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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

「座頭」-4

2012-09-06 | 笑えます、長唄(c)y.saionji
金貸し業


自治組織として復活した当道の本拠地は京都の職屋敷とし、
諸国に仕置屋敷を配して全国の盲人を支配。

さらに従来の検校・勾当・座頭・衆分の四官を
16階級73刻(小刻みのランク)に組分けし、
いかなるレベルの者にも対応する。

また箏・三味線の演奏、作曲家のほかに、
鍼灸・按摩・金貸しなども新たに職として加わった。

なぜ幕府が高利の金貸し業を許したかというと
立て前上は、官位試験にかかる金を工面させるためだ。
最下位から検校にまで昇るには、最低でも700両以上の金がかかったらしい。

幕府のお墨付きを盾にあこぎな取り立てで、私腹を肥やす検校もいたらしい。

この時代が、いわゆる盲人の全盛時代だ。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

「座頭」-3

2012-09-05 | 笑えます、長唄(c)y.saionji

大阪夏の陣が終り、天下人となった徳川家康は、
綱紀粛正のため武家諸法度・禁中並公家諸法度を制定し、
今までゆるやかに見過ごされてきた
芸能にも統制を加えた。

能楽・幸若舞は幕府の式楽に、
放任されてきた女かぶきの小屋は
四条河原に七つの櫓のみ許された。

時代の変遷で宙ぶらりんだった当道は、
駿府通いの末幕府の保護をとりつけた。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

「座頭」-2

2012-09-04 | 笑えます、長唄(c)y.saionji
明石検校覚

当道には自治行政が許され、社寺と同じく治外法権を持つ。

覚一は検校・勾当・座頭・衆分の四官を設定し、
自らは初代大検校に就任。
明石を知行し、明石検校覚一と称した。

琵琶法師の入官に際しては官位試験を設けた。
受験に金はかかるが、
官位を取得すれば官位に応じて運上金が与えられる。

江戸時代には平曲自体がすたれ、
琵琶が新参の三味線に座をゆずることになる。
琵琶法師ならぬ、三味線法師が流行の浄瑠璃や軍記物を語るようになるのだ。

洛中洛外図などでは、三味線を背負った法師の姿をみることができる。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

「座頭」-1

2012-09-03 | 笑えます、長唄(c)y.saionji
当道

座頭とは、当道職屋敷が管理した盲人階級の一つ。

当道の始まりは室町時代にさかのぼる。

播磨書写山円教寺の僧覚一は、天下無双の琵琶の名手。
足利尊氏の従弟にあたる。

覚一は野方図に枝葉を広げた平曲(平家物語を語ること)を憂い、
師、如一とともに詞章・曲節を整理・改訂した『覚一本』を編纂。
尊氏の後ろ盾を得て、琵琶法師たちを守るための組織、「当道」を創設した。


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tea break・海中百景
photo by 和尚


「鬼次拍子舞」-2

2012-09-02 | 笑えます、長唄(c)y.saionji

芸能というものは今も昔も、旬の話題に敏感だ。
河原崎座も「鬼次拍子舞」に歌麿の大首絵で人気の女を取り上げた。

鬼次とは、この所作を踊った役者、大谷鬼次のこと。
願人坊主に扮する鬼次が、水茶屋の女をからかう、
という体のチョボクレにくだんの美女が登場した。

「さんげさんげ
 ぞっこん其様に 
 惚れて惚れて惚れぬいた

 それ 様の御器量を 
 今で例えて言おうなら
 浪華 高島 菊本も
 はだし詣りの代詣り
 弁財天と打ち込んだ

 君の色香の蘇民書札(そみかくだ)
 お茶の数さえ
 三千三百三十三杯
 うっかれ浮か浮か
 恋は曲者なびかんせ」 

●いやはや、お前にぞっこん惚れぬいた。
 お前の器量ときたら、おきた、おひさ、豊雛も足下にもおよばない。
 弁財天かと見紛うばかり。
 さすがの修験者も色香に迷う。
 通いに通い、飲みに飲んだお茶の数は、三千三百三十三杯!
 恋は曲者、いいかげんに靡いておくれ。

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tea break・海中百景
photo by 和尚