に遊ぶのが好きだったようです。
     
  

芸者

2020-02-02 | 浮世絵で見る悪所の変遷
お馴染みの深川芸者出勤姿です。

絵師は鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年)、
制作年は安永7(1778)年とあります。

よくあるのは三味線箱か、お座敷着を抱えた女衆ですが、この絵の女衆は芸者の帯をなおしています。
基本的に縞の着物を着ている方が三味線で、
付け下げが踊りを受け持ちます。

   

新吉原・仲の町

2020-02-01 | 浮世絵で見る悪所の変遷
これは歌川豊春(1735~1814・享保20~文化11年)の浮世絵です。
制作年は安永4(1775)年とありますから、12/22日の絵と同じ頃になります。

こちらの絵は門の内側から外を眺めた構図になっていますので、
仲の町や、上の方に見える土手八丁の様子がよく分かります。
土手八丁にはまだよしず張りの茶屋も建っていませんが、後には両側に立ち並ぶのです。

仲の町の両側に見える簾のかかった見世は引き手茶屋で、その数じつに100軒以上もあったといいます。
この頃には高級で手間のかかる揚屋も太夫も消滅し、茶屋と花魁の時代に突入しています。
客が武士階級から町人層に変わったため、遊女遊びも客層に合わせて簡素化せざるをえなかったのです。
結果茶屋や遊女屋でも遊べるようになったため、お座敷の數が莫大に増え、必然的に芸者が登場するのです。

角町の遊廓の主人、大黒屋庄六が見番を開くのは、この絵から4年後のことです。

   




芸者

2020-01-31 | 浮世絵で見る悪所の変遷
これは喜多川歌麿(1753?~1806・宝暦3~文化3)の浮世絵だ。
制作年は不詳だが、芸者の格好からすると歌麿晩年の作と思われる。

29日の芸者と比べるとかなり進化したように見えるが、時代は同じ頃だ。