チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

行く人、来る人、市民オケは開かれている

2007年07月23日 00時50分00秒 | オケの練習
プロのチェリストの先生は「しばらくオケに入らない方がいいよ」と言った。つまり無理やり弾こうとするから、ボウイングが自己流になり、美しい豊かな音色が出せなくなるよ、とおっしゃっているのだと思う。すこし迷ったが、やはりオーケストラの響きの中にいたい気持ちが勝って、自分で決めて参加することにした。

 雨の日曜日、チェロを抱えて会場となっている体育館に向かう。まだ二回目だけど、練習会場の事前セッティングから参加でき、少し団員気分に。オーケストラには準備するものが多い。通常のテーブルや椅子の片付けから始まって、大物楽器のセッティングは全員で協力しないと始まらない。ティンパニー、大太鼓、ベースや指揮者の背の高い椅子、式台、全員の譜面台・・・なんやかやで30分近くかかって会場が整い、ようやく思い思いの音出しが始まる。

 チェロの先輩に「まだ当分参加しないほうがいいでしょうか」と訊くと「いや、やりながらじゃないと上達しないでしょう。譜面を完璧に弾ける人はほとんどいないんですから、弾けるところから参加したらいいですよ」と、腰が引けた自分を励ましてくれた。

 練習開始前から、赤ちゃんを抱いた若い母親が、会場を見守っていた。実はその人が完璧にチェロを弾ける人の一人だった。出産と、夫の転勤が重なり、オケを退団するための挨拶にこられていた。ご主人も管楽器奏者で、同時に二人抜けるのはオケにとっては痛いことだけど、それ以上にお二人の挨拶から市民オケの素晴らしさに気づかされることがあった。

 お二人はそれぞれに、参加した2年間のオーケストラ活動の素晴らしさ、慣れない千葉県で暖かい交流が出来たことの幸せ、秋のコンサートには遠く離れてしまうために参加できないことの残念さを語っていた。
 サラリーマンに転勤はつきもの。その転勤先で夫婦がともに地域に溶け込み、楽しい時間を過ごせる場として市民オケは最高だと思う。サンデードライブや、食べ歩きも楽しいが、ともすると夫だけが夜の付き合いや、ゴルフにでかけてしまい妻にとっては寂しい場合が多い。

 転勤されるお二人は、きっと新しい任地で再び地域のオーケストラに参加することだろうと思う。「あー、僕ももっと早くに楽器を復活させておけばよかったなー」と少し後悔も混じった気分。

 さて、練習が始まると、指揮者から当然ながら頻繁にストップがかかる。演奏会が視野に入ってきているからというより、やはり練習不足で、前回と同じミスが続くとさすがに先生もイライラが出てくるのだと思う。「だめだよ、こんなところ練習しておかないと」「その音半音違うよ」「ただ弾いてたってお客さん喜ばないよ」・・・今日はなんだか厳しい叱咤激励が続く。

 その矛先は当然チェロにも向けられる。「チェロ、○○小節から、さん、ハイ!」とチェロだけで弾くことも多くなる。残念ながら、そういう場所に限って速い指使い、難しい展開に決まっている。僕は全く歯が立たない。ただひたすら、皆が弾くのを見て、聴いて「次こそやってやる」と控えているだけ。全員の視線が集まるようで、かなり恥ずかしく緊張もする。

 ともあれ、3時間の練習はあっという間に終わった。中には初心者の自分でも初見で6割方追随できる曲もあり、楽しい時間を過ごすことができた。
 先生に叱られる、指摘され直されるのは、なんだかとても、懐かしく、嬉しい体験だった。今度こそ、チェロだけで弾く時には少しは参加できるようにしたいと思う。

 
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のだめ大好き!早く一員になりたい

2007年07月19日 00時49分52秒 | チェロ
 せっかくオケの端くれに加わったのに、練習に参加できない日が続いている。
第二回目は、朝8時半から練習会場に到着、虎視眈々と仲間の到着を待っていたのだけど、待てど暮らせど、集まる様子もない。体育館の敷地に繋がる鉄製の扉も施錠されたまま。「こりゃ、会場を間違えたかな・・」「日にちが違うのかな・・」

 結局自宅に連絡してHPから「練習だより」を見てもらうと「今日はお休みって書いてあるわよ」だって。あーあ、勢いあまって練習が休みの日に飛び出してきちゃったんだ。来週は仕事でまた参加できないのに。でもこんなに朝早くから、張り込みするなんて、無駄とはぜんぜん感じない。なんだかとても痛快な経験をしているみたい。近くのファミレスでモーニングコーヒーなど飲みながら、空き時間を過ごせたのもなんで愉快なのだろう。不思議だ

 秋に予定されている演奏会の曲目は様々だ。その中で、一目で古典的な感じのする楽譜があって、なんだか初心者にもアクセスできそうな感じ。作曲家はL.van Beethovenとある。Siebente Symphonieって曲名なんだけど、低弦譜面だけでは何の曲かすぐにはわからなかった。出来ないなりに少し弾いてみると、なんだかとても懐かしい響き。ひょっとして・・そうだあの「のだめカンタービレ」のテーマソング、ベートーベンの第7交響曲だった!

 早速僕のCDラックから、Sir Neville Marriner の7番を引っ張り出して聞いてみる。弾けないから、まずCDを聞きながら楽譜を目で追ってゆく。学生時代にHrで参加した第5にも、第9にも通じるあの感覚がよみがえる。身体全体、魂全部を鷲づかみにして、揺さぶり、振りまわされるようだ。本当に天才なんだ。

 調弦して、CDに合わせて、弾いてみる。導入からしばらくすると、連続して上昇を繰り返すスケールに出くわす。習ったこともない9ポジション以上の音も出さなければならない。でも、でも、Hr席からいつもあこがれていた弦の波にさらわれるような感覚、全体を押し上げ引き込み、連れ去る波。吹き抜ける横風。それが弦全体が表現してくれる世界だった。僕ももう少し先かも知れないけど、あの風の中に入れるとおもうだけで、自分が弾くたった一音といえども、ハーモニーを感じるだけで、充足した気持ちになる。

 やはり、僕は全体の中の一人でありたい。全体の中で自己を主張する一人ではなく、全体の中に溶け込んで、渾然一体とした自分でありたい。それが一番居心地がいい、嬉しいあり方なんだと最近つくづく感じるようになった。

 リーダーとして、役職者として人の前に立つのは嫌いだった。残念ながら学生オケでもHrでトップを吹かなければならない直前に退部してしまっていた。ソリスト、トップ、先頭ランナー・・どれにも少しのあこがれを感じないわけではないが、自分の居場所では断じてなかった。○○代表という位置そのものが、子供時代からすこぶる居心地の悪いポジションだった。「そのように感じる自分はだめなやつなんだ」と自分を責め「自分は現世に向かない」「ましてや企業人としては失格なんだ」と思わない日はなかった。

 それが、この数年、いわば「自分の人生との折合い」がついてきたように感じる。何がきっかけなのかは、分からない。「諦め」に近いけど、哀しくはない。むしろ「自分は自分」「こんな自分でもこの世に生まれてきた意味があるんだ」と自然と感じられるようになってきたからだと思う。だから、他人と比較して劣等感を感じることも少なくなった。自分は自分・・こんな自分を生れた瞬間から愛してくれただろう母と父の喜びと掛け値抜きの愛情を、もうこの世にない人たちの愛を、今肌で感じることができる。愛とは意味だ。「無償の愛」の実感はただそれだけで僕「に生きる意味」を付与してくれたのだ。

 なぜ、どうして・・・の「なぜなぜ問答」が終焉しつつある。人生の意味。自分の生きる目的。何のために、どうして、どうやって生きてゆくべきか。そんな悩みを悩んだ青春から早や40数年。折り合いという「妥協」的な感覚ではなく、はっきりと「これでいいんだ」と思えることが、嬉しい。

 そんな自分が、今、弦の風の中に加われることに、不思議な符合を感じる。

 明日は、プロの先生の第二回目のレッスン。再び、疲労困憊、仕事漬けの限界を乗り越えて、チェロに向き合おうと思う。

追伸:書こうと思ったことが、勝手にずれてしまった。つまり「のだめ大好き」。あのドラマ「のだめカンタービレ」のをDVD借りてきて、二回も見てしまった。アニメも1回(まだ4巻目だけど)。ちょっとロリコンめいているが”のだめ”が好きだ。上野樹里演じるのだめも漫画ののだめも。そして、音楽に打ち込む全ての学生の姿が、まぶしくて羨ましい。ドラマだとはわかっているけど、そんな素敵な世界を描いてくれた作家に感謝。
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オケの練習に初参加した

2007年07月01日 18時09分47秒 | オケの練習
 夢かなう。こんなにも早く・・と驚く間もなく、チェロパートの仲間に入って午前中3時間の練習を終了していた。「参加」とうより「同席」というに近い。チャイコフスキーのバレー組曲を中心に、次々と通しながら大づかみにしてゆく練習だったが、細かいフレーズを除いて(特に開放弦やロングトーンなど)参加できるところは、弦を鳴らさせてもらっていた。

 今更ながら気づいたことは、管楽器や打楽器というのは、一人ひとりがソリストだった。つまり自分と同じ音を出す人間はオケの中に一人しかいなかったのだ。それに対し弦楽器はみんなが力を合わせて豊かな音を創り出すチームなのだ。だからこそ一人だけ沈黙することも、部分だけ参加することもできることがわかった。(無論弦の皆さんにはご迷惑ですが)

 久しぶりに指揮者を目の前にした。タクトが鳴り、演奏が止まり、指摘が入る。そしてまた進む・・・懐かしい練習の輪の中に入っている自分が幸せで、楽しくてならなかった。
 
 中学、高校のブラスバンドでは日が暮れるまで練習を繰り返していた当時、タクトを振っていたのは音楽の先生だった。1年がかりでようやく音がまとまり、コンクールで優勝したこともあった。その模範演奏の厚生年金ホールが大舞台だった。

 大学時代は、若き「コバケン」さんに二年間指導いただいた。まさかあの小林先生が世界的な指揮者になられるとは、当時は予測出来ようはずもなかった。つい先日NHKの「課外授業」でコバケンさんが福島の母校をたずね、子供たちに「心を伝える」ことを教えていた。

 若いころ、コバケンさんは先輩プロ演奏家から馬鹿にされ、自分のタクトを尊重してもらえず、途方に暮れていた時代があったのを知った。その結果が「演奏者を尊敬する」重要性に気づかれその結果「心が通じ合う」体験をされ、そのことを大切にしてこられたのだという。

 そんな先生方の暖かいまなざしと同様のまなざしを私の新しいオケの指導者・土田政昭コンダクターからも感じることができて大変幸せだった。音楽を愛し、音楽を愛する人を愛し、音が融合してアンサンブルになって行く成長を辛抱強く見守ってゆく姿に頭が下がります。
 アマチュアで初心者も多い演奏者であることをわかっていながら、指導し支援してゆくということは並大抵の精神力では持たないと思う。本当に音楽とともに生きてゆくことが好きでなければ出来ないし、音楽を愛する人を信じようとする「志」において、心から尊敬できる方だと思う。

 なにはともあれ、あれよあれよという感じで練習の集団の中に入った以上、「参加した振り」ではすまされない。「部分参加」だけでもせめて、きっちり音を出して、男らしく自分がこの世の中に発した音に対して、責任を取れるように練習しなきゃ。

 早速、必要となったエンドピンストッパーを手作りして、いただいた譜面を製本するための材料を「ヒャッキン」で購入してきた。次の練習までに、一音でも多く「部分参加」したい。
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初めてのプロレッスン

2007年07月01日 02時12分21秒 | レッスン
 プロのチェリストのレッスンの日がいよいよやってきた。その先生の自宅は、外房の緑に包まれた田園地帯にあった。車で到着したとき、先生(らしい方)は、ネコ車(土木作業用の一輪車)で花壇の土を運んでいらした。あーこのお宅で音楽と自然に包まれて暮らしているんだ。

 レッスンルームは開放的で広いリビング。広大な空間、いやこのお宅全体が音楽生活のために建てられたようにすら感じる。重厚な譜面台、音楽用の椅子が向かい合わせになっていて、ここでレッスンをしていただけるんだ。

 まず先生が僕の楽器の調弦をしてくれ、いきなりバッハの無伴奏チェロを引き出した。え!と驚くほどの音量。さらに調弦を(これがいろいろなポジションをさまざまに鳴らしながら音を合わせられてゆく、うーんどこが微妙に違うのか僕には分からない。大船に乗った安心感)

 「一度ひ弾いてみてください」。恥ずかしがっても仕方ないので、グループレッスンでやっていた曲を一回弾き終わると「分かりました」。
自分でも、音はなってないし、音程が狂いっぱなしなのが分かる。

 そのあと、椅子の座り方、楽器を身体の中に抱きいれる形のチェック(ちゃんと大型の鏡が用意されていて、自分でもチェックできる。「まずこの構え方なら上手そうに見えますよ」(この先生、とても穏やかで、上品。しかも褒め上手なんです)

 そのご、1時間以上、弓の持ち方、力の抜き方、弓の一本の毛から始まって弓全体で弦を大きく響かせる弾き方を繰り返し練習。これまでの無理やり弾いていたこわばった癖が抜けない。右腕をマッサージしてくれて、弓を力で押し付けず、自然な重みで大きく響かせるこつを何とかつかませようと、本当に手取り足取り教えていただいた。

 常に自分で手本を示しながら、手を取って一緒に弓を引っぱっていただいたり。こんなにも手厚い教えをいただいたことなんて、これまでの人生で一度もなかった。先生自身が弾きかたを大きく変えてこられたことで、大きく表現が大きく変わってこられたとのことで、ご自身が生み出した成果を惜しげもなく教え子に伝えようとする、強い情熱に感動。いかにして力まず引けるか(そのほうが楽器自体が大きく応えてくれることが分かった)、その奏法でいかに豊かな音色が出せるか何度も実演してくれた。

 そして2時間のレッスンはあっという間に終了。驚いたことは、先生に何回も弾いて貰ったおかげで、楽器の鳴り方が持ち込んだときと、様変わりしてしまった。その変化が自分でも分かるほど、朗々と豊かに響くチェロに変貌を遂げていた。
 ちょうどスポーツカーをたらたら運転していると、エンジンが吹き上がらなくなるように、下手な奏者が恐る恐る弾いていると、チェロも音が鳴らなくなってしまうという。

 まずは次のレッスンまで、なんとか力を抜いて弾き始めが出来るように練習を再開しようと思う。
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