チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

アンサンブルへのお誘いが・・

2008年01月30日 01時12分23秒 | コンサート
 一つは大学オケのOBが室内楽をやっていて、チェロパートがいないとのこと。(いままでファゴットで代替していたが昨今忙しくて抜けがちのようだ)もう一つは所属オケのアンサンブルコンサートで、チェロアンサンブルをすることになった。「ハレ事」には何によらず消極的姿勢に生きてきたつもりなので、少人数でのアンサンブルというだけで初めは思わず腰が引けた。

 しかし「生来目立つのは嫌で恥ずかしがりや」というのは嘘はないけど、恥ずかしがりというのはどこかで「いい格好をしたい」「見てもらいたい」という衝動が隠されていると正直感じる。だいたいホルン自体は嫌いではないけど、学生時代弦楽何重層という編成に憧れを抱いており「管楽器はつまんないなー」と嫉妬心を隠し持っていたのも事実なのだなー。「あの仲間に入りたい」「自分も少人数で息の合ったアンサンブルに浸りたい」なんてね。

 そんなに憧れていたなら、ハレの舞台に自分から積極的に立つのも素直でいいではないかと思い大学OBの方には自分から手を上げて参加表明したところだった。(別に舞台があるのではなく、仲間うちで仲良く演奏を楽しむだけなんだけどね)今や学友たちはそれぞれ有名大学教授やら社長やらになっているんだけど、そんなの関係なしに、優しい音楽仲間のこと、チェロ用の譜面も用意してくれるらしい。アンサンブル練習まで少しあるので、自主練して頑張ろう!・・・

 と思っていたところへ、オケのアンサンブルが降って沸いてきたのだ!ひえー!オケの楽曲だけでもヘコタレそうなのに、学友のアンサンブルに手を挙げちゃって緊張しているところに、チェロ6本で舞台に立つ企画が圧し掛かってくるなんて。「とても無理、舞台なんかに立てないでーす」とお断りしたところ「団員は必参加!」ときっちりフォローメールが送られてきて、キャパ小さき心は破裂しそう。それに仕事が・・家族が・・あわわ・・とパニクリそうなのだ。

 ま、声を掛けてもらえるうちが華。これもチャンスと思って頑張ろう。チェロを始めた動機のひとつがアンサンブルだったんだから(無自覚だったかもしれないけど、そうだったのだ!と気づいたのだ)
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ブラ3とサンサーンスの練習。音楽に近づきたい。

2008年01月28日 00時37分53秒 | オケの練習
 風邪でお休みしたので、久しぶりの練習。仕事、風邪・・いろいろな事情でオケのメンバー全員が集まるのは演奏会が近づいてからなのだと思う。アマオケではどこの団体でもそうなのだろうか。弦だと6~7割の参加率、コントラバス1本という日もある。ちょっと寂しいのは、管楽器とくにオーボエやトランペット、ホルンが欠席すると曲の感じにならない。先生が歌って補うのだけど、本番大丈夫かなーと心配になったりする。

 今日はスタートでは、チェロも二人しかいなかった。たった二人で指揮者は目の前。久しぶりだからというより、いつでも練習が開始してしばらくの間は、チェロと自分と椅子とがバラバラに感じられる(折りたたみ椅子と普段の自宅の椅子の違いからかなー)。
 技量がないうえ気持ちが落ち着かないので、ますます音がまともに出せない・・音程がずれる・・弓が弦をすべる・・(それに昨晩は久しぶりにチェロケースを開けたら、全ての弦がベロベロ状態で、必死でチューニングしたものの、今朝になるとまた音程が狂っていたし・・・)。
 そんなこんなで静かにしていたいのだけど、それだとまるで先輩チェロの独奏状態になてしまうし、演奏に加われば不協和音が出てしまうようで最低の滑り出しだった。もし自分だけ出席でチェロ一本だったらどうしよう・・・などと考えている間に、主席と先輩が駆けつけてくれ4本になった!良かった。

 さて全員ではないけどメンバーが揃ったところで、落ち着きを取り戻しブラ3第一楽章と第三楽章の練習は順調に進んだ。つまり出来ないところは落ちたり、あるいは速いパッセージ、つまり八分音符の連続であれば、頭の一音だけ参加する「自分勝手スタイル」に戻れたのだ。この「部分参加」は結構いいと思う。初めは二小節に一回しか音を出せなくても、次には毎小節の頭の音を演奏できるようになり、次には一音飛ばしで弾けるという風に参加率がだんだん向上してゆける気がする。

 しかしブラームスは難しい。演奏会までに8割が自分の目標。全てを弾きこなすのは無理だと思う。「弾く」ことではなく、ブラームスの交響曲をオケの一員として「演奏」したという実感が持てるのが大事だと最近は感じる。
 思えば指揮者も、指が回らないことを叱るような場面はこれまで一度もなかった。上手い演奏、早い指回しではなく、どういう演奏をするかが問題なのだ。当たり前なんだけど・・ついつい初心者の哀しさで「音を出す」ことばかりに気を取られる。

 サンサーンスのバッカナールは初めて聞いたときは、アラビア音楽?と思ったけど確かに物語はそんな国の姫様が出てくる、結構残酷なお話だ。この曲は一気に勢いよく弾ききる感じ。ハイトーンのメロディー部分が難しい課題として残るなー。

 オケに入団して半年。練習の途中からは大分落ち着いて周囲を見回せるようになった。一番気にしているのは、主席奏者とボウイングを揃えること。今日は弓を持つ時間と、鉛筆を持ってアップやダウンのマークを書き込む時間が交互にある感じだったけど、みんなとボウイングが揃ってくると、不思議と音も調和してくる。
 演奏は指と腕でやるのではなく全身が参加して初めて音楽になるんだと感じる。
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イタリア奇想曲は、わが思い出の音楽なのに、難しい

2008年01月21日 00時08分54秒 | チェロ
 5月の定演はブラームス「交響曲第三番」の主演目に加えて、チャイコフスキー「イタリア奇想曲」、サンサーンス「バッカナール」、芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」の楽譜も配布されて「初合わせ」が行われた。
 練習結果は「難しい」の一言。ブラ3だけを4ヶ月練習しても、とても8割に到達できないと悲観的になっているところに、イタリア奇想曲も大変な曲だと分かった。

 思えば、中学生の時、自分の小遣いで初めて購入した「レコード」がイタリア奇想曲だったなー。黒くてすぐ割れてしまうSP盤用の蓄音機が物置にお蔵入りしてから、当時の我が家にはステレオ装置がなかった。そんなある日、兄たちが小遣いを出し合ってLPプレーヤーなるものを購入してきた。
 そのプレーヤーは持ち運びタイプながら、ターンテーブルを挟んで二つのスピーカーがセットされていて、LP以外にシングル盤やドーナツ盤も聴くことができた。そのころ、新宿の角筈にあった中古レコード店に自転車で飛んで行き、購入したのが「イタリア奇想曲」だった。

 いまでは西新宿といえば大ビル街に変身しているが、東京オリンピック開催前の西新宿は広大な浄水場の貯水池があるだけだった。無論ビルらしいビルと言えば三越と伊勢丹が見えるくらいで、紀伊国屋も高野フルーツパーラーも大型の本屋と果物屋だった。つまり新宿の繁華街から外れた、都電通りに面して、その古レコード店はあった。無論木造平屋で、店内の大半はSP盤のクラシックレコードだったと思う。

 本当はチャイコフスキーの「悲愴」を買いたかったのかもしれない。音楽の時間に聴いた「くるみ割り人形」でチャイコフスキーが好きになり、渋谷の児童館で掛けてもらった「悲愴」が意味不明な曲で(当時の自分には)、なぜだかチャイコフスキーを求めていたのかも知れない。
 しかし僕のお金ではLPは買えなかったのだと思う。そこで何とか手に入ったのが「EP盤」(LPとドーナツ盤の中位の大きさ)のイタリア奇想曲だったのだろう。 
 
 レコードジャケットの解説には彼がイタリア旅行をしたあと作曲したので明るい曲想であり、トランペットのファンファーレから始まる云々と書かれていたような気がする。なにせ子供、何も買わずに出るのも格好悪いので買っただけかもしれない。
 
 レコードを抱えて、古レコード屋から自宅まで自転車を飛ばした。帰宅すると、プレーヤーを引っ張り出し、どきどきしながら針を置いた。
 小さなプレーヤーから流れ出したのはトランペットのファンファーレ。そのあと重苦しいオーケストラの音が続く・・・その瞬間「買ったのは失敗か」と心では思ったかもしれない。でも買った以上好きになろうと、何度も聞いたと思う。
 ところがところが哀れな自分。たった一枚のEP盤を繰り返し聞くのも「みじめ」な気もして・・・さらに「本当に自分はこの曲が好きなのか」と疑問に思って、さらに家族から「こんな曲が好きなんだ」と勝手に思われるのも癪に障る気がして、して、して・・・なんせ疾風怒涛、崩壊ぎりぎりの心を隠し持った中学生だったんだ、あのころの自分は・・・

 でも、イタリア奇想曲、僕は好きになったと思う。曲の後半になるとイタリアらしい軽快さに救われた気持ちになったのだ。

 そんなイタリア奇想曲だけど、チェロパートはまるで練習曲のような部分もある。シャープ3つから、いきなりフラット5つへの転調のあと8分音符の連続スケールにやられてしまう。つまりここは、恐らく、きっと、本番では、落っこちたままになる確率が高いのだ。

 チャイコフスキーはイタリアで何を感じてきたのか。あれから1世紀以上経って、極東の片田舎で、50歳代のチェロ初心者が悪戦苦闘しようなどど、頭の片隅にあろうはずも無く・・当たり前だ!

 ブラームスもチャイコフスキーも、今生きていて、アマオケの演奏を聴くことが出来たら、一体どんな感想を持つのだろう。
 せめて「一生懸命演奏してくれてありがとう!」と微笑んでもらえるよう、頑張ろうっと。
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チェロの練習に、復帰中

2008年01月06日 12時39分53秒 | チェロ
 この冬、結構いろいろあったのでチェロと本格的に向き合えていなかった。香港、小学校同級生との千葉地域密着クラス会(なぜかこの中にアマのバイオリン弾きもフルート奏者もいる)、子供が嫁さん候補を連れてきたり、メタボ対策のウォーキングに巻き込まれたり、取引先の新年会に招かれたり・・

 それと、チェロをやろうと決心した原点の一つ「のだめカンタービレ」再放送が年明けからあり、ヨーロッパ編の鑑賞やら編集やらで忙しかった。でも、のだめの話を声高に話せない気がするのは何でだろう・・・漫画だから、テレビは俗っぽいから、アカデミックさがないから。 
 いや動機が不純だからだ。上野樹里の可愛さから目が離せない私。上野樹里が演じるのだめが好きなのか、作者の創造したのだめというキャラが好きなのか・・彼女が主役でなければこれほど好きにならなったかもしれないなー。

 何はともあれ、オケの練習が始まろうとしている。生チェロに続き、昨年末にはサイレントチェロも購入して、設備投資はされたのだから、あとは習熟曲線を上昇させるのみだ。

 今年の手始めは、amazonから届いたR.サボージニコフの「チェロ基礎教本」から。オケの先輩が半年前に「21Pくらいまでやっておけば大丈夫」と言ってくれた言葉を頼りに練習開始。練習曲ごとに、注意書きがあるのがウェルナーと違う気がする。弓の使用部分も指示されている。なるほど、こうやってゆけばいいのか・・
 交響曲の方が何倍も難しいので新発見はないが、なぜか、一つ一つ基礎を積み重ねてゆける安心感が生まれる。オケの曲に入る前2日程サボジーニコフだけでリハビリした。
 それとプロの先生から教わった、運弓、運指の基礎練習。野球でボールを投げるように指板に指をたたきつける、音を二分割、四分割のまとまりで弾く等々。

 そんななかで、相変わらず足踏みしているのは、弓の返し。右からの折り返し、左からの折り返し、そのときの弓を持つ指のしっくり来ない感じに悩まされる。
 以前よりスムースだし、指の痛みも少なくなったものの、このまま交響曲の練習に入ると、きっとまた無理な演奏に戻るのではないか・・・という不安は消えない。

 当分、昼間は生チェロ、夜はサイレントで、少しずつ譜面にも慣れてゆき5月までにはブラ3を8割以上こなせるようになりたいものだ。
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