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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

いつ止めるか

2023-11-29 | よもやま話 (c)yuri saionji
きょうは東京で演る曲を練習していて思ったのですが、
どの程度で完成とするのか。
これは難しいところですよね。
時間があるからといって、ずっと浚えばいいものができるか、
といえばそうでもないし、
その時の自分自身の思考状態によっても違ってくるものだから、
これでいい!
というところで止めるというのはすごく悩ましい問題です。

画家の実際の絵を見ると筆のタッチで、
ある意味息遣いとか思考とかを感じ、なるほどと思うのですが、
三味線の演奏は唄という相手がいますので、
唯我独尊に決めてしまうことはできません。
しかしある程度は自分の芸を仕上げていなければ、対話もできない訳です。

この歳になってまだそんなことで悩んでいるのか、
はたまたこの歳だから悩むのか、
あちらの先達に聞いてみたいものです。


時代のテンポ・14

2021-09-10 | よもやま話 (c)yuri saionji
「傾城道成寺」の後、菊之丞は「二人椀久」(1734年・市村座)を出すが
この時の椀久は残されておらず、
伝存している椀久は「其面影二人椀久」(1774年・市村座)だ。

この曲の他に「京鹿子娘道成寺」(1753年・中村座)や「吉原雀」(1768年・市村座)
などにもタマや踊地といわれる、ウルトラCのテクニックを聴かせる入れ事の部分があるのだが、
それらは初演当時からあったわけではない。
江戸末期以降になって挿入されたものだ。

現在「二人椀久」と「吉原雀」は入れ事超絶技巧の2大巨頭となっているが、
時代が下り、三味線弾きがテクニックを競うようになると
必然的にこうなってくるのだろう。


     
     初演時の正本

時代のテンポ・13

2021-09-09 | よもやま話 (c)yuri saionji
長唄の曲調が賑やかで軽快なテンポになるのは
中村仲蔵が「雛鶴三番叟・ひなづるさんばそう」(1755年・中村座)を踊った頃からではないだろうか。

仲蔵は江戸一番の振付師、志賀山俊の養子で、
子供の時からスパルタ教育で仕込まれた踊りには定評があった。
しかしこの時の仲蔵はまだ駆け出しで、序開きにチャンスを得て躍ったのがこの曲なのだ。

全曲三下りで「翁」と「千歳」のところは地味な時代を引きずっているが、
仲蔵の「三番叟」の部分は軽快でリズミカルだ。

   
    

時代のテンポ・12

2021-09-08 | よもやま話 (c)yuri saionji
菊之丞の「無間の鐘」は連日大評判で公演を終え、
3月の弥生狂言は『傾城福引名古屋』の三番目となる「無間の鐘新道成寺」だ。

この狂言の所作が長歌「傾城道成寺」で、長唄の嚆矢とされている。
この曲から「長歌」は「江戸長唄」に進化していくのだ。

作曲は中村座の囃子頭、7代目杵屋喜三郎とされているが、
荒事芝居が中心の江戸は大薩摩ばかりで、
このような上方風のなよなよとした曲などなかったのだから
恐らくは菊之丞専属の歌うたいともいえる、坂田兵四郎が
自分の引き出しの中にあるいくつもの上方歌をアレンジして作ったものだろう。

全曲三下りでゆっくりとしたテンポの陰気な曲調だ。
しかしいぶし銀のような、えも言われぬ魅力があり、
長唄の嚆矢だというのにすでに完成されているのが驚きだ。

   



    





時代のテンポ・11

2021-09-07 | よもやま話 (c)yuri saionji
上方の長歌が江戸に逆輸入されたのは
1731年2月、中村座の「無間の鐘・むけんのかね」だ。

日本一の女形、瀬川菊之丞が京で大評判を取った『けいせい満藏鑑・まくらかがみ』
の所作「無限の鐘」をひっさげ江戸に初お目見えをした。
作曲は上村作十郎という上方の三味線弾き。
遊里にも菊之丞の所作を真似た、無間の鐘遊びが大流行したほど、この狂言は大当たりした。

これがメリヤス物の嚆矢となるのだが、
何しろ辛気臭くて、あくびが出るほどゆっくりで、暗い。
この時代は依然としておっとりした時代だったのだろう。

    
    瀬川菊之丞おおあたり、とある。
    夫のために金が必要となった傾城葛城が、手水鉢を無間山中山寺の鐘に見立てて一心不乱に打つと、
    天から小判が降ってくるというストーリー。