チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

本日 定年退職

2010年09月30日 21時51分30秒 | その他雑感
とうとう「その日」が来た

老人が大きな花束を抱えて、一人通勤電車に乗って自宅に向かう・・・
職場のメンバーから贈られた花束は、枯れた姿にはアンマッチで、寂しさが・・・

自分がそんな退職の日の姿を頭の中でシミュレーションしたことはあったけど
あっという間にその日がやってきたという感じだ。

さて、実際に起こったことは、今所属している会社の「定年退職第一号」ということで、
期末の打ち上げ会場の壇上で、新人の皆さんから花束を贈られ、
一言挨拶するというセレモニーになった。

静かに、寂しく去って行くはずが、そんな場面になるとは想定外。
しかも 時代は「定年65歳(以上)」へ雇用延長のトレンドにあり、
明日からも何年かは出勤することもあり、シミュレーションとは大分違ってきている。

個人的には60歳を超え、定年退職を迎えたということには、言葉にならない感慨もあり
多くの社員の前で区切りのセレモニーの場を設けて頂いたことに、素直に感謝したいと思っている。

ただ、人前に、特別な立場(定年退職者=若い社員の父親と同じ)で立つことで
ちょっと普段の冷静な自分ではなく、自らを客観的には見えなくなっていたのかもしれない
「この会社(途中退職することが勲章のような社風)で、定年まで勤めてもいいんですよ」などと口から出ていた。だから
「もう少し大人らしいことも言えばよかったかな~」
「息子、娘のような人に、もう少し気の利いた声を掛けすればよかった~」
など、わずかな時間ながら、ああもすればよかった、こうも言えばよかった・・・
とさまざまに反省したり、「明日からも出社だしこんなもんで良かった」とも思ったりもしている。

結局、定年退職の日の気分を総括してみれば
「60歳と言ってもまだまだ現役、本当の『定年退職』は仕事をリタイアするときだな」と思う。

帰宅すると家内は小さなグラスに注いだリキュールで「お疲れ様」とささやかな乾杯をしてくれた。
夫を支えて30年以上、「こちらこそお疲れ様でした」とは言わなかった!?! また反省!
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この上ない嬉しいサプライズの定年を祝う会だった

2010年09月29日 03時00分23秒 | その他雑感
「サプライズを用意してますので、この日絶対空けておいてください」と何週間か前に耳打ちだけはされていた。
定年を記念して職場の皆がパーティーを企画してくれていることに気づいてはいたが、
これが生涯の記憶に刻まれるような驚きが待ち受けていようとは予想もしていなかった。

銀座の とあるレストランを貸切にして、その催しは始まった。
型どおり 組織トップの乾杯挨拶のあとは 歓談の時間になった。
しばらくして
「前へ来てください」
「ちょとサプライズを用意しているので」といざなわれた。

「ん?!この会が開かれる以上のサプライズなんてあるのかな?」といぶかっていると、
 自分だけが 会場入り口に背を向けて立たされたのだった。
 自分とは逆方向の入り口に顔を向けている皆はざわめき、しだいに会場が盛り上がってきた。

 「まだまだ振り向いちゃだめですよ!」と背を向けさせたままで、皆は
 「○○さん今晩は!」(大先輩の名前)とか
 「△△さんいらっしゃい」(恩師の先生の名前)とか、半分ブラフと分かる掛け声をかけている
 ・・そうか誰か自分の思いがけない先輩が呼ばれているんだな・・・と思ってはみるが、
 どうも それも怪しい雰囲気なので、何が起こるかは全くわからなかった。

「さー振り向いていいですよ!」と言われて振り向くと・・・

「ぎょえー!!?!」と叫んでしまった。

なんと、そこには 私の家内が花束を抱えて笑顔で立っているではないか!

「ほ、本物なの!」と話しかけるほど、狼狽していた。

 妻から渡された花束

家庭と会社、家内と仕事仲間、家庭生活と会社生活、田舎と都会、リビングとオフィス・・・
あらゆるコントラスの中で、これ以上のコントラストは無いほどに、かけ離れた世界が、今目の前で接続している。
このことが信じられなかったのだ。
同時に、定年退職というタイミングで、一時的にでも、相容れない世界が融和する姿が、目の前に出現したことが嬉しかった。

 「そうか、こんな大事な記念の行事に、妻が呼ばれるなんて素敵なことなんだ!」
 「でも 一体いつの間に、こんな相談をしてたんだ・・?」
 「そういえば、今朝は『今日はお祝い会があるから夕食はいらないからね』などと会話していた・・
  くっくっ、妻はすでに知っていたことになるのか、ぬ~・・」
などの思いもきざしてきた。

さてそれからの時間は、全員から 我が至らなさの暴露話がどんどん飛び出していった。
そんな中で一番興味関心をもったのは、本日のサプライズそのものが どうやって仕立てられたかの裏話だった。

 実は自分が「完全・勝手・気ままフレックスタイム制」を続けてきたことが、職場の皆の頭を一番悩ませていたらしい。
何しろ我が行動パターンは 思いもよらない時間に現れたり、突然休暇を取ったり、気ままに早退、直帰したりするというものだから。
だから、どうやって日程を確定し、どうやって家内に連絡を取り、どうやったら本人に気づかせず演出できるかが大問題だったらしい。

職場のみんなが「にわか諜報員」的に「会社内のどこそこにいることを確認」「今は自宅には絶対いない」などと連絡を取り合ったうえで、
自宅の家内に連絡したり、電報を打ったり、あるいは喫茶店で待ち合わせしたらしいのだ。
確かに、そこまでしなければ、夫婦の間で気づかないわけ無いものな~と思った。

ところが、今回のサプライズは これで終わりではなかったのだった!!
会の終盤、大きな「のし袋」をプレゼントされた。
「一体何だろう?まさかお金や商品券じゃないよな~」と開けてみて、またびっくりした!

ニコラウス・アーノンクール指揮「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」の
サントリーホール特別席チケットが二枚入れられていたのだ!


 サントリーホール特別席のチケット

「え!こんな高価な、めったに手に入らない演奏会、一体誰が、どうして!?」と本当に驚き、頭が下がった。
バッハや古楽器の世界は、癒し系の音楽として会社の行きかえりで毎日のように聞いているし、アンサンブルでも練習している。
そんなことは会社のみんなは知らないはずなのに、そのバッハのミサ曲の最高の演奏会が贈られたのだった。
僕の趣味の世界を慮り、こんなに素晴らしいコンサートに招待してくれた皆の心使いに本当に驚き、すっごく嬉しかった。

一日に二度も、これ以上ないサプライズを 味あわせてくれた職場のみんなに感謝しながら、
楽しかった集まりで出会った一人ひとりのことを 何度も何度も家内と反芻しながら 千葉の田舎まで帰ったのだった。
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気の置けないアンサンブルで感じたこと

2010年09月27日 00時29分12秒 | アンサンブル
午前中は所属するオケのコンサートへの追い込み練習に参加。
その足で昼飯もそこそこに東京まで車を飛ばした。
合奏を楽しむことそのものが目的の、旧友との久しぶりのアンサンブルがあったからだ。


アンサンブルといってもオーボエ、フルート、ホルン、バイオリンにチェロという変則的組み合わせ。
まあ仕事現役組のみんなが 時間を調整しながらなんとか2ヶ月に一回集まっている。
楽器はさまざまだけど一緒に合奏するたのしさはいっぱいだ。

今日取り上げた曲目は

バッハ「音楽の捧げもの」
同じくドッペルこと「バイオリンとオーボエのための協奏曲」
モーツアルト「アイネクライネ・・」
パッヘルベル「カノン」というところ。

足掛け3年近く練習しているが、「ドッペル」にも「音楽の捧げもの」にも
なかなか乗り越えられない部分がある。アンサンブルがばらばらになってしまうのだ。
というかいつの間にか小節を飛ばして演奏してたりする。

速いパッセージ等で弾けないとことがあるのは練習しかないのだけど、
合奏がばらばらになるのは避けたいところだ。
特に収拾がつかなくなってギブアップし再度演奏し直しというのは避けたいところ。

そのズレの最大要因が、通奏低音としてのチェロの問題だから誠に情けない。
アイネクライネ・・とかパッヘルベルなどでは止まることはないのだけど、
ドッペルの3楽章など、相互の絡み方が難しくていつの間にか引っ張られてズレてしまうのだ。

逆に低弦として「刻み」をしっかり意識して演奏できていると、他のメンバーは安心して演奏できるという。
自分としても 各楽器の演奏を十分聴きながら、その演奏に(音程も、速度も、強弱も)合わせてゆくことができると、
驚くほどきれいなハーモニーが出現してくれ、ちょっとだけ作曲者の意図した和声が出現してくれる感じが嬉しい。
それに自分が作り出すテンポが全体をコントロールしている感覚も密かな喜びだ。

この3ヶ月 オーケストラでの難しい曲目を ただ弾きこなすことにチャレンジしてきたけど、
アンサンブルで自分の全てが露(あらわ)になる状態に置かれたことで、
自分の音程のあやふやさがはっきり感じられ、基本の大切さを感じた午後だった。
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特急の網棚にジャケットを忘れた!

2010年09月23日 22時54分43秒 | その他雑感
おとといのことだった。
いつものように特急列車を降りてMY駅に到着。でもなんか変。

「ん!」と思ったらジャケットを網棚に置いたまま列車は走り去って行った。
これじゃ改札を出られないどころか、全財産が!!

思いっきり急いで階段を駆け上がり、改札窓口の出口の駅員さんに突進。
「今出た特急に上着を忘れました!」と事情を説明。
ところがこの駅員さん要領を得ない

「というと、どこ行きだったかな~・・」
 「今出て行った上総一ノ宮行きの特急です!5両目の網棚!」
「確か先のほうは一ノ宮どまりだったか・・」
 「そうではなくて、後ろのほうが一ノ宮止まりだと思いますよ」
「えーっと、何両目でしたっけ?」
 「だから、5両目」
「たしか先頭から1,2だった・・」
 「でなくて先頭が10両で、前から5両目!」
「あ~、それで網棚はどっち側の・・・・・・

こんなことしてる間に、オイラの現金も、銀行カードもクレジットカードも
更新したばかりの定期も・・・今頃はもう大網も通過して、房総半島の先端に向かって爆走してる。
カードもさることながら、家内に事情を説明して「身柄を引き取りに」きてもらうのがなんとも気が重い。
「現金もって、車出して、駅まで頼む」
「何~に やってるの!だからいつも言ってるでしょ!(プンプン)」となること必定なり、なのだ。

ところが・・・

「ん?・・・」 
「待てよ・・」
「あったー!」

なんと財布も、定期入れも、ライターも、ガムも、ぜーんぶバッグの中に入っているではないか!
蒸し暑かった東京駅でジャケットを脱ぎ、一度はフックに掛けたものの邪魔になり網棚に放り上げた時のこと。

「網棚=危険」「網棚=忘れ物」「網棚=使用禁止」とアラームが鳴り、バッグに貴重品を格納していたのだった。

数限りない置き去り事件を起こしてきた我が人生が無意識のうちに成し遂げた、ヒットだった!

ここからは、オウヨウな乗客に変身。
「駅員さんありました!お騒がせしました」
「空のジャケットだけですから、ゆっくり探してもらっていいですよ」
駅員さんが言うには、外房特急で一ノ宮までの拾得物は、茂原駅に一時回送され
2~3日のうちに警察に引き渡されるとのこと。

かくして、チェロ練習の合間にジャケットを茂原駅まで取りに行き、ついでに外房一のそば屋で夕食をとった。



「蕎麦奉行」 自分と同い年のオーナーが、人生掛けて作り上げた蕎麦料理の殿堂。
残念ながら交通事故で亡くなってしばらく経つけど、息子さんがしっかり味を受け継いでいる。
肌寒い一日だったが、ジャケットと最高の蕎麦とてんぷらでハッピーエンドとなった。
蕎麦奉行を出ると、一日中雨模様の日は暮れていた
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一眼レフデジカメ購入!

2010年09月22日 22時47分16秒 | その他雑感
何を思ったか、一眼レフが欲しくなった。
そう思ったら止まらない。
即車に飛び乗り近くのYAMADAに走り出していた。

頭にはっきりしたイメージがある。それはSONYのαなんちゃらの、最新機種。
一眼レフなのに小型軽量、ハイビジョン映像もお手の物だ。(一眼レフ触ったこと無いけど)

さて小一時間ほど店にいて、我が手にあったのはCanonのX4という最新機種だった!

うーんこの間何があったのか・・・
店員がキャノンの関係会社の社員だったからとしか言えない。
最初は冷やかし半分で、もっぱらSONYの製品の良さ、自分がどこにほれ込んでいるか
などさまざまに確認していたが

「ところでCanonのお勧めはどれ?」
「どこが特徴なの?」などと聞き始めたら
「やっぱこの人から買ってあげないとな~」
「でも本当はSONYのほうが設計思想的にはすぐれているんだけどな~」と思いながらも
「じゃそれにして」と口がしゃべっていた。

ま~目の前、目先にいる人が喜ぶならそれもいいかと自分を納得させて、
後はひたすら触ったことがない一眼レフに親しむことにした。

購入して驚いたのは、入門機種とはいえ、性能は完全な一眼レフ。
それなのに、全てのことをカメラ自身がやってくれてほとんど失敗ということはないようだ。
となると全てが被写体なのだ。
手当たりしだいに取り巻くっても、所詮デジタル情報のこと、消去すれば何の損害も無い。

記念すべき第一号の画像がこれ。

サラダの横顔
普通のデジカメではできない、一眼レフカメラ特有の芸当は、なんといっても「ぼかし」だろう。
そんなぼかしが出るように、初シャッターだ。


スパゲッティーとピザのあと、しばらくして出来上がったデザートの画像がこれ
 熱々ワッフル

チェロもいいけど、たまにはカメラも面白そう。
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こんな笑顔で可愛い演奏できたら幸せだよな~

2010年09月20日 02時59分07秒 | チェロ

友人が紹介してくれたライブ映像をネットで鑑賞して、思わずその素晴らしさに引き込まれた。 スイスのルツェルンフェスティバルで、デュダメルがウィーンフィルを振っている実況中継だ。

この映像、人によって色々鑑賞の仕方はあると思うけど、その素晴らしさは変らないと思う。

たとえば「天才デュダメルは、あれだけのコンサートをやっても汗をかかないんだ!」なんて思ったりもする。(実況のカメラは、一瞬の休みも無く、デュダメルを映し続けるが、彼は水を飲むだけで、 ハンカチ一つ取り出さない。何という落ち着き。彼は音楽そのものを生きているのだろうか)

僕が感動したのは、ラベルのパバーヌのあとに演奏された「ボレロ」だった。スネアの限りなく抑制されたリズムに、フルートが乗り、クラリネット、ファゴット~ソプラノサックス~トロンボーンと次々に受け渡されてゆく逐一が映し出されて行く。
 カメラアングルも素晴らしいのかもしれないが、こんなにボレロがリアルに映し出されるのを見るのも初めてだった。高まる演奏にこちらもどんどん惹きこまれていった。

 このコンサート実況の中で「これは素敵だ!」と何度も再生して鑑賞したのは
「Bernstein's Divertimento for Symphonic Band」の中の弦楽アンサンブルだ。
 ボレロのあと鳴り止まぬ拍手に応えて、アンコールとして再度演奏された。
このアンサンブルの軽やかさ、可愛らしさから、始めは「ワルツかな?」と思ったけど、拍子を数えると、リズムは3+4拍子になっているようだ。4分の7拍子風というのが、なんとも切ないくらい可愛らしさを演出してしまうのだろうか。

 弦楽器ソロが次々と受け渡されて行くのだけど、何といってもチェロから始まるソロを弾くおじさん(ごめんなさい!有名に違いないんだけど知らないんで・・)の嬉しそうな笑顔が本当に輝いている。
ウィーンフィルをバックに”チェロおじさん”は、この曲を弾くのが楽しくてならないと全身で表している。

 「こんな演奏会ができたらいいな~」と思わずため息が出てしまうくらい音楽する喜びに満ちた演奏だった。
若き天才・デュダメルのマジックが、ウィーンフィルの皆さんをこんな幸せそうな笑顔に変えたのかもしれない。

この映像はこちらのURLから見られるけど、何日間見られるかは不明。

http://<WBR>www.med<WBR>ici.tv/

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指揮者の「エクリチュール」の違い

2010年09月13日 00時24分53秒 | オケの練習
第九演奏会の正指揮者による初めての合同練習が行われた。

演奏者同士は一度練習したもののまだ硬い雰囲気でチューニング終了。
現れた指揮者の姿に、心の中で「えっ!」と叫んでいた。

赤いバンダナで頭を覆ったスタイルに「流行りのラーメン店の店主?(失礼)」と思った。
少なくとも、年齢的には所属楽団のマエストロとは二周り以上の若く見える。

よく見てみると、愛嬌のある顔立ちで、ちょっと親近感が沸く。
幼友達でデザイナーのM君にも、優秀なマーケッターだった同僚F君にも似ているのだ。 
「才能のある人はみなこんな顔立ちなのか」なんて思った。

さてほとんど挨拶らしい挨拶もなく第1楽章が始まった。
途中一度もストップさせることなく第1楽章終了。

ここから、さまざまなアドバスが展開されていった。
第1楽章のフィードバックは4点ほどあったと思うが、覚えているのは
「相手の話が終わってないのに、話し始めないで」と会話のコントを交えての説明があったことと、
「細かい刻みの粒が分からないようにという人もいるけどもっと神経使って、正確に」という話。

これまで接してきた指揮者とは全然違って、言葉でどう演奏して欲しいかを伝えてくれる。
強弱の取り方、ベートーベンの書き入れたフォルテfの意味、武満徹の「無音に勝る音」・・
さまざまなエピソードを交えて、曲の解釈を述べ、指導してくれた。

特に弦楽器に対しては「もっと弓全体を使って!」「楽器全体を響かせて」と、
時にはコントラバスを使ってボーイングを実演して示してくれたり、
弦楽器全員で深呼吸とリラックスの時間を数分間行なって、響きを取り戻させたりした。

管楽器出身の指揮者とずいぶん違うものだと、とても新鮮な練習になっていった。
音楽に対する深い理解、知識技術の確かさを感じ、大変素晴らしい先生だと信頼感を増していった。

しかし、残念ながら、せっかくの指示・指導のうち
半分くらいしか吸収することができない(聞き取れない)歯がゆさを同時に感じていた。
最初は「歳のせいかな~」「耳が悪くなったな~」と感じていたが、
慣れ親しんだ指揮者の言葉は耳にストレートに入ってくることを考えると、
初めて接する先生の、語り口、レトリックに慣れていないから、何かが抵抗しているのだと気づいた。

エクリチュールという言葉が浮かんだ。

正確な意味は知らないが、その人の持っている「文体」みたいなもので、
生育の過程でその人なりの体験を重ねた結果生まれてくるスタイルみたいんものだ。

人は誰もが、その人独自の語り口、固有の表現方法があり、言葉の背景を支えている。
きっと彼の「文体」が皮膚感覚ではまだ馴染んでこず、必死で「言語」を「意味」に転換しているはずなのに
なかなかその真意が伝わってこず、自分では捉えられないのだ。

恐らく協働演奏する団員とは、何回か練習をしてきたのだと思うが、彼らの反応のほうがクイックだし
鉛筆なども良く動いている。
一方初めて接する団員にとっては、指揮者との阿吽の呼吸に至るには、時間が必要な気がする。

これが、演奏技術があるプロの演奏家や、アマでもさまざまな経験を経てきたベテラン演奏者にとっては、
初めて接する指揮者とも、瞬時に何らかのコミュニケーションが成立し、
刺激的なコラボレーションができてしまうのだろう。

そう思うと、自分の技術の至らなさ、音楽理解の浅さの上に、新しい「表現者」である指揮者に接しても、
その人が持っている癖というか、色というか、「表現の綾」見たいなものとの心理的な距離感をなかなか縮められず、
自分の馴染んでゆくスピードの遅さに、落ち込んだ。
今日は大変心身ともに疲れる一日となったのだ。

いい指揮者のもとで演奏できることは幸福だけど、年末までの限りある練習で
どこまで体が馴染むのかちょっと気が重くなってしまった。

自分にできることは、第九という音楽に慣れ、演奏能力を少しでも高めて行くしかなさそうだ。
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なぜか楽しかった「第九」合同練習会

2010年09月07日 01時04分31秒 | オケの練習
炎熱の日が続いているものの、夕方になると動き始めた風の中に涼しさのかけらが感じられる。
そんななかで、二つのオーケストラの初めての「第九合同練習」が行われた。
はじめは緊張して参加したけど、終わってみると涼しい風に吹かれたように、楽しい経験になった。

その気分はちょうど文化祭でクラスの誰かが言いだしっぺに、不承不承参加したイベントが、
終わってみると成し遂げた清々しさを感じるような、久しぶりの感覚だった。

「たかが合同練習程度でそんな気分になれるなんて」と思ったらちょと違うんだな~
二つのオケが合同練習するというのは、それ自体が開催するだけでも大変なイベントだったのだ。


合同練習の大変さとは・・・


まず、何十キロも地域が離れた二つのオケが、どちらかの場所で一緒に練習すること自体大変だ。
日常でも1時間もそれ以上の時間を掛けて集まっている場所とは全然違う会場に向かわなければならない。
中には2時間半車を飛ばして駆けつけた人もいた。一日練習しての帰りが大変だ。

到着した土地は不案内。駅に降りてからの交通手段も簡単ではない(千葉の地方都市のこと結構離れている)。
迎える側では、遠方から参加してくれる団員たちの送り迎えはどうするの?昼食は?と心配は尽きない。

無論、練習会場はいつもの場所には入り切れない。猛暑の中、クーラー無しとは行かないから
それなりの施設を確保しなければならない。

楽器についても通常使っている「重楽器」はどうするのか。
ティンパニーは、コントラバスや大太鼓は?
それから何十人にもなると譜面台だけでも何十キロの重さになる。
(僕は譜面台係だったけど、譜面台が何十本も入ったケース持ち上げ損なってちょっと怪我しちゃった)


演奏についても、合わせて行くのは大変だ。
練習時の指揮者と本番では指揮者が代わるから、表現はきっと違う。
(自分のオケの指揮者の指導と全然違う指摘がされるかも知れないのだ)

指揮者の立場に立ってみても、新しい組み合わせの演奏者には、
これまで積み重ねてきたことを、再度示さなければならないから厄介だと思う。

弦楽器の場合、オケごとにボーイングは明らかに異なるから、途中での調整が頻繁に入る
(N響のと読響の第九と見比べてみるとはっきり違いがあるようにアマオケでも)

管楽器だと、パートのダブリをどう解消するか。どちらがトップを取るのか。
(遠目で見ていると、プライドの高いソロ楽器の皆さん、心のなかで色々思っているのでは・・
 ・・この人結構やるじゃんとか、俺に任せろ、私のほうが上よ・・とかね)

心理的にも、隣に座る人は「始めまして」からなので、気を使うことになる。
弾き方の癖やボーイングの違いで、弓と弓がチャンバラになっても、文句は言えない。
なんだかいつもと勝手がちがうのだ。人によって「間合い」の感じ方は違うのだろうから・・と自分に言い聞かせる。


そして、楽器の搬出と、片付けたあとの再搬入(我がオケの練習場は、体育館の二階でエレベーターが無いから、
みんな老骨に鞭打って、ティンパニーのお釜やら、指揮台やら、大太鼓、コンバス用の椅子
・・・等々を汗だくで上げ下げしなければならない。


新しい経験ずくめの大変な「合同練習」だったけど、
でもなぜか楽しい、うきうきした気持ちが残った。


なぜだろう?と考えてみた。


どうやら、秘密は単純で「みんな心を一つにして汗をかいた」ということに尽きそうだ。
高校でも、大学でも、会社に入ってからも、特に意味は無いんだけど、汗かいて、一生懸命やったことは
それ自体大した意味があるものでなくても、参画した本人にとっては、強い印象、愛着を残す。

「思いをこめた」とか「必死だった」とか「一緒になった」ということが、
後から振り返ると、楽しさ、さわやかさを感じさせることなのだと思う。

あと一つは、目先が変ることはそれ自体が楽しいものだ。
見た目の変化 ~ 知らない人が半分。黄色やら白やら、青のチェロケースが並ぶ。
聞こえる音の変化 ~ いつもと違う管楽器の音色(たとえばオーボエの泣き方とか)、
同じティンパニーでも叩く人で全然違うものだ・・みたいな。

いやいや、本当は自分の息子より若い、新人君がチェロに加わったことが励みになっているのかも。
キャリアは僕なんかよりずーっと長いし、上手そうだけど、なんせ3年目にして初めて迎える「後輩部員」なんだから。


これから秋が深まり、夕闇が早まり、木枯らしに切り替わるころに第九の演奏会がある。
この暑さでも、こんな楽しい気持ちだったのだから、きっと心に残る演奏会になるはずだ。
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